河内音頭に抱かれて・12

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12 決意と転換

 川中建設は大会社なだけあって、盆休みは十日から十七までの長期にわたった。家に帰ってしまえば毎日あちこちの櫓に呼ばれて河内音頭三昧になることは目に見えている。そうなったとしても、冬哉にはばれないであろうから、霞と会えなくなる云々については心配はしていなかったが、なんとはなし、以前のように櫓に乗ることを当然、とも嬉しい、とも思えなくなっていた。
 俺も、都会にそまってしもたんかなあ……。
「上田、電話」
 部屋にかかってきた電話を同室の同僚小野木がとった。
「誰?」
「知らん。おばさん」
「……有難う」
 一瞬、秋の頭に貞子の顔が浮かんだ。しかし、貞子なら寮の電話にかける、などというまどろっこしいことをするはずもない。母親か、と思って電話にでたとき、思いもよらぬ声が耳に響いた。
「得丸君? うちやうち、敏江!」
「……。き、木田のおばちゃん?」
 なんで!? という疑問符いっぱいに秋は声を上げた。
「元気でおるか? なんや、結局東京になってしもて、こっちは淋しいわ」
 貞子と言い、この木田(覚えてらっしゃる方もおられるであろうか。雪丸の元で唄の練習をしている初老衆の一人である)といい、河内のおばちゃんは唐突に思いもよらぬ方法で電話番号を調べて連絡を取ってくるから恐ろしいものである。
「おばちゃんこそ、元気かいな。そっちは相変わらず暑いんか?」
「相変わらずや。いやー、得丸、大阪弁のままやねんなあ。よかったわ。もしか、東京弁になってたらどないしよ、と思とった」
「こっちの人と喋る時は東京弁やで。喋ったろか?」
「いらんわ。そんなん聞いたらさぶーなる」
「……で、何か用か? まさか、何の用もなしに電話してきた訳やないやろ? 電話番号はおっかさんに聞いたんか?」
「ご名答、や」
「で、何なん?」
「……」
 珍しく、木田は言いよどんだ。
「どないしたん? 別に、悪い知らせとか、そんなんとちゃうんやろ?」
「得丸、雪丸はんが東京にでてくる、って話、聞いてるか?」
「……。何やて?」
 木田の軽い溜息が受話器越しに聞こえた。
「なんや、盆に東京で河内音頭がある、っていうやないか」
「錦糸町の盆踊りか?」
「確かそんな名前やったと思う。それで、雪丸はんとか山下はんとか、唄いに行くらしい」
「山下はん? 中林はんやのうて?」
「うん……。なんや、関東おんどーむ、って河内長野の河内音頭ドームみたいなんを、錦糸町に作る話があるんやて? それで、東京の知事が視察に来るとかなんとか……」
「……それで、まさか妨害しよう、ってつもりなんか!?」
「いや、そこまでははっきり聞いたわけやないけど……中林はんならまだしも、山下はんが東京に行く、って聞いたら……それしかないやろ……」
「……」
「……まあ、正直な話、うちは別に関東にドームができようが、そんなことはどっちでもええねん。東京のことは好かんけど、別に嫌悪してるわけやなし……そやけど、得丸、そっちの河内音頭の団体と仲良くやってんねやろ?」
「仲良く……かどうかは知らんけど、交流はあるなあ」
「ほな、知らせるだけでも知らせとこうと思って……。そやけど、盆はこっちに帰ってくるんか? 雪丸はんは得はもう知らん、みたいなこと言うてたけど」
「……実は未だ決めてへんねん。錦糸町の方も、取り敢えずお誘いは受けてるけど」
「こっち帰っておいでーや。久々に得丸の若々しい声が聞きたいわー」
 すっかりアイドルに対する憧れめいた声で木田は言った。最近は何か、おばちゃんづいてるよなー、と秋はぼんやりと考えていた。
「まあ、そっちに帰ったら、唄うとは思うけど……そんな事なってるんやったら……」
「うち、余計なこと、言うてしもたかなあ」
