野望実現計画 (2)
中ニの初夏にちょっとした――後々大きな事象を呼ぶ――事件があった。 小さな竹島の町の公民館で某NHKの「素人名人会」が行われたのである。 そこに、細川と児玉は参加し、予選を勝ち抜き、テレビに出る事になったのだ。 浮かれる同級生や先生、漫研の連中が応援に駆けつけた。 テレビ出演――嬉しくない訳がない。緊張しない訳がない。 しかし、そんな事で浮かれている場合ではない。これを踏み台にして進むべく夢が二人にはあるのだ。 名人賞に輝く事。そして、あわよくば漫才師としてスカウトされる事。 ネタは、中学校の先生と生徒のやり取りであった。夢の中で見る程練習し、佐川先生からすら笑いを取れたネタであった。 舞台袖では早鐘の如く体中で鳴り響いていた心臓もいざ科白を口に出すと少しずつ落ち着いてきた。そのうち観客の笑いすら聞く余裕が出てきた。 ”カンカンカン、カンカンカン”――鐘が六回鳴った。それ以降、音は鳴らない。 細川と児玉は顔を見合わせた。 司会者が「いやー、残念、あともう一歩でしたね!」と満面の笑顔で二人に近づく。 細川は一瞬「何がそんなにおもろいんじゃー!」と司会者をキックしたい衝動にかられたが、時と場合を考え、笑うにとどめた。 審査員の師匠に批評してもらい、少し話をして引き下がる。 帰りは応援団と一緒になった。 「細川。ちょっと家(ウチ)に寄らへんか?」 「ああ」 児玉宅は親が大学の教授、助教授という事もあって、かなり大きい。細川宅も同級生達の家よりはランクが上だと思っていたが、そんな思い上がりを打ち砕くような大きさだった。 児玉の個室に入る。夏がお茶とお菓子を持って来る。 「名人賞、あかんかったんか」 児玉のふくれっ面を見るなり夏は切り出した。児玉は口に出すのもいやなのか、黙って頷いた。 「まあ、まだ若いんやし、精進するこっちゃな」 はっはっはっ、と明るい声を残して夏は去って行った。夏のどことなく無責任さを匂わす様子に、細川は自分の両親と同じ空気を感じた。 ふと、細川と児玉の視線が合い――同時に溜息をついた。 「一体、何があかんかった、っちゅうねん?」 ついに、細川は周囲をはばかって言えなかった不満を口にした。 「絶対名人賞取れる自信あったのに」 「俺かて同感や。師匠の目は節穴とちゃうか」 素人名人会の審査員は各分野の第一人者である。漫才系の審査員については司会者が漫才家であるのでおもに「師匠」と呼ばれ、細川・児玉もその影響を受けて審査員の事を「師匠」と呼んでいた。 「名人賞取られへんかって頭カーッとしてしもて、師匠が何言うとったんかよう聴いてへんかってんけど、何があかんかったんや?」 「基本的には結構ほめてくれとってんけどなあ。まあ、中二にしてはレベルが高い、これからが楽しみや、って感じのほめ方やったけど」 「最初におだてて『そやけどねえ』というパターンか」 自分も一緒に聞いていたくせに初めて聴いた、と言う顔をして細川は苦々しく呟いた。 「そうそうありがちなパターンや」 「それで何て言うとったんや」 「言葉遣いが無造作で動きも粗雑や、って。でも基本的にセンスはええからがんばって下さい、って。若年故の力みがある、っちゅうことやな」 喜怒哀楽を感じるレベルは細川と同じぐらいではあるものの、より分析的・理論的に物事を見つめようとする児玉は細川より早めに我を取り戻していた。基本的に漫才ではボケ役は児玉だが、児玉の方が策略家である。 「くそっ、才能認めてるんやったら名人賞にしてもええやんけ。――覚えてろよ。そのうちプロになって見返したる!」 「その頃は師匠、死んでるんちゃうか」 「おいおい、十年ぐらいは大丈夫やろう。それとも何か、プロになるのに百年とかかかる、って言いたいんか?」 「その頃は俺等も死んでるんちゃうか」 「そして伝説だけが残った」 「プロにもなってへんのに、伝説が残るわけないがな」 児玉がツッコむ。この二人、日頃の会話はボケとツッコミの役割分担を特に決めていない。 「いやいや、百年かけてプロになろうとしたその心意気が伝説となって老人達の心に灯をともすんや」 「いまわの際に漫才して、遺言が『こりゃまた失礼しました――』」 「あ、それおもろいやんけ。