野望実現計画 (1)

野望実現計画2
トップ 創作世界 

 竹島東小学校は一学年三百人前後、全校生徒千七百人のほどほどの規模の小学校であった。組がえは奇数学年時に行われ、結局同学年乍らも名前も知らないで卒業する学童の数は多い。幾度廊下ですれ違っていようとも、覚える気もない人間の顔は覚えられないものだし、それ以前にきちんと顔すら見ていないものだ。
 そんな、幾多もの無関心の出会いの中、細川健一と児玉信行は互いを認識する出逢いをする。
 それは、四年の夏休み直前。
 誰が落としたか、廊下に五百円玉。
 行き交う人々になかなかその存在を気づいてもらえなかった五百円玉はその見返りとして、二人の学童に同時に認知された。
「お」
 細川は声を上げ、自分の真向かいで同時に声を上げた学童に気づいて顔を上げた。
 児玉は声を上げ、自分の真向かいで同時に声を上げた学童に気づいて顔を上げた。
 睨み合う事、約五秒。――動きを仕掛けたのは細川の方であった。
「じゃーんけーん、ぽん!」
 勝負は決まった。細川が買ったのである。
 漫画、おかし、ゲーム――去って行く細川の背に児玉はさまざまな夢が去って行くのを見た。
 気づきさえしなければ、こんな悲しみを知る事はなかった。同じ気づくにしても、あと五分、いや、あと十秒でも早ければあの五百円玉は俺のもんやった。
 一方、去る細川は思わぬ臨時収入に胸をときめかせてた。ああ、じゃんけんが強くてよかったなあ、と幸せをかみ締めていた。しかし、自分が買った瞬間の、恐らく同学年の子の顔は暫く忘れないだろうな、などと思ってもいた。


 その九ケ月後――
 五年へ進級した二人は同じ五年六組の生徒となる。


 細川の家には母親と小学校一年生の妹がいる。父親は外国で商社に勤めていて年に一度顔を会わす程度である。母の木綿子は子供は好きではないらしく、細川はあまりあやしてもらった覚えがない。妹の美知などは自分の保護者は細川だと思っているかもしれない。
 親に人付き合いの術を教えてもらえなかった細川は随分と人見知りの激しい子となった。友達がいなかったため、外に出かける事もせず、テレビを見るだけの生活――細川は肥満児となった。
 これはあかん。僕はこのままでは駄目な人になってまう。
 なんの番組かは定かではないが小学校入学前に見ていたテレビ番組の影響を受けて、彼はそう思い立った。美知という妹ができた事も彼を大人にしたのかもしれない。
 しかし、往々にして子供は直接的で残酷な生き物であり、本能的に自分と異なる部分を持つ人間は仲間と認めず、排除する傾向にある。人並み以上に太っており、運動神経は人より劣る細川は仲間外れやいじめの対象となる事があった。
 ちくしょう。せっかく人が前向きになってるのに何でそれをくじこうとするんや――と理論的、明確な怒りを覚えたかは定かではないが、堪忍袋の緒が切れた細川はいじめっ子相手に暴れた。
 動きは多少のろくとも、子守りで培った体力と筋力がものをいった細川は喧嘩に勝利した。
 しかし、そこでガキ大将にもならなかった細川は同級生と気まずい関係を形成してしまう。
 これはまずい。このままやったら僕は淋しい人になってまう。
 細川はその頃見ていたテレビ番組を参考にして、お笑い芸人の真似をして輪に入ろうとした。
 それが思いの他、ウケが良かった。
 ウケたことで喜びを覚えた細川は次々とお笑い番組にはまっていった。
 ――それが後々の泥沼を呼ぶとも知らずに……


 児玉の家には祖母と両親、中三の兄と小三の弟がいる。父、哲也は大学病院で脳外科の教授、母、成美は大学の薬学部の助教授である。両親は時々専門的な話をするが祖母の夏や子供達にはさっぱり判らない。
 両親が共働き、という事で子供の養育は殆ど夏に任されていた。祖母、と言っても本人いわく七十の現役(何の、かは謎である)でまだまだ元気である。さすが哲也を育てた母、と言う風情を思わせる。
 育児にはあまりたずさわらない両親ではあるが、常に子供達に言い聞かせている事がある。
「野望を持て」。それも、人に警戒されそうなぐらい大きな野望を持て、と言うのである。言う両親は野望を持っているのか、と訊くと答はないものの、ニヤリと笑いを返す。
 子供に接する態度は気まぐれだが、確固たる信念を持つ両親の姿は子供達に尊敬の念を抱かせた。
 両親も、祖母も明るく、家では笑いが絶える事はない。特に夏はお笑いが好きでテレビでお笑い番組があると必ずチャンネルをそこに回した。
 その影響を受けて、児玉もお笑い番組にはまっていった。
 それがこの国を、いや、この星をも動かす事になるのである……


