わらうき3
わーはっはっはっはっはっは
わーはっはっはっはっはっは
わーはっはっはっはっはっは
わーはっはっはっはっはっは
わーはっはっはっはっはっは
わーはっはっはっはっはっは
わーはっはっはっはっはっは
わーはっはっはっはっはっは
わーはっはっはっはっはっは
続く続く、笑いが続く……。
俺の頭はだんだん笑いに支配され、真っ白になってゆく……。
「やめて! パパ!」
声−−とは少し違う声だった。
……笑いが止んだ……。
「今の声は……綾科さん?」
小村が一人言のように言う。綾科さんは呆けて俺達を見ていた。
「小村。今のは声、っていうより−−」
小村はそれ以上言わなくても判っていると言いたげに頷いた。
「綾科さん」
俺が声をかけると、綾科さんはようやく我に返った。
「……渡真利さん……今、私……」
「渡真利。一旦、中に入った方がいいんじゃないか? ちょっと気持ちを落ち着かせて話したい」
「あ、ああ」
小村と俺は歩き出した。しかし、綾科さんは不安そうに、銀杏の木を見つめていた。塀の向こうの街灯がそんな綾科さんを照らす。
「綾科さん。行きましょう」
「−−あ、はい」
俺達は家に入った。
家に入ると綾科さんが夕食を召しあがって下さい、と申し出たので、三人で卓を囲んでの食事となった。恐らく、暫くはさっきの出来事から話題をそらしたいのだろう。その気持ちは俺も同じだった。亦、この方面におけるプロの小村も同じ心境らしく、食事は非常に和やかな雰囲気に包まれていた。
「渡真利さんと小村さん、お友達なんでしょう? いつお知り合いになったんですか?」
綾科さんが笑顔で言う。
「えっ、と……高一と高二でクラスが一緒で、な、渡真利?」
「ああ。何でか知らんけど、仲が良かったな」
「小村さん、こういう、除霊なんかで生計を立ててらっしゃるんですか?」
「取り敢えず、こういう事についての話を書いて本も出しています。あまり売れてませんが」
「時々、俺に無理矢理売りつけてるな」
「いやー、俺達親友だもんなー! わっはっはっはっ−−」
「−−」
沈黙。
一瞬、冷たい空気が部屋を支配する。
「い、いや、ま、でも、それなりに面白い話もあるしな。綾科さんも借してもらったらどうですか?」
「い、いえ、私はちょっと、怖がりで……」
苦しい話題転換ではあったが、ホッとした空気が部屋に戻った。小村はすまなさそうに俯いている。せっかく表面にださずにいた不安を小村が引き出してしまったせいだ。
“ガサガサガサ−−”
「−−!?」
木の揺れる音に、三人一斉に強張った顔付きで外を見る。……しかし、笑い声は起こらなかった。
ほっと溜息をもらし、室内に視線を戻す。−−と、小村、綾科さんと視線が合ってしまった。……誰でも考える事は一緒だ……。……。
無言で食べる。−−しかし、夕食を食べ終え……俺達はついに、あの問題に直面せざるを得なくなった。
「−−さて」
小村がそう言って溜息をついたのは綾科さんが後片付けを終えて部屋に戻ってきた時の事だった。
「綾科さん、座って下さい。三人して思案するつもりだったら、ね」
綾科さんは頷いて座った。
……。−−ちょっと待て。おい。……何で三人なんだ? そ、そりゃ、俺は、全く無関係、ってわけじゃないし、俺にだってあの笑い声は聞こえてくるし……しかし……。
「さっき、綾科さん、『パパ』って言われましたね?」
俺の困惑をよそに、小村は話を続ける。綾科さんは頷いた。