「ん? あ、ああ、ううん。誰もそんなん、教えてくれへんかったから、有難い。まあ、自分から、ちょっと集団から遠ざかってみよう、と思ってはおってんけど……。有難う」
「いや! 有難う、なんてそんなんわざわざ言わでもええて! 照れくさいやないの! うちと得丸の仲やない!」
 そんな仲になったつもりは一円もないのだが、そういうツッコミは入れても無駄なのは判っていたので秋は黙っていた。
「まあ、また唄いに帰るわ。正月は戻るし」
「それまでは戻ってけえへんのかいな」
「大型連休はそれぐらいしかないからなあ」
「新幹線で2時間ちょっとやないの。たまには元気な顔見せてーや。唄にも身が入れへんわ」
「まあまあそない言わんと。ほな、また、なんぞあったら電話して」
「何ものーても電話したら、あかんのか?」
「……。おばちゃんの常識に任せるわ」
「……相変わらず憎い言い方しやるわ。ほなな」
「ああ、元気でな」
 思案に暮れた表情で秋は受話器をおろした。今時珍しい黒電話はチン、と軽く鳴いた。
「上田が大阪弁喋るの、って電話の時しか聞かんけど、変な感じするなあ」
 日頃は口数も少なく、人のプライベートに滅多に立ち入らない同室の小野木が言った。
「え? 違和感あるか?」
 答えた言葉は既に標準語である。
「うーん……聞き慣れるとそっちの方が自然かなあ」
 当の小野木は中国地方の訛がいっこうに取れない。
「また、河内音頭か?」
 別に揶揄する口調もなく、小野木は言った。
「まあ、な。こっちにいても、あっちに帰っても、やることは一緒。……どっちがましかねえ」
「そりゃあ、家の方がいいだろ」
「……それもそうだな」
 そこで話は途切れたが、秋の頭の中ではまだ思考がつながっていた。
 本当に、父親が錦糸町の河内音頭をぶっつぶしにかかるのか――当の本人に聞く、もしくは母親に話を聞くのが一番早いのだろうが、そうすればこの話に自分も巻き込まれてしまうのは火の目を見るより明らかだ。少なくとも、自分は関東河内音頭振興隊に対して悪感情を抱いていない。今、一番悪感情を抱いているとすれば、それは――

 「佐々木さん……錦糸町の河内音頭に行きませんか?」
 久しぶりに霞の方から冬哉に食事の誘いをかけ、平日のデートとなった盆休みも近い水曜日。食後のコーヒーを飲んでいると、霞はそう切り出した。
 思わず冬哉はコーヒーを吹き出しそうになった。しかし、霞がそんな話を切り出すのはまったく考えられない事ではなかった。
 すべての原因は貞子――自分の母親にある事は判っていた。
 渋る自分から秋と霞の電話番号を聞きだし、秋は来られないが、霞は時々河内音頭の練習に三味線を弾きにきている事、等が聞きたくなくても勝手に話されていたのだ。
 その次に来るのは間違いなく、盆踊りへのお誘いだとは思っていたが、まさかそれが霞の口から出るとは思っていなかったのである。
 冬哉の反応は霞にとって充分予測できるものであった。
 貞子から話を聞いた今、冬哉が河内音頭、そして大阪人、大阪弁を嫌悪している事は重々承知している。貞子と自分はそれでも例外的に認めてもらってはいるが、あまりに押し付けがましい事をいえば嫌われてしまうだろう、と言う事も判っていた。
 しかし――そこで消極的に、冬哉のいう事をうんうんとうなずくだけの女の子にはなりたくなかった。確かに、冬哉に嫌われてしまう事は霞にとって恐怖以外の何者でもなかったが、それ以外に、それ以上に守りたい自分がいることを、霞は知ったのである。
 だが、その自覚を促したのが実は秋の存在である事は、霞は気づいていなかった。
「今年だけでいいです。私の晴れ姿、見てもらえませんか?」
「三味線……やるんだ」
「一度だけ」
 言っても、聞くような雰囲気ではないな、と冬哉は思った。
 自分が思っているより、霞はきかんきが強いのかもしれない、とも冬哉は思った。
