夢より大きい 3

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「麻衣さん、私のフルネーム、知ってますね。俊介に聞いたんでしょ」
「……ん」
「でも、その前まで知らなかったでしょ」
「まあ、……呼び方さえ知ってたら、別に……」
 −−えっと……なんと呼んだらいいのかな?
 −−「うーさん」とでも呼んでいただけたらよろしいです。
「だいたい、私の周りには、私に関して二種類の人がいるんです。私を無視する人と、私の事をいろいろと訊く人と」
「……どちらかというと、うーさん、って人の話を聞くような感じじゃない?」
「私もそう思うんですが……。相槌もうまくありませんし、表情に乏しいから、反応の欲しい人としては不満なんでしょう。反対に『どうしてそんなに表情がないんだ』などと言われます」
「−−そう言いたい気持ちは判るけどね。私もそう思うときがあるから。−−でも、どうせうーさんも判らないんでしょ?」
「はい。けれど、判らないと言ってみたところで、相手は納得してくれませんし」
「よっぽど合わない人間とつき合ってたんじゃない?」
「じゃ、麻衣さんとは合うんですね」
「……あってんのかどうか良く判らないけど……」
 タイプとしては全然合ってないと思うんだけど−−ね。
「非常に親しいというのは、互いに互いを知っている場合だけを指すのではないそうです」
「−−へ?」
「そういう、情報的なものを全く除外した−−言うなれば、無関心の上に成り立つ関係です」
 ……わからん……。
「一族の中にいて、いろいろと意見を言わされたり、人の話を聞いたりして思ったんです」
「−−何を?」
「腹に一物抱える人たちは、私の一言一句聞き漏らすまいとしているので、私は迂闊なことが言えず、自分の言葉に責任を持たなくてはいけませんでした」
 −−自分の言葉に責任を持つうーさんの図。……いまいちピンとこない。
「俊介は、私に好意的でしたが、反対にそれが少し重荷に思えました」
 でー、そんなこと言われちゃ、私はうーさんに好きだなんて言えないじゃないの。
「それじゃ、どんな人となら私は快く接することができるのだろう、と考えたとき、この小さな店のお客さんの顔−−特に麻衣さんの顔が浮かんだんです」
「−−」
「麻衣さんなら、私が岡村家の跡継ぎだろうと、ただの骨董屋の主人であろうと−−もし、宇宙人であろうとも、別に気にしないだろうと−−」
「うーさん、宇宙人なの?」
「いえ、例えばの話です」
 ……うーさんが言うと何か本気に思える……。
「私、宇宙人に見えますか?」
「宇宙人にあった事ないから判らないけど−−地球人に見えるわね。精神構造なんかは一般人とは違うみたいだけど」
「それはお互い様でしょう」
「−−」
 ……言ったわね。言ってくれたわね。あっさりと。
「麻衣さんといると、責任や、負担以前に、ただの『一個人』になれるような気がするんです」
 そして、これまたあっさりと話題を変えてくれるわけだ。
「−−好きですね。自分自身がそういう状態になる事は嬉しいし、私をそんな人間にしてくれる麻衣さんはもっと好きです」
 う、うーさんは……照れというものがないのか!
「そんな感情で、笑えたのかもしれません。私の笑顔を二度も見た人なんて、そうそういませんよ」
「……そんなに笑わないの?」
「今まで、片手か両手で数える程、でしょうね。恐らく」
「−−うーさんは、笑いたいの?」
「私個人のために笑う気はありませんが、他人と面している私に関しては、私が適切なときに笑いさえすれば場が和むだろう、という事が判るので笑いたいです」
 ……何だろう。
 何だか、今迄と違う意味で、私は亦うーさんを好きになっている。
 うーさんは−−何て素直なんだろう。何て素敵なんだろう。
 こんな人、見た事がない。この人に会えて、良かった。
「私も、うーさん好きだよ」
 私の方は、とびっきりの笑顔を浮かべてしまった。うーさんは、心持ち、目を大きく見開いていた。多分、驚いてるんだろう。
「今迄の、振られてどうのこうの言ってた人たちに対する感情とはちょっと違うような気がするけど……」
「それじゃ、結婚はどうするんですか? 一人好きな人がいたら他の人は好きになれない、って言ってたでしょ」
「−−うーさんとしようか、な……?」
 七割か八割方本気で口にしてみる。
 −−どうやら、うーさんは絶句している様子。
「いや?」
「……いや、いやというより……全く考えてなかったことで……そうですね。よく考えると、私も結婚できるんでしたね」
 −−。この辺の考えが私とは根本的に違ってるのよね。
「しかし……本気で言ってるんですか?」
 う、うーさんが……うろたえてる。
「冗談のつもりではないけど−−もし、うーさんが冗談にして欲しいんなら、冗談にしてもいいけど」
「冗談は……。私の場合、自分に自信がないですから、そういう−−」
「『結婚』って、人一人背負い込む、って事じゃないんだよ! うーさんはそう思ってるかもしれないけど!」
「−−」
「喜び二倍、悲しみ半分、なんてバカ気た事言う気もないけどね」
「−−じゃあ……麻衣さんにとって、『結婚』って何ですか?」