――あ、でも、そしたら先逝く方が断然お得やな」 「何がお得やねん」 「まあまあ」わっはっは。 話がどんどん外れて行くことによって、細川は機嫌をよくしていった。元々楽天思考なので、いつまでも暗くなっていられない体質なのだが。 「まあ、精進していくしかない、って事かな」 細川は自分を納得させるように言った。それでこの話は打ち切りにするつもりのようだった。 「話変わるけどな、細川」 話題転換の機会をうかがっていたかのようにタイミング良く児玉が切り出した。 「何や」 「お前、高校何処行くねん」 「何処行くねん、ってそらいけるとこ行くつもりやけど……児玉はどないすんねん。私立か?」 「いや、別に何処でも構わへんけどな――」 「まあ、高校行かんとプロへの道を選ぶ、ってテもあるけどな」 からからと笑う細川に対して、児玉はいつもの軽い反応を返さず、考え込んでいる様子だった。 「何や児玉、深刻な顔して。何か悩みでもあるんか?」 「悩み、という訳でもないんやけど……」 「言うてみ、言うてみ、聞いたるから。聞くだけやけど」 「……実は胸に秘めた野望がある」 児玉は怪しげな笑顔を浮かべた。 「――漫才師になる事以外の、か?」 一体どんなとてつもない野望なのか、という期待と恐れを抱いて細川は身を乗り出さんばかりして訊く。 「それも込み、かな? 人に言えば警戒されそうな野望や」 「俺も警戒するか?」 「お前は人ちゃうから大丈夫や」 「何でやねん!」パシッ! ――こんな場面でも手の甲ツッコミは忘れない。 「それはええわ――で、どんな野望やねん」 「お笑い王国の設立」 にやり、と児玉は笑う。 「お笑い王国」と聞いて、細川はとあるテレビ番組でお笑い芸人が王様と称して色々なイベントを行っていた事を思い出した。 なるほど、ああいうもんを作るには著名度と企画能力が必要やなあ、などと頭の中で色々考える。 「基本的には、お笑いを中心としたサービス業で成立する国や。第一次産業、第二次産業が全くなかったら国そのものが成立せえへん、って言うんやったら、第三次産業、つまりサービス業に従事する人々、要するに全国民が持ち回りで一次、二次産業に携わってもらうことになるかな」 細川、自分の認識の甘さと児玉の野望のスケールのでかさに一瞬沈黙する。 すっかり目が点になってしまった細川に対して、児玉は期待通りの反応に嬉しそうに笑う。 その児玉の動きに、細川は我に返る。 「つまり――お笑い王国、ってムツゴロウ王国とかやなくって……ホンマの『国』か?」 細川の問いに、児玉はうなずく。 「ああ、言うたかて、統治権とかその辺まで行くと面倒やから、自治体、みたいなもんでもええかな」 「それやったら大木興業みたいにお笑い系企業作ったらええやないか」 それもなかなかな野望や、という細川に対し、児玉は不服そうに首を横に振る。 「俺は、いわば理想郷、桃源郷を作りたいんや。――極端な話、宇宙コロニー作ってそこをお笑い王国にするんが一番てっとりばやいんとちゃうかと思ってる」 細川は児玉と知り合って四年目になるが、これ程まで児玉のことを遠い存在と感じたことはなかった。 「それは……野望と言うより無謀やな」 細川はぽつりと言った。 とたんに、それまで真剣そのものだった児玉の顔が崩れ、細川の手を握りしめてぶんぶんふった。 「有難う! いつかその言葉を言うてくれると思ってたんや! さすが我が相方!」 児玉はこういうお約束的なダジャレ系のネタにめっぽう弱い。 「って……お前、もしかして俺にこの科白言わせるために、この話してネタフリしてたんか!?」 信じられへん奴や! と叫びながら細川は児玉の手を振りほどく。 児玉は楽しそうに笑うこと約一分。その間細川は半ば怒り、半ばあきれて児玉を見ていた。 「いやいや――最初、というか半分はネタフリやねんけどな」 笑いの余韻を残しながら児玉は言った。 「後の残りは何や」 「本気」 先ほどのことから、児玉のまじめな顔はアテにならない、と判ってはいたが、今度の児玉の真剣な顔はとても嘘をついているようには見えなかった。 |