 しかし、だからといって霞を嫌いになってしまうには、実は冬哉は霞の事を気に入っていた。むしろ、おとなしいだけだと思っていた霞の意外な気骨を見た気がして、何だか嬉しくなっていた。だが、手放しに嬉しい気持ちになれないのは、母親が一枚かんでいる事を知っているためであろう。
 冬哉が思ったほど嫌そうな顔をしなかった事で、霞は期待を顔に出した。悪い事をしておきながら、母親の顔をうかがうようなちょっと嬉しそうな霞の顔は、とてもかわいらしく、冬哉は嫌とは言えなくなっている自分に気づいた。
「上田は……来るのか」
 柄にもなく照れかけた自分を誤魔化すために、冬哉はわざとそんな話題を持ち出した。案の定、霞の表情に影が走る。
「知りません。でも……きっと、来ないと思います。唄うとしても、地元の方で唄うんじゃないですか?」
「中野さんは……あいつの唄ったところは見たことはあるのか?」
「はっきりとは覚えてないんですけど……。小学生ぐらいのときに、ちびっこの歌い手、とかいって、あわせた事はあったと思いますけど……なんでそんな話するんですか? ――私、もう、秋君の事は忘れましたから」
 霞が秋のことを忘れたとしても、冬哉自身がこだわっているのだが、そのことを冬哉は認めたくなかった。また、霞が秋の事を忘れたと言っても、冬哉には霞の大阪的気性に秋の影を見つけてしまうのだった。
「佐々木さんは……河内音頭、嫌いなんですか?」
 思い切って、霞はズバリ訊いた。うかがうような、それでいて芯の強さを感じさせるような言葉ぶりに、冬哉は再び驚かされた。
 ――不思議と、こんな場面がいつかあったような気がした。そんなはずはないのだが、そんな気がした。
「嫌い――って訳じゃない。好きでもないけどな。踊ったことがない、って訳でもない。……河内音頭は何も悪くない。それは判ってるから」
「河内音頭は悪くない、って……そりゃまあ、そうでしょう」
 冬哉の言葉がなんだかおかしくて、こんな場面にはふさわしくない、とは判っているものの、霞は思わず笑ってしまった。
「嫌いか、好きかの問題でしょう? 要は」
「中野さんは? 好きなのか?」
 問われて、霞は言いよどむ。
 素直に好きとは言えない。秋や、母親のようにのめり込むことはできない。だからと言って、嫌いなわけではない。適度な距離を持ってその行く末を見ていたい。……。
 そこまで考えて、霞はつい最近も同じようなことを考えていた事を思い出した。しかし、それは河内音頭に対してではなく――
「好き、ってまっすぐに言えるほどのものじゃないです。……でも、愛着はありますね」
 本当は、何一つ事態はまとまっていないのは判っていたが、霞は何故かすがすがしい気持ちになっていた。心のもやもやが整理できたような気になっていた。

 関東河内音頭振興隊が初めてステージで河内音頭を披露したのが十一年前。
 野外にでて、櫓を初めて組んだのが八年前。錦糸町の自治体と組んで中学校の運動会を借りたのが、五年前。
 毎年の地道な活動で、錦糸町の河内音頭と言えば八月十三日、と地元住民が答えられる程度には名が知れていた。
 また、二年前から河内音頭連合、財団法人日本盆踊り協会に、錦糸町河内音頭振興隊としての登録を果たしていた。
 そして――今日のこの日である。別に錦糸町の河内音頭のために東京知事が来るわけではないが、知事が来るのである。こんな晴れがましい日が来ようとは、振興隊一同、考えもしないことであった。
 今年は何人ぐらい来てくれるだろうか、これが首尾よくいけば次は関東おんどーむだ、などと千々の思いを巡らせながら、隊長山本健治は朝の九時から浴衣を着込み、家を出ようとしたとき――電話が鳴った。
「や――櫓を造ってる連中がいるんです!」
 最初、その言葉が何を言っているのか、健治には理解できなかった。櫓は一昨日の夕方に出来上がっている。昨日はその櫓に提灯を吊したはずだ。それで、何故櫓を造るのか?
