河内音頭に抱かれて・10

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10 約束 

 一度は収まった気持ちが、一人の部屋で沸々と爆発することはよくあることだ。ましてや、情熱家の秋の事。無理矢理納得させた筈の心が、回想で壊れていく。
 どうしてこうなったのか、どうすればこんな事にならなかったのか、何を間違えていたのか。本当に、終わりなのか、もう二度と会えないのか。悲しい気持ちを、思わず女々しくも泣いてしまいそうな気持ちを抑えるために、秋は考えた。
 本当は、自分があきらめて納得するしかないことは判っていた。今までだって、そうだった。別に、ふられたのは初めてではない。しかし、落ちた心を復活させるには浮かれすぎていた。若くはなかった。心の弾力性がなくなっていた。
 七月も終わりの土曜日、秋は眠れない夜を過ごした。

 「急にこんな所に呼び出して、どういうつもりだ?」
 翌週の月曜日、仕事を定時に終わろうとした冬哉の所に、秋から電話がかかってきた。「九時には仕事が終わるので、会社から車で十分の所にあるファミリーレストランで会おう」と。
 何の話か、冬哉は気付いていた。
 霞は何も言わなかったが、日曜日に会ったときには明らかに様子がおかしかった。
 そして、この秋からの電話である。
 やはり霞は自分から秋に別れを告げてしまったのか、という納得した気持ちのまま、冬哉は待ち合わせのファミレスで待っていた。
「ずいぶんと遅いじゃないか。人を呼び出しといて、待たすとはどういう了見だ」
 もう、人のいい仮面はかぶらなくてよかった。
 母と秋をつなぐ河内音頭というパイプラインに対する執着心はなくなっていた。確かに、関東おんどーむができてしまえば、母はもっと河内音頭にのめり込んで無視するだけではどうしようもないほどに自分を巻き込んでしまうかもしれない。しかし、今の自分にとって、そんな先の自分のことはどうでもよかった。今から、この流れが修正できるとは思わない。やっても徒労にすぎないだろう。
 それより、秋の言いがかりをどうやって聞き流すか、に頭を使わなくてはいけない。
 待ち合わせの時間に五分ほど遅れてきた秋は、スーツ姿で汗をびっしょりかいていた。営業は大変だな、と冬哉は改めて思ったが、そんないたわりの言葉を秋にかけるはずもない。
「すんません」
 ひとまず、秋はしたでに出た。どんなに憎い相手でも、目上となると敬語を使ってしまうのは営業の悲しい性とも言えよう。
「どんな用事か知らないが、明日も仕事があるんだから、早くしてくれないかな」
 冬哉は、自分では特に意識をしていなかったが、嫌みな言い方をした。当然、秋はその言い方が気にくわない。しかも、「仕事」という言葉で冬哉と霞が同じ仕事場で働いていることを思い出し、さらに不機嫌になった。
 本当は、今更冬哉に泣き言を言っても仕方がないことは判っていた。それ以前に、一体冬哉にどんないちゃもんをつけるつもりなのか、秋自身、判っていなかった。
 しかし、くすぶり続ける胸の痛みを何処かで発散させなくては、自分は何処へも行けないような気がしていた。そして、霞に何かを言うのをあきらめた今、秋にとっての攻撃相手は冬哉しかいなかった。
「霞ちゃんから、もう会わないでおこう、と言われました」
 ひとまずウェイトレスにアイスコーヒーを頼み、お冷やに口を付けてから、秋は言った。
 冬哉は応えなかった。見ようによっては、秋の次の言葉を待っているようにも思える。
「霞ちゃんは、できれば俺と会いたい、と言っていました。友達としての関係を続けるのはやぶさかではない、と」
「……」
「……でも、佐々木さんが、霞ちゃんと俺とが会うのをいやがっている、と言っていました。そして、その言葉に縛られて、霞ちゃんは自分の気持ちとは裏腹に、俺に会わない、と言いました」
「ああ。会わなければいいじゃないか」
「俺は、霞ちゃんに会いたい」
「じゃあ、俺の知らないところで勝手に会えばいい。ただ、霞が辛い思いをするのを判ってて、無理強いをするだけの意地悪さがあるんならな」
 秋が、霞のことを「霞ちゃん」と連呼するのが気に入らず、冬哉は初めて霞のことを「霞」と呼び捨てにした。予想通り、その言葉に秋は嫌悪感を顔に出して隠そうともしなかった。
 ――そんな、単純でまっすぐなところがいやなんだ。
「確かに、自分の好きな子が他の男と会うことが嫌なのは判らないでもないです。でも、それでは度量が狭すぎるというもんでしょう。まあ、自分の知らないところで会うは勝手だ、っていうんなら、そうするのも一つの手ではありますけどね。霞ちゃんをあえて苦しめるようなことは、俺だって辛い」
「……じゃあ、会わなきゃいい」
「俺が会いたい、って言ってるんです」
 少しも進まない会話にいい加減苛ついて、早口で言葉をまくし立てようとしたところに、オーダーしたものが運ばれてきた。その間に、冬哉は思わず秋のペース巻き込まれていたことに気付き、平静を取り戻した。
「一体、俺にどうしろというんだ?」
「佐々木さんの口から、霞ちゃんに、俺にあっても構わない、と言ってもらえることが一番いいですね」
 つけあがるのもいい加減にしろ! 大体、お前は振られたんだろうが。ふられたなら、男らしくさっさと見切りをつけて次の恋だろうが、河内音頭だろうが、勝手に突っ走ればいいだろう! なんで、わざわざ手にもできなかった女が惚れた男に泣き言を言いに来るんだ!