「何故です?」
「……殆ど反射的に口走ったんですけど……言ってから思い出したんです。あの笑い方……パパです。あの笑いは、パパなんです」
「……」
「−−パパって……外国に勤めてらっしゃるんでしょ?」
思わず俺の声は大きくなってしまう。
「はい。……生きてる筈です。生きてる……」
綾科さんはふらふらと立ち上がった。そのまま電話の受話器に手をかける。
「小村。−−生き霊、って事はないのか?」
俺はなるべく綾科さんに聞こえないように小声で尋ねた。
「ある−−かもしれん。しかし、普通は……」
「……」
「あ、ミスチフさん。すみません、急に。あの、父は……。−−え!? 私の所に!? いえ、来てません! ……。え……!? 本当に、そう言ったんですか? ……。……はい。……はい、判りました。すみません。……それじゃ……」
“チン”
「綾科さん……」
綾科さんは沈んだ表情のままソファーに腰掛けた。
「……丁度、あの木が笑い始めた日から、父は……いなくなったそうです」
それがどういう意味なのか−−俺達は何も言わなかった。
「……でも、同僚の方に、私は今から行方不明になる、だが心配はいらない、私はこれから娘の所に行くのだから、というような事を言ってたそうです」
「−−」
一体……。
「じゃ、あの笑いは本当に……?」
小村の言葉に綾科さんは頷いた。
「多分。でも、私はパパのあの笑いは本当に厭で−−本気で厭がっていたから、よっぽどたがが外れた時でないと私の前ではあの笑いはしなかったんです。……だから、さっきまであの笑いはパパだ、って気付かなかったんですが……」
「黄金バットの笑い、ですね」
「……」
とんでもない事を言われたのと、言った事が的を射ていた事とで綾科さんと俺は何も言えなかった。
……? 「黄金バット」……? 今、一瞬、何かを思い出したんだが……。?
「ま、それはとにかく−−それじゃ、あの笑いの主は十中八九、あなたのパパである、という事が判明したわけですね」
こ、こいつの切り換えの速さは……。昔と少しも変わっていない。
「はい。恐らく」
「−−しかし、何であの木に……お心当たりはありますか?」
「……パパはあの木をとても大事にしていました。この木はお前のグラン・パがくれた木なんだよ、って……」
−−ふと、俺の頭の中を妙な予感が走った。
「綾科さん。あなたのグラン・パ、って、どんな人だったんですか?」
俺は訊いてみる。
「え? グラン・パは、私が生まれる前にもう亡くなっていて……パパに言わせると、明るくてとてもいい人だ、って……でも、それがどうかしたんですか?」
「え、いや。ちょっとお尋ねしただけです。深い意味はありません」
そう。ただ、ちょっとそのグラン・パもそのパパみたいな性格だったんだろうか、と不安になっただけの事だ。
「しかし−−あの笑いがパパのもんだとしても……小村、これからどうするんだ?」
俺の問いかけに小村は陰鬱な眼差しで応えた。できる事ならこれ以上関わりを持ちたくないのだろう。それは俺だって同じだ。誰が好んであんな笑いに付き合−−! そうだ! 思い出した!!
「小村!」
俺は思わず叫んだ。
「な、なんだなんだなんだ! 急に叫ぶな、心臓に悪い!」
「あ−−すまん」
「……で、何だ?」
「桧森だ!」
「……へ?」
小村はお前一体何を言ってるんだ、と言いたげに呆れて俺を見ている。くそっ。忘れちまったのかよ!
