わらうき4

わらうき 5 創作世界 トップ

「あながち嘘とも言いきれんだろう」
 うだうだ言っているうちに綾科家に着いてしまった。
 最初は気楽な世間話。そして亦もや夕食をよばれる。小村はともかく、俺は実質的には何もしていないのだから、何だか夕食の為だけに来ているような気がする。……うーむ……。
「さて、行くか。−−綾科さんは此処にいて下さい。何が起こるか判りませんから。渡真利、行くぞ」
 −−え!?
「小村。お、俺も行くのか?」
「あたりまえだ。あんな強大な霊を相手にするのに一人じゃ、心細いじゃないか」
「そりゃそうだろうが……あ、おい!」
 俺が渋っているのを無視して小村は俺の手を引いて玄関の方へ行く。
「が、頑張って下さい」
 綾科さんは不安そうな表情でそう言った。
「はいはい、頑張りますよー」
 小村は綾科さんに背中を向けたまま呟くように言った。
 庭に行く。銀杏の木はそこにある。
「渡真利。その辺にいててくれ。死なばもろとも、だ」
「−−え?」
 俺は自分の顔の血の気が引いたのを感じた。
 小村は懐から札を取り出し、銀杏の木に貼った。そして何やらむにゃむにゃと呪文らしきものを唱え−−
 わーはっはっはっはっはっは
 わーはっはっはっはっはっは
 わーはっはっはっはっはっは
 わーはっはっはっはっはっは
 わーはっはっはっはっはっは
 わーはっはっはっはっはっは
 わーはっはっはっはっはっは
 わーはっはっはっはっはっは
 わーはっはっはっはっはっは
 わーはっはっはっはっはっは
 わーはっはっはっはっはっは
 わーはっはっはっはっはっは
 わーはっはっはっはっはっは

(桧森。お前、何でそんなに小村いじめるんだよ)
(え? だって面白いじゃない。小村君って、渡真利君や野村君と違ってすごく神経細いから。やっちゃいけないかなー、と思いつつも、つい体が……)
(……あいつそのうちノイローゼになるぞ)
(あ、それは大丈夫。ちゃんとあの子の限界は判ってるから)
(あいつ、幽霊とかに詳しいからな。そのうち祟られるぞ)
(そんなのちょろいちょろい。笑ったら向こうは勝手に退却するわよ)
(……お前、本当に強いな)
(そう? 有難)
 わーはっはっはっはっはっは
 わーはっはっはっはっはっは
 わーはっはっはっはっはっは
 わーはっはっはっはっはっは
 わーはっはっはっはっはっは

(小村君って、神経細いから)
 神経が細かったら……一体どうなる、って?
「小村。……小村! こむら−−−−−−−っっっ!!
 俺は夢中で小村の方へ走った。パパの笑いは相変わらず頭の中で響き渡っていたがそんな事はどうでも良かった。
「こむら!!」
 俺は木に貼りついていた札を剥がした。パパの笑い声が止む。
「こむら!!」
 小村は木の前で座った姿勢のまま白眼を剥いていた。
「おい、おい!」
 小村の頬を二三度ぴしゃぴしゃ叩く。
「−−う……」
「小村! しっかりしろ!」
「あ……」
 何とか気が付いたが、まだ眼の焦点が定まっていない。
「小村。俺が判るか!?」
「……パパ」
「……」
 危ない。
 俺はとにかく小村を引きずるようにして家の中に入れた。
「渡真利さん! 小村さん! ど、どうしたんですか!?」
 綾科さんは慌てて立ち上がった。
「すみません。水を一杯」
「は、はいっ!」
 今の様子だと、綾科さんはさっきは小村に言うところの〈パパ空間〉に入っていなかったみたいだな。
「おい、小村。大丈夫か?」
「はい、お水です」
 小村の口元にコップを当てる。最初はこぼれたが一口ぐらい含んだところで正気に戻ったらしく、自分でコップを持って水を飲み出した。
「……はあっ……」
「小村。大丈夫か?」
「あ、ああ……なんとか……」
 小村と俺はソファーに腰掛けた。綾科さんは向かいのソファーに座る。
「……失敗、か……」
 小村がぐったりとして言った。
「まあ、普通の除霊ぐらいで引っ込むような感じじゃないからな]
 俺はそう言って小村を慰めた。
「−−でも……」
 綾科さんが唐突に口を開いた。俺達は綾科さんを見た。
「どうして、パパはあんなに笑うのかしら……。私があの笑いを怖がっていたのを知っている筈なのに……」
「−−それが判れば、何とかなるかもしれないな」
 俺がそう言うと小村は力なく頷いた。
「しかし……除霊も駄目だとすると……これからどうすりゃいいんだ……」
 小村は悲愴な呻き声をあげて頭を抱え込んだ。
「小村さん……もう、結構です。小村さんは充分頑張って下さいました。これ以上すると、あなたの方が危険です。私の場合は私が『やめて』と言えば笑いは止むんですから……」
「そうだ、小村。元はと言えば、俺がお前に頼んだだけなんだから。無理するな。お前は俺なんかよりずっと神経が細いんだから−−な?」
 小村はまだ頭を抱え込んだ状態のまま、座っている。
「俺……が……負けて……」
 小村は小さく呟いた。
「−−お気持ちは判ります。でも、これはどうしようもない事なんですから」
「そうだ、小村。そんなに気に病む事は−−」
「いいや! 俺はプロだ!!」
 うわっ。
 小村は力を入れて立ち上がった。……お、おい……眼光が……ふ、普通じゃない、ぞ……
「あんな−−あんな……。今日は調子が悪かったんだ! 俺はやる! やってやる! やってみせるとも! プロの俺があんな笑いパパに負けて−−」
 わーはっはっはっはっはっは
 わーはっはっはっはっはっは
 わーはっはっはっはっはっは
 わーはっはっはっはっはっは
 わーはっはっはっはっはっは
 わーはっはっはっはっはっは
 わーはっはっはっはっはっは
 わーはっはっはっはっはっは
 わーはっはっはっはっはっは
 わーはっはっはっはっはっは
 わーはっはっはっはっはっは
 わーはっはっはっはっはっは
 わーはっはっはっはっはっは
 わーはっはっはっはっはっは

 ………………。
「−−−」
 !?
「小村! 小村!?」
 俺は何とか我に返ると立ち上がって小村の顔を覗き込んだ。口を「負けてたまるか」の「た」の形にしたまま硬直している。
「……小村さん……?」
 綾科さんが恐る恐る小村を呼ぶ。反応なし。
「小村! 小村!」
 俺は小村の肩をつかんで激しく揺さぶった。小村はようやくハッと正気に戻った。
「大丈夫か!? 俺が誰だか判るか?」
「……渡真利……」
「よし。……小村。何にしろ、今日はもう帰った方がいい。お前は、もうこの件には頭を突っ込むな。頭を突っ込ませた俺が言うのも何だが……な? 他にも色々としなきゃいけない事があるだろ?」
「……ああ。今日のところは……引きあげる」
 今日だけじゃない、これからずっとだ、と言いたかったがそれは止めた。下手に刺激してさっきみたいに「俺はプロだ! あんな木に」云々されて、亦パパが笑うと手がつけられない。
「それじゃ……」
 俺は小村を引っ張って別れを告げる。綾科さんが「さようなら。お休みなさい」と言った後で小さな声で「お大事に」と付け加えたのを俺は聞いた。−−。


 洒落た感じのレストラン。桧森は会社勤めなので会うのは夜になった。綾科さんには悪いが小村の事があるので今日は行けない、と連絡をつけた。
「渡真利君、久し振り! どうしたの? 急に電話なんてくれたからびっくりしちゃった」
 すっかり OLになった桧森に俺は少し驚いた。しかし、にじみでる雰囲気はあまり変わっていないようだ。
 桧森が席につくとウエイターが注文をとりに来た。桧森は妙に気取って「同じものを」と俺のコーヒーを指差して言った。ウエイターが去る。
 −−と。
「やー、渡真利君、なんかすっかりおじさんになっちゃってー!」
「……悪かったな」
 全然性格が変わってない……。
「ま、そう拗ねないで。−−で、何の用なの?」
 さて。これからが本題だ。何と言って切り出すべきか……。
「桧森。お前、今でも笑えるか?」
「−−へ?」
 桧森は思いっきり呆けている。ま、そりゃそうだろうが……とにかく速く話を進めてしまいたい俺にとしてはどうしてもそういう突拍子のない切り出しになってしまう。
「ほら、高校の時、よくやってたろ? 『黄金バットの笑い』」
「……暗い過去を持ち出すのはやめようね」
「暗い過去、って、じゃ、今は笑ってないのか?」
「……渡真利く〜ん、常識で考えてみなさいよー。二十七にもなった女が黄金バットの笑いなんかしてどーすんのよ〜」
「……そうか……。……そうだよな」確かにそれは無気味だ。−−しかし、女子高校生が「わーはっはっはっはっ」って笑うのも常識では考えられんような気がするが。
「−−でも、それが一体どうしたのよ? 私の笑いが何なの?」
「いや。桧森が笑えないならそれはそれでいいんだ。急に呼び出してすまん」
 桧森は怪訝な顔をする。説明して欲しい、と言いたげだが、下手に頭を突っ込ませて小村みたいにしてしまったら、今度こそおてんと様に顔向けできない。
 ウエイターがコーヒーを持ってきた。桧森はそれをブラックのまま飲む。
「別に笑えないとは言ってないわよ」桧森はぶつっと言った。
「−−え?」
「ただ、今は笑ってないから、うまく笑えるかどうか判らないけど」
「……」
 桧森はにやっと笑う。この、口を横に広げる笑い方は全然変わっていない。
「まあ、渡真利君の事だから、人の役に立つ事をやるんでしょ? 私、協力は惜しまないわよ」
 俺は軽く笑った。この桧森の自信にあふれた行動が変化しなけりゃいいんだけど、な。−−思えば、小村だって最初は余裕たっぷりだったじゃないか。−−。
「判った。取り敢えず、説明はする。ヒジョーに非常識な話だからな。ちょっとでも不安だったら、頭を突っ込まないでくれ。これは俺のお願いだ」
「判った」桧森は深く頷いた。
「−−桧森。小村、覚えてるか?」
「小村……?」話題の転換についていけず桧森はきょとんとしたがすぐに思い出したようだった。「あ、ああ、小村君! よく遊んだなー。……で、その小村君がどうしたの?」
「危ない」
「へ?」桧森は今度こそ訳が判らない、という顔をした。
「あいつ、俺なんかよりずっと神経が細いだろ? なのに俺が話にひきずり込んじまって……後悔してる」
「……い、いったい、何の話なの?」
「木だ」
「きだ?」
「木。銀杏の木。木が−−笑うんだ」
「−−。木に口でも生えたの?」
 桧森は俺の話を信じる、信じないの状態ではなく、ただ、呆れていた。

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