 五年六組。児玉と細川は五百円玉の争奪戦(単なるじゃんけんとも言う)を繰り広げた相手が同じクラスにいる事に気づいた。
 金銭がらみの仲にありがちな気まずさがないわけでもなかった。しかし、それ以上にジャンケンとその間(ま)に、互いが互いの「お笑い資質」に目をつけていたのである。
「よお。五百円玉」
 組替え、すなわち始業式の日の帰り、早速細川は児玉に声をかけた。
「誰が五百円玉や。俺には児玉信行、って名前があるんじゃ。それより、お前の方が五百円玉やないか。持っていったやろうが」
「まあまあ五百円玉。そんなに怒らんと、な、五百円玉」
「五百円玉、五百円玉、ってうるさいやっちゃな。まるで俺が五百円の価値しかないみたいやないか」
「へえ。五百円より高い、って言いたいんか? そしたらいくらや?」
「百四十五センチや」
「そら、身長やろがっ!」
 パシッ! ――細川の手の甲のツッコミが見事に児玉の胸に決まる。
「――お前ら、何漫才してんねん。……っていうか、お前ら知り合いやったっけ?」
 児玉の近所に住み、三、四年で細川と同級生、と言う事で二人を知っている最上淳(モガミキヨシ)が笑い乍ら言った。
 言われてしばし止まっていた二人の時間が動き出す。
「いや、初体験や」
「それを言うなら『初対面』や!」――細川のツッコミがまた児玉に入る。
「しかも、初対面やのうて、二度目やろうが、会うのは」
「いや、会う、って言うんやったら何度でも会(お)うてるやろ。廊下で」
 児玉がしれっと返す。
「うーん、成程ねえ……って、そういう意味とちゃうやろが!」
「――そやから、漫才してんと! 話が進まんやろうが!」
 最上は短気な性格らしく、叫んで二人を制止しようとした。
「こりゃまたしっつれいいたしやしたー!」
 細川と児玉のステレオ放送。
「……」
 最上は絶句し、そのままランドセルをかついで帰り始めた。
「あ、おい、こら、無視するな!」
 方向が同じ、という事で一緒に帰るつもりだった児玉は慌てて鞄をひっつかむ。
 対して既に帰る用意を済ませていた細川はすました顔で最上の横に並んで「最上、あいつの知り合いなんか?」と訊く。
「家が近所や」
「最上、この五百円玉と知り合いか?」
 二人の間に児玉が割り込む。
「五百円玉……?」
「誰が五百円玉や。――ああ、自己紹介しそこねとったんか。俺は細川健一。三、四年で最上とおんなじクラスやったんや」
「最上、こいつ信じられへんねんでー。俺が先に五百円玉見つけたのに、先に取って行きよってんでー!」
「あ、嘘ついたらあかんわ。ちゃんとジャンケンしたやないか。お前もあれで納得しとったやないが」
「いいや、あれは絶対だましうちや!」
 児玉――お笑い系。
 細川――お笑い系。
 身近にお笑い系が二人いたにもかかわらず、その二人が一緒になればどんな事が生ずるか想像だにしなかった最上はぐんなりし乍ら――でもおもろいな、と思いながら――でもぐったりし乍ら、二人が最上という観客の存在に無意識に更に燃え上がっているのにも気づかず、いつ果てるともない二人のやり取りを聴いていた。


 五百円事件(じけん?)の段階でお互い「変な奴……でもおもろい奴かもしれへん」と見当をつけていた二人は自分の予感が正しかった事を確信した。そして、日々話すうち、二人の話のテンポ、そして感性が似たところにあるところから「こいつ相手やったらやりやすいし(何を?)笑いも取りやすい」と感じるようになった。
 二人で漫才師にならんか? ――そう言い出したのは細川であった。
 今のところ、大きな野望を持っていない児玉はうん、と答えた。その代わり、もしも大きな野望を見つけてそれに向かって突っ走り始めたらそんな余裕はなくなるかもしれん、と答えた。
「それでもお前やったらお笑い込みの野望持ちそうやんけ。おもろそうやったら俺も一緒に入れてくれや」
「お笑い込みの野望……それ、ええなあ……」
 漠然とした「野望」という観念しか持っていなかった児玉にとって、「お笑い」の一言は大きな指針となった。


 小学校から中学校へは殆ど持ちあがりで周囲の人間に変わりばえはしなかった。
 細川と児玉は漫研――漫画研究会、ではなく、漫才研究会を先生に拝み倒して作ってもらい、周囲の友人何人かを巻きこんでいった。
 漫研の指導教官となった佐川先生は頼まれれば嫌と言えない人の良い、生真面目な先生であった。根が真面目なもので、漫才研究と言われてそれまで殆ど見たこともない漫才番組をわざわざビデオに撮って何度も見て中身を検討し、そのテのお笑い研究の本を買い集め、家族に呆れられるほど一生懸命勉強した。
 しかし、四十半ばにしてお笑いの研究を始めたとてお笑いのセンスが身につくわけでもなく、更に具合の悪い事に佐川先生はいわゆる「冗談の通じない先生」で細川・児玉の黄金コンビの漫才にも殆ど笑う事もなく、理論的に今の漫才は――と批評したり質問したりした。
 その熱心さとはうらはらに人々は冷めていく――いわゆる「空回り」が生じた。
 一般的にお笑い系の人間は周囲の状況を把握する才に長けている。場の雰囲気を掴み、臨機応変に対応する才能が要求されるからだ。細川・児玉もその例に漏れず、佐川先生が空回りしている事に即座に気づき、こらあ何とかせんといかんなあ、でも、どないしたらええんやろう、などと時折話をしていた。

野望実現計画2へ続く
トップへもどる
創作世界へ戻る