 秋の言いぐさに、冬哉は頭に来ていた。しかし、そんな取り乱したところを秋に気付かれることに嫌さにあくまでポーカーフェイスを貫く。
「俺が、そんなお人好しの男に見えるか?」
「少なくとも、俺とは全く違う人間性を持っておられると思いますけど……霞ちゃんを好きになった、という時点で、何か似てるところがあるのかな、と思って……」
「一人の女を好きになったとしても、何処を好きになったかによって、全然違うんじゃないのか? 霞が結局俺を選んだ、というところで、人間性の違いが判る、ってもんだと思うがな」
「……佐々木さんは、本当に、霞ちゃんのことを好きなんですか?」
 怒りを含めた、しかし爆発させない言葉は、冬哉の眉間にしわを寄せさせた。
「言うじゃないか。一体、何を持ってそんなことを言うんだ? 何でも自分に都合のいいように物事を持っていくのが好きな男だな。霞が君に愛想を尽かせたのが、よく判るよ」
「霞ちゃんは、俺に愛想を尽かせた訳じゃない。ただ……俺のことより、佐々木さんの方が好きになっただけです」
「霞に聞いたのか?」
「そんな、嫌いになった風じゃなかった」
「何の根拠もない意見だな。女、ってものをちゃんと判ってものを言ってるのか? その場の雰囲気で、たとえどんなに嫌っていても、にこにこと笑ってものを言えるのが、女、ってもんだ」
「……あんたは、霞ちゃんもそんな『女』やと思ってるんか?」
「怒ってるから、って、大阪弁はやめてくれ。家だけでたくさんだ」
「じゃあ、ご丁寧にも聞き返してやるよ。あなたは、霞ちゃんもそんな『女』だと思ってんのか?」
「そうじゃない、とは言えないだろ? 目に見えていることしか信じないのは、頭を使わない愚か者のすることだ。どうも、大阪の人間はそういう輩が多すぎる。まあ、俺の母親もご多分に漏れないがな」
「霞ちゃんも大阪の人間だぞ」
「お前は、霞のそう言うところが好きになったのか? じゃあ、嫌われるわけだ。大阪の好きな人間が、わざわざ東京に出てくるもんか。ずっと地元でぬくぬくとした毛布にくるまって井の中の蛙を満喫してるのがオチだ。それで、東京の何たるかも知らずに悪口だけは一人前だ」
「俺は、それが嫌だから東京に出てきたんだ。東京の悪口を言うのは簡単やけど、確かに気にくわない所も多いけど……大学で、こっちの人間と話してみて、嫌な奴ばっかりやない、って知った。それで、ホンマはどうなんか見極めるために、こっちに来た」
「……。それで、どうだったんだ?」
「……まだ、判らへん。好きになれる人間もおるし、どうしても合えへん人間もおる。まあ、地元におるよりは、居づらい、という気はする」
 言いながら、秋は何でこんな話になってしまったのだろう、と違和感を感じていた。別に、冬哉と東京について語るために意気込んで店に入ったのではない。
 そして、その違和感は冬哉も感じていた。話を持っていきたいところがあるのだが、それもままならず、訳の判らない話をしている。このまま何の実入りもないようならば、さっさと話を切り上げたいのだが、秋がそれを許しはしないだろう。
「それで、結局好きになったのは東京が好きな浪花女、って訳か」
「河内女や」
 冬哉の顔が不快に曇る。しかし、秋はそんな冬哉の表情に気付かなかった。
「……今日は、結局何のために俺を呼びだしたんだ?」
「それは最初に言いました。霞ちゃんに俺と会っても構わない、と、俺はそんなことは気にしないほど度量の広い男だ、と言ってやって欲しいんです」
「度量が広い狭いと言う以前に、俺は霞がお前みたいなベタベタな奴に会ってる、という事が許せない。せっかく東京にあこがれて東京に出てきたのに、ひっかかったのがお前みたいな音頭取りだなんて、霞もかわいそうだ」
「……音頭取りだったらどうだ、っていうんです。それを言ったら、霞ちゃんだって三味線弾きじゃないですか。ポーカーフェイスを気取ってすかしてる佐々木さんなんかより、俺と一緒にいる方が、よっぽど自然で気持ちいいと思いますよ」
「そうは思わないから、俺を選んで、お前は振られたんだ」
「確かに、俺には友情というか、そういうときめき的な気持ちが生まれなかったことは否定しません。居心地のいいところに熱い気持ちは生まれませんからね。地元にいるときはその土地に対する愛着心なんて意識しないのと一緒ですよ」
「遠くにいってせいせいする、って事もあるだろうが。何でも自分を中心に物事を考えてんじゃねえよ」
 冬哉の投げやりな口調に、秋は腹立ちも覚えていたが、違和感も覚えていた。その違和感が何から生じて来るのか判らず、ますますいらいらした気持ちになった。