 つまり――恐慌状態に陥った男の話は逆にまどろっこしくて趣旨がかなり掴みにくかったのだが――今造っている櫓ができあがってしまえば、櫓は二つになるのである。
 そんな馬鹿な、と健治が下駄をつっかけて自転車を走らせ、ついた中学校には――確かに二つの櫓が並びつつあった。しかも、その櫓もすっかりと組立が終わってしまい、枠木を外しているところであった。
「誰の許可を取ってこんなものを作ってるんだ!」
 誰が責任者か判らず、ひとまず健治はその辺にいた男に怒り声を上げた。
「さあ……? それは監督にきいてもらわないと……」
 男は面倒くさそうに答え、道具をバンに片づけて行く。
「誰だ? 監督、ってのは」
 健治は男に食い下がった。
「現場には来てませんよ。事務所の方にでも電話してくれればいるんじゃないっすか?」
「電話番号は?」
「車にかいてあるっしょ」
 男は投げやりに答えると、車に乗り込んだ。
 それでは、と健治が車に書いてある電話番号を控えようと、筆記用具を探しているうちに車は走り出した。
 ここで大阪人なら「なんでやねん!」とつっこむべきポイントであるが、健治は東京人なので、おろおろした。
 取り敢えず「大仲組」と言う名前だけは見て取ったので、電話帳で調べよう、と決めた。
「どうしてこんな急に櫓を二つに? ――振興隊の趣向ですか?」
 同じく話を聞きつけてやってきた錦糸町会長がおろおろして健治に訊く。
「いえ――知りません」
「どうしましょう……?」
「うーん、とにかく、ひとまずこの大仲組に連絡を取って……今から解体しようにも、時間が……」
 困り果てた様子で、健治はふたつの櫓を見比べた。
 一つは、一昨日の夕方にできた、見慣れた櫓だった。
 二メートルの櫓は「錦糸町河内音頭」と電気のつく看板が、それらしくつけてあり、イザと言うときのために屋根もつけてある。
 櫓から四方八方にのばしてあるひもには商店街などの広告のついた提灯がぶら下がっている。この明かりの中、いつもなら人は踊るのだが、今年は知事が来て、ローカルではあるがテレビ取材もある、と言うことで、野外用の水銀ランプも二灯、持ち込んできた。
 だが――その隣、十メートル程離れた所に、簡素な作りの櫓があった。大きさは原型のものと同様である。
 ただ、大きな違いと言えば――錦糸町河内音頭側の櫓の看板の位置に、「正調河内音頭〜エセ河内音頭は消えてまえ〜」とかかれた看板がかかっていた。
「少なくとも、我々に好意的な人が、櫓が二つの方が面白いでしょ、と優しい気持ちでくれたわけではないようですね」
 健治が、溜息をついて言った。
 恐らく、大阪の方の人だろう……。
「じゃあ……今日の盆踊りに、妨害が入る、ってことですか?」
「……多分……」
「なんてこった! せっかくここまでこぎ着けた、って言うのに……! 大阪の人も、気持ちよく我々のおんどーむ計画に乗ってくれたじゃないですか! 盆踊り協会だって、是非とも進めて下さい、って……! ここまで、私達がどれだけ苦労したかも考えないで、今日の、この日に! なんだって……」
 会長は頭を抱えた。健治は慰める言葉もない。口にこそしないが、気持ちは会長と全く一緒なのである。
 しかも、こんな陰湿な手で、一番大切な日を狙って……。
「くるなら、正々堂々とこい!」(いや、ある意味正々堂々だと思うけど)(というか、それが怒りのポイントか?)
 思わず、怒りに満ちた声で健治は言った。

最高の盛り上がりを見せる13へ続く
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