 ……難しい事訊いてくれるじゃないかよう……。
「うーさんは? 自分にとって、でなくてもいいから」
「私に訊いても無駄です。私にとっては『結婚』は一世帯増える程度の事ですから」
 −−なんて即物的な……。
「だから、麻衣さんがどうしてそんなに結婚にこだわるのか不思議だったんです」
 −−私にとって、結婚、って何だろう……。……家族……子供……家……。
「自分の……土台。帰る場所を、自分で作るの。自分達で、根を張る大地を作るの」
「そういう事なら、私は麻衣さんと結婚できます」
「−−」
 びっくり。
「さっきから言ってるように、私は自分に自信がありません。私は根無し草です。でも、麻衣さんは、私のそばに来たらいつでも『うーさん』って私を呼んでくれますから」
「−−? 呼んだら、何なの?」
「しっかりと私を呼んでくれるので、その分、私の存在がしっかりしてくるんです」
 あぱらぱ。私、そんな大層な事してない、って。
「麻衣さんは無意識にそうしてくれているんでしょうけど−−無意識だからこそ、うまくいくと思います」
 うまくいく、って……結婚の事かしら。
「きっと、麻衣さんが『うーさんなんか嫌いだからあっちへ行って』と言ったり、ひどい悪口を言ったとしても、私は麻衣さんを嫌いにはならないでしょう。そんなことを言っても、麻衣さんは心の何処かで私を肯定してくれている事を私は判っていますから」
「……私は……」
 そんな、うーさんに賞賛されるようないい娘じゃない。うーさんこそ、私の存在を肯定してくれた。力一杯人を愛して、その愛が破れて自分の根本すらも崩れてしまいそうになった時、かろうじて支えてくれた一本の棒だった。崖から落ちて運良く木に引っかかって、でもその高さに目がくらんでその手を離してしまいそうな時、目の前に降りてきた一本のロープだった。
「−−でも、もし、私が結婚して、二度と此処に来なかったら、どうするつもりだったの?」
 どうもしないだろう、という事が判ってい乍らも、かすかな期待を抱いてそう訊く。
「もし、二度と来なくなっても−−麻衣さんは私の事を忘れたりしないでしょ。それでいいんです。私はいつでも此処にいる。此処にいて、苦しければ話を聞く。その程度のことを忘れないでくれればそれで充分です」
「……そ、そんな消極的じゃ判んないじゃないの。もし、うーさんが私の事好きだとしても、私には判らないじゃないの。何で生きてるくせにそんなもったいない生き方してるのよ。人生長いんだから、そんな風に人の事考えて、気にして、おじんくさく生きるなんて後回しにして、もっと有意義に暮らしなさいよ。表情に乏しくったって、口でいくらでも言えばいいんだから。口調だってちゃんと変わってるんだから。そんな、隠居みたいな生活して、人に言いたいこと言えなくて、後悔しても知らないんだからね。岡村さんだって、うーさんの事大好きで、憧れてたのに、うーさんが消極的で無責任で逃げちゃったもんだからショックだった筈なんだから。私は岡村さんの気持ち判るわよ。ちょっとしか喋ってないけど−−あの人も、私も同じようにうーさんが好きで、できる事なら苦しいときに、うーさんにそばにいて欲しかったんだと思う」
 何言ってんの、私。自分で、もう、何言ってるんだか判らない。
「そう言われても……私は、自分の行動の基準を最大人数の望む方向にする事にしているので−−」
「自分でしたいことはないの?」
「少しぐらいは私のような人間がいないと、この世界のパランスというものが−−」
「だから、って、人の言うことに従った顔して自分の行動の責任を人にとらせるなんてひどいじゃない」
 あ……こ、これは……失言じゃなかろうか……。
「そう言われてみればそうですね。−−でも、私はもう、此処までそう生きてきたので、これからもその生き方を変えることはできないと思います」
 −−そんな事、判ってる。うーさんは、このままのうーさんだから……私は好きなんだ。このまま、何年経とうと、たとえ世界が五分後に滅びてしまうと知ったとしても変わる筈もないうーさんが、私は好きなんだ。
「でも、私、うーさんの行動の責任なんて取れない。自分の事で手いっぱいなのに、人の事なんて、構ってられない」
「麻衣さんはそのままでいいんです」
「−−」
「麻衣さんが麻衣さんのままで生きていくだけで、私には充分なんです。−−たとえ、変わってしまっても、私は構いませんが。外見や、外見についてるラベルが私を支えてくれる訳ではないんですから」
 うーさんが−−根なし草だなんて、そんなの嘘だ。土台を持たない人が、人を−−人の全てを肯定して、それでも尚自分を見失わないなんて、できる訳がない。海溝のように深い−−深い心が、こんなにも人を支えている。その中に、私が全てすっぽりと入ってしまいそうな心の大きさが、うーさんにはある。
「麻衣さんは、私を−−私のまま、見てくれますから」
 私は、何だか胸がいっぱいで何も言えないまま、うーさんを見ていた。そして、珍しくうーさんの方が視線をはずした。照れたり、私の視線を受けるのが辛くて視線をはずした訳じゃない、って事ぐらい判ってた。
 私も、うーさんから視線をはずす。