「自分を中心に物事を考えてんのはそっちの方やないか。東京の女がええんやったら、霞ちゃんやのうて、もっと別の、東京東京した女好きになったらええやないか。何やかんや言うたかて、結局、大阪風のべたな所がなつかしゅうてしゃあないんやろ? そやから、ちょっと東京サイトに偏った、そやけど大阪臭さも残した霞ちゃんが気に入ってしもたんやろ? そやけどなあ、霞ちゃんなんか、年くったら思いっきりおばはんなんで。あんたとこのおかんとええ勝負になること受けあいや。そら、あの人ほどベタにはならへんかもしれへん。そやけど、絶対ええ味出すおばちゃんになる。俺は……そんなとこも、好きでいられる自信がある。どないなんや? 霞ちゃんがどないなっても、好きでいられる、って言い切れるんか?」
 ぽんぽん言われて、冬哉は苛立ったように煙草に火をつけた。それを見て、秋も煙草をくわえる。しかし、火はつけずに口の端でくるくると煙草を回していた。
「お前は、霞が変わっていくのを受け入れる、という。俺は……そんな変化はきっと堪えられないから、俺の好きなように、霞を変えていく」
 秋は不機嫌に眉間にしわを寄せた。煙草を灰皿に置く。
「そう言うことを、霞ちゃんが望んでる、って言うんか?」
「少なくとも、お前よりは判ってると思うがな」
「うんにゃ。お宅よりは、俺の方が判ると思うな」
 こんな勝負はたとえどんなに根拠がなくとも、思いこんで強気に言った方の勝ちである。
 そして、この勝負は、秋の勝ちのようであった。
「一体、何を根拠にそんな科白を言える、って言うんだ?」
「霞ちゃんは、ああ見えても、絶対、気骨のあるおなごや。同じ、河内音頭に関わるモンとして、言い切れる」
 自信たっぷりに言い切った秋を見て、冬哉はまだ半分も吸っていない煙草をもみ消した。できることならこの煙草の火を秋の顔に押し付けて消してやりたい、そんな憎しみの残った消し方だった。
「その、同じ河内音頭のせいで、恋が消えるわけだ」
「……それでも、ええ。恋が残らへんでも、つながりがあればええ」
「つながりは俺が切る」
「そんなん、霞ちゃんの勝手やろうが!」
「ああ、勝手も勝手、大勝手だ。ただ、お前とのつながりがあれば、俺は霞を許さない、ってだけでな」
 憎しみ。
 秋は、ずっと自分につきまとっていた違和感の正体を見たような気がした。
 その理由が見あたらないのに、自分は冬哉に憎まれている。
「男やったら、誰でも、か? 霞ちゃんと話す男は誰でも嫉妬の対象になるんか? そんなに、あんたは内側は熱い男なんか?」
「男なら、誰でもそんなもんだろ? それより、よい子ちゃんぶって、恋敵の男にも男気のあるところを見せる奴の方が信用がならん。女々しくて、見境がないくせに、ええかっこしいだ。お前は俺が嫌うところ満載なんだよ」
「本当は嫉妬深くた粘着質なのに、クールな振りしたええかっこしいと、どっちがましやと思う?」
「べたな河内音頭唄いよりはましだと思うがな」
「こもった世界でこつこつ井の中の蛙する業務の人間が何言うてるんや」
「……それを、霞にも言うのか?」
「あんたとずっとつき合っていったらそうなるかもしれへんな。そうなってしもたら……そうなってしもた霞ちゃんは、もう、俺の好きな霞ちゃんと違う。多分、ホンマの真の部分は変われへんと思うけど、あんたみたいになってしもたら、俺は、別の恋を探すと思う」
「次は、もっと自分にあったべたな娘を捜すことだな」
「自分にあった、って言うんやったら、あんたの方こそそうやないか。言うとくけど、あんたと霞ちゃんとやったら、絶対無理あんで。あんたが、大阪の人間を許容できるようななれへんかったら、絶対無理が出てくんで」
「よけいなお世話だ。俺の許容量がどんなものか知らずに適当な口を挟むな。俺の母親を知ってて、そういう科白が出てくるのか?」
「……そうか。お前も大変やねんな……」
 先日の法事をふと思い出して、思わず秋は優しい口調になってしまった。
 その言葉に、冬哉の神経は逆撫でされた。
「同情なんか、するな! お前みたいな、地元でぬくぬくして、ちょっと力試しに東京に来た人間に、何が判る、って言うんだ! 俺は大阪出身だが、そんなことは関係ない。こっちの人間と同じように、あっちのことはどうでも関係ないと思ってるし、ちゃらちゃらした様がうっとうしいとすら思うときもある。河内音頭だって、母親がやってるからしょうことなしに認めてはいるが、あんなものはