河内音頭に抱かれて・14

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14 河内音頭に抱かれて

 「こんなとこでいつまでもうだうだしててもしゃあないし、踊りにいかへんか?」
 兼雄、霞、貞子、そしてその他の群衆のいる河内櫓近くの喧噪に嫌気がさしたのか、それともただ単に踊りたいだけなのか、秋は冬哉に声をかけた。
「……何で、俺がお前と踊らなきゃいけないんだ?」
「別に一緒に踊ろう、って言うてる訳やないけど」
 秋は別段起こった様子もなく、引き下がった。
「……別に、このだらだらした連中から離れるのは嫌じゃない」
 自分のあからさまな態度を大人げないと思ったのか、冬哉は切り返して自分から河内櫓から遠ざかった。虚を突かれて秋は暫く冬哉の後ろ姿を見ていたが、その姿が消える前に背中を追いかけた。
 今度は秋が先導する形で輪に加わった。一般の人の集団で、衣装も踊りもまちまちである。
「佐々木さんは、踊ったことあるんか?」
 今更引っ込みが着かなくなった冬哉は仕方なしに手を動かした。
「ない。……いや、一度だけ、小学生の時に。いや、あと、中学校でも運動会が終わってから……しかし、覚えてないぞ、こんなもん」
「まあ、一回でも踊ったことがあるんやったら、結構すんなりと踊れるモンやで。まあ、俺の振り見て、適当に踊ったらええ。振り付けなんか、適当なモンや。適当な唄に適当な踊り。この適当さが河内音頭のええとこや」
「節操がないんだな。……だからいやなんだ」
「何? 何か言うたか?」
 二人して前後になっているときは言葉はお互いに届かない。二人が話すことができるのは横に並んで手を叩き、足を踏みならす短い間である。それでも普通は黙って自分の世界に入り込んで踊り続けるものだが、先程の異常な出来事のせいか、二人の口は相手を求めて開かれた。
「大阪の人間は、節操がなくて嫌だと言ったんだ」
「またその話か……言われても、俺はそういうとこ、気に入ってるからなあ。しゃあないなあ、そういう風にそり合わへんのは、としか俺には言いようがない」
「……どうして、錦糸町の方に肩入れした? 反対だろう、お前の立場だったら。東京は好きなのか?」
「東京が好き、と言うより――うん、東京は住むようなところではない、っちゅう認識はあるで。仕事しにくいもん。狐と狸の化かし合いや。
 ――ただ単に、河内音頭が好きなんやな。まあ、おとんも好きやと思うけど、そう言うのとはちょっと違うんやろう。俺は別にこっちに河内音頭ドームができてもええと思う。音頭とドームでおんどーむ、っていうネーミングだけはどないかして欲しいけど」
「何で盆踊りに来た? 霞のことは諦めたのか?」
「諦められるかどうか、まだ判らへん。けど……もう、霞ちゃんの気持ちは佐々木さんのもんやねんやろ? まあ、これからどないなるか知らんけど。俺は、多分、霞ちゃんに大阪を見てたんやと思う。自分の心のよりどころとして、霞ちゃんのことを想ってたんやと思う。それやったら、もしかしたら他の人も好きになれるかもしれへん。そやから、まあ、何とかなると思う。何とかせんと、俺が情けない」
 盆踊りしながら話す内容やないなあ、と思いつつも秋は口を止めることができなかった。恐らく、こんな女々しいことを言えるのはこれで最後だろう、と考えていた。最後にしなくては、と思った。
「こんなとこにいたー!」
 霞が嬉しそうに秋の腕に抱きついた。
「もう、何処行ってたんよ。雪丸さんと、貞子さんで一生懸命探してたんやから。踊りに行くんやったら、そない言うといてえや!」
 言って、霞は冬哉に気付く。長髪の浴衣姿の男の方が秋よりも余程見つけやすいと思うのだが、何故か霞は秋を先に見つけた。
 霞ははしゃぎすぎた自分に少し照れるように、冬哉に微笑みかけ、その後ろに並んで踊りだした。
「ずっと……秋君と踊ってたんですか?」
「……ああ。……まあ、こう、何も考えずに手足を動かす、ってのも、楽しいもんだな」
 冬哉がぼそっとそういうのを聞いて、霞はぱあっと明るい表情を浮かべた。
「そうでしょ! そう言うところから、始まるんですよ!」
 「始まる」と言った霞の言葉に、冬哉は何が始まるのか、問いかけの言葉を発しかけた。が、答えを聞くのが怖くて、何も言えなかった。
 二人が楽しそうに踊っているのを見て、貞子は嬉しそうだった。
 秋はそっと二人から離れ、兼雄と一緒に踊った。その後で一緒にまた河内音頭を唄ったりした。
 その日の河内音頭は近年ない盛り上がりを見せ、警官が「もう帰りなさい」と警告を出す夜中過ぎまで続けられた。



 知事の視察、と言う晴れがましき錦糸町河内音頭はいまだかつてない大成功を納めた。大阪の河内音頭連合の後押しもあって、関東おんどーむ計画は試行されることに決まった。
 雪丸達の本心としては、やはり「東京人はいけすかん奴」なのだが、「それでも河内音頭に関わってる奴はまだましかな」と相変わらず偉そうな口振りをやめなかった。
 
 冬哉と霞は相変わらずのオフィスラブである。河内音頭から、二人の仲の堅さが少し取れたようである。霞は二人の時は冬哉に敬語を使うのをやめた。そのうち、二人のつきあいは貞子の知るところとなる。河内音頭の当たりから、何かを感じていたのかも知れない。

「こんにちわー」
「あ、霞ちゃん。ちょうどよかった。今日は得丸君も来てんで」
「え! ホンマですか?」
 河内音頭以来、霞の秋に対する態度が変わった。どうも、あの苦難を乗り越えた同志としての気持ち、そしてその度胸に対する尊敬の気持ちが加わっていた。
 秋としては、霞と時々は河内音頭の練習場で会えることがちょっぴり嬉しかった。
「そうそう、得丸君が、取引先のお嬢さんに気に入られて、今度デート申し込まれたらしいでー」
「いや、デートやのうて……それに、お嬢さん、っていう年でも……」
「え? 年上? いくつなん!」
「女性に年は訊けへんでしょう」
 そんな会話を、霞はちょっと嬉しく、ちょっと淋しい複雑な気持ちで聞いていた。
「あー、もう! 三味線弾きも来たことですし、始めましょう! 今度の八朔で大阪行くんでしょう? 赤っ恥かきたくなかったら、もうちょい精進して下さいよ!」
 秋が言うと、何故か雰囲気はしまった。
 しかし、雰囲気がしまったとは言っても、そこで始まるのは河内音頭である。
「さては 一座の皆様
 わたくし得丸申しますわあああ……」
 霞の三味線に合わせて唄う秋の心地よい河内音頭に抱かれて、一同は踊りの世界に入り込んでいった。


                                             (おしまい)
                                             初書 1998.8.25.

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