「桧森だよ、桧森! 『笑う黄金バット』名物女、桧森!」
「−−!? ひもりっ!!」
小村は急に思い出したらしく、叫び出して−−蒼ざめた。……そうか。小村は相当やられたもんな。
「……お前、まじ、か?」
「ああ。桧森なら勝てるかもしれない!」
俺が力んで言うと小村は更に蒼ざめた。……忘れさっていた過去の思い出……というところだろうか。
「……と、渡真利。それはやめよう。それより、他の案を考えよう。それは−−……最後の手段だ」
「……判った」
俺がそう言うと小村はほっと溜息をついた。綾科さんは話題についてゆけず、俺の顔を見ていた。
「−−桧森、ってね、高二の時、クラスが同じだった女の子がいて……ああいう、パパみたいな笑い方をしたんですよ」
「……はあ……」
綾科さんはまだ話が見えず困惑している様子であったが、これ以上桧森の話をしたら小村が気の毒だ。
「−−綾科さん。あの木を切る事はできないんですか?」
小村は真剣な顔で綾科さんに訊いた。
「……できれば……あの木は……私の思い出をたくさん持っているものですから……」
「−−じゃ、仕方ありませんね」
小村は軽く溜息をついた。
「すみません」
「いえ。謝る事じゃありませんよ。否、むしろあの木は切らない方がいいかな? 木を切っても笑いが消えるとは限らないし。木がなくなって、巷をうろうろされる方が困りますしね」
小村はそう言って乾いた笑い声をたてた。−−どうやらさっきの桧森の件で頭の線が二三本切れたようだ。−−すまん、小村。俺が変な事を言い出したばっかりに……。
「−−じゃ、除霊をしましょう」
……明るい。小村は奇妙な程明るい。……小村の奴、本当に大丈夫だろうか?
「除霊……できるんですか?」
綾科さんは不安そうに訊いた。
「今日は無理です。準備が必要ですし、僕自身がこんな状態ですから」
ほ。自分で自分の状態が判ってるんなら大丈夫だ。
「そうですか。じゃ、明日かそれくらいに……?」
「はい。明日にでも。−−でも、パパは相当強そうですからね。除霊……出来ないかも知れません」
「−−」
「ま、できる限りの事はしますから」
「はい。お願いします。すみません」
綾科さんは深々とお辞儀をした。
「昨日、今日と、俺は考えてみたんだが……」
小村と一緒に綾科さんの家へ行く途中、電車の中で小村は突然喋り出した。昨日の影響はないらしく、ごく普通の様子を見せている。
「何だ?」
俺は動き出した電車に揺られ乍ら言った。
「昨日−−木が笑ってただろ?」
「ああ」
「それで綾科さんが叫んだだろ?」
「ああ。でも、あれは叫んだというより−−」
小村は判ってる、と言いたげに手を上げた。
「綾科さんの声は耳から聞こえたんじゃない、って言うんだろ?」
俺は頷いた。
「でも、俺はあの時、綾科さんが耳を塞いで叫んでいるのを見たんだ」
「−−」
俺は小村の言っている事、小村の言わんとしている事が理解できなかった。
「つまり−−これはあくまで俺の推測だが−−あのパパが笑っていた時、俺達、もしくは俺達の精神・魂がいたのは別空間じゃないか、と……」
「−−へ?」
思わずあほのような声で訊きかえす。小村が話の続きをしようと口を開けた時、電車が目的地に着いた。
電車を降りて駅を出る。
「多分、あのパパの力だろうが……俺達の精神が、通常空間から切り離されて、別の、まあ仮に〈パパ空間〉と呼んでおくか−−その〈パパ空間〉に持っていかれたんだ。それでパパの笑い声は〈パパ空間〉にいる者にしか聞こえない。でも、俺達の肉体自体は通常空間に置きっ放しだから、見るもの耳から聞こえるものは通常空間のものだ。それで、あの〈パパ空間〉の中で、綾科さんは『やめて! パパ!』って叫んだんだ」
「……で、実際には叫んでなかったのか?」
「声にはなっていない。精神が叫ぼうとしたから肉体の方も動きはしていたが、実際の叫びよりは精神の〈パパ空間〉での叫びの方が強くて肉体の方までエネルギーがまわらなかったんだろう」
「……」
俺はすっかり点目になっていた。
「理解できるか? 渡真利」
「まあ、まあ、な。−−しかし、殆どSFの世界だ……」
「ホラーだ」
「法螺?」
「……くだらんギャグはよせ」
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今日はこれにておしまい