 うーさんは−−うーさんの中では、きっと全てのものが同じぐらいの愛しさで存在するのだろう。あらゆるものが同じ線上に存在するのだろう。自分より優れたものも、自分より劣ったものも−−もしかするとそういう意識すらなしに−−愛せてしまうのだろう。自分の中でそれらのものの存在を許してしまうのだろう。
 私には、きっとそれは耐えられない。私は女だから。私はいつでも一番に愛して欲しいから。他の人間や生き物と同様に扱われるだ何て許せない。
 もし、私がうーさんと一緒になったら−−私は浮気してしまうだろう。私はいつでも一番に愛して欲しいから。自分を一番に愛し、愛される人を求めてうーさんの元から離れてしまうだろう。私がうーさんに感じているのは、決して「愛」なんてものじゃない。到底そんなものにはなりえない感情。名もない……。
 結婚が、「愛」でなく「土台」を作るものであるなら、私はうーさんと結婚できる。結婚しないでどうする。
「でも−−私、浮気するし」
「そういう問題じゃない、って事ぐらい、麻衣さんも判ってるでしょ」
「でも−−うーさんには浮気して欲しくない」
「私はする気はありませんが−−結果的になってしまう、というのは私ではなく、麻衣さんの努力によるもので−−」
「そ、そんな事まで私におっかぶせないでよ!」
「そう言われても……」
「私は−−私が淋しいときにうーさんにいて欲しいのよ! 私だって、うーさんに『麻衣さん』って呼んで欲しいのよ!」
「呼びますよ。私の所へ来て下されば、いつでも麻衣さんの話を聞きます」
「それぐらい、判ってるわよ。何年のつき合いだと思ってるのよ。−−私の泣き顔見たことある人なんて、本当にいないんだからね」
「はい」
 ……そう素直に答えられて、私は一体何と言えばいいんだ。
「−−麻衣さん、本当に結婚するんですか?」
「子供の四五人は欲しいな」
「子供……ですか」
「欲しくない?」
「いえ、欲しいとかそういう事ではなく、そんな事が自分に降りかかろうとは思っていなかったものですから」
「じゃあ、これから考えればいい。私も一緒に考えるから」
「……はい」
「本家とは縁を切ったんだったっけ?」
「はい。俊介とは亦会うと思いますが」
「それじゃ、結婚の挨拶はどうなるのかな?」
「いらないでしょう。それより、私はどうしましょう?」
「まずは田舎の家族に知らせないと−−」
 何となく、夢の中を走っているような気がしてうーさんを見た。
「後悔しているんですか? やめるのなら、いつでも辞めて下さっていいですよ」
「う、ううん。そうじゃなくて−−何て言うのかな……」
 子供の頃から夢だった「結婚」とは全く異なったものが目の前にある。そう言う意味では私は失望してしまってもいいだろう。けれど−−失望なんて、冗談じゃない。恋愛につきものだったウキウキした気持ちや焼け付くような情熱はないけれど−−
 そう、「けれど」。
 とんでもないな。とんでもない。こんな感情、私には絶対縁がないと思ってた。私は、女で−−とても、女で−−
 信頼、だ。安心感でもある。それらの感情を、うーさんはその存在だけで私に与えてくれた。その心だけで私にこんな感情を抱かせてしまった。
「うーさんに、逢えてよかったなー、と」
「そう言われると、私も嬉しいです」
 ふと腕時計を見ると、もう六時ぐらいになっていた。たしかこの店に入ったの二時ぐらいだったと思うけど……。
「うーさん、飲みに行かない?」
「……お酒ですか? 今まで飲んだ事ないのですが……」
「! 本当?」
「はい」
「−−じゃ、飲みなさいよ。飲んで、理性がぷっつんいったら−−表情も、感情も、解放されるかもしれない」
 理性がぷっつんいくのは私か。
「判りました。じゃ、二階に上着取りに行きますね」
「じゃ、ストーブ消しておくから−−あ、うーさん」
 これだけは言っておかなくちゃ。
「はい」
「もう、いらないから−−敬語。岡村さんに対して言ってた時みたいに、常体で話してくれたらいいから」
「……おいおい、努力はします」
 −−。ま、長年の習慣だからね。
 かけてあるやかんが湯気を吐いている。アラジンの石油ストーブを消す。上着を身につけ、鞄を持って、うーさんを待つ。
 「愛してる」なんて言えない。恋ですらないかもしれない。「好き」としてもそれは何か違うかもしれない。
 でも−−この、今まで私の知らなかった、名もない感情。
 一緒に生きていける。現実として、とても厳しいものになるのは充分に判っているけれど、一生、一緒に生きていける。還っていく人だから。還って来るひとだから。
「さ、行きましょう」
「うーさん、敬語」
「行こう?」
「うん」
 そう−−失望? とんでもない。自分の全く考えつかなかった形の幸せを、うーさんは示してくれたの。今。そして、これからも、ずっと。
 これからも、ずっと。
                                (おしまい)
                             初書 90.8.11-8.28

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