宇宙人の名前
「君、宇宙人?」 いつもの会話が途切れた時、興人(おきと)はポツリと訊ねた。 みぐはなにか言おうとして開いた口をそのままに、ゆっくりと左を見た。 三年間、否、初めて会ってからだと五年間、ぼんやりと眺めていたような気がする興人の顔を見た。 視線がぶつかる。 興人は、少し照れたような表情を浮かべてみぐを見つめている。 みぐは顔はそのままで、視線だけ右に泳がせ、その動きにつられたように顔を正面に戻す。 「……だとしたら、どうする?」 口を大きく横に広げる、イジワルな笑み。 その、いつものみぐの表情に、興人は微笑んだ。 みぐは人見知りの激しい、そのくせ自分のことは判って欲しいわがままな娘だった。 自分から話し掛けることはせず、話し掛けられても話を膨らませるような返事をしないので会話が続かない。だからといってなにも考えていないわけではなく、色々と考えているにもかかわらず、言っても意味がない、と口数少なく生きていた。 その結果、友人は少なく、恋人もできなかった。 しかし、大学に入って二回生になって同じクラスの興人から付き合って欲しいと告白された。 頑固者だが気はやさしく、真面目で数少ない皆勤学生仲間である興人は、幾ばくか会話を交わすうちに友人となった数少ないクラスメイトだった。 異性として全く意識していなかった訳ではなかったみぐはかなり悩んだ末、その申し出を受けた。 興人と一緒にいる時間が長くなるにつれ、みぐの、軽い会話を交わす程度の友人時代ならば繕う事のできたわがままや自分勝手さがどんどんボロを出し始めた。 しかし、どうやら興人はそんなみぐの性質を判っていたのか、なにも言わず容認した。 自分のわがままを聞き届けてもらえるのを知り、みぐはますますわがままに振舞った。 しかし、興人はそんなみぐの言い分にも微笑みで返し、言うことを聞いてくれた。 多少興人は頑固なところが合ったがうまい具合にみぐが固執する部分と重ならなかったため、争いは起きなかった。 みぐが押し、興人が流す。 そんな二人のつきあいだった。 人から見れば些細な出来事だっただろう。 つくりもののドラマに、日頃殆どテレビを見ないみぐはいたく感動した。 自分とは全く対照的な人格を持つ主人公に憧れた。 人間はもって生まれた性質、そして環境で固められた性格はそうそう変えられるものではない。しかし、目指す目標があるならば、行動のパターンを変える事はできるはずだ。 変に人生論を振りかざす性癖を持っていたみぐはそう常々考えていた。 今がそれを実行する時だった。 人格者になろう。いや、なる事はできない。でも、人格者のように振舞う事はできるはずだ。 大切にしよう。自分の周りの人を。いてあたりまえだと思っている、自分の周りの人を大切にしよう。 思ったことをすぐ口にするのではなく、一度、相手の気持ちを考えてから言葉を発しよう。行動しよう。 ほんの心がけ次第でできるはずなんだから。 「君、宇宙人?」 みぐが決意堅く、朝から行動し始めた日の夕方。 下宿までの道のりで、興人は会話の間隙を縫ってポツリと言った。 たわいのない話を切り出そうとしたみぐの口がなにか別の言葉にすり替わろうとして、結局なにも言えなかった。 そして、興人を見た。 本気で言ったわけではないのは判った。少し照れたような顔がそれを物語っている。 今日、みぐは頑張った。自分で誉めたいほどに頑張った。そんな変化に誰も何も言ってくれなかったことに、実は不満だった。 思ったほど自分は思いやりのある行動ができなかったのか。それとも、自分のやってる事なんて、みんなそんな意識してくれていないのか。それとも……まあない事だろうが、一生懸命思いやりを発動していたつもりだが、いつもと同じ行動パターンだったのか。 そんな風に頭の中で色々考えていた。 ――なんだ、見てたんだ。 でも、宇宙人、って、なんでそういう表現になるんだよ、子供じゃあるまいし。 ……らしいけどね。 興人から、視線をそらす。いつの間にか足は止まっていた。 「……だとしたら、どうする?」 にい、っと、笑う。 ちょっとイジワルな気持ち。でも、どんな返事が帰ってきても、平気な気がした。 いつから気づいてたんだろう。どうやって言おうか考えてたんだろうな、この人は。 やれやれ、私もそうだけど、この人もなかなか扱いにくいよ。 考えてる事とは別の部分で、妙に温かい気持ちが胸に満ちていた。 「ホンモノのみぐさんは?」 「とりこんだ」 しれ、っとみぐは答える。まるで質問を予測していたように。 「んじゃ、いいや。みぐさん込みなら。宇宙人でも」 しれ、っと興人は答えた。まるで答えを用意していたように。 みぐは再び歩き始めた。 その歩みにあわせて、興人もゆっくり歩き始めた。 「あんた、変わりモンだね」 「宇宙人さんよりマシでしょ」 にやにやにやにや。 その日から、みぐは宇宙人と呼ばれるようになった。 (おしまい) 初書 2002.1.12.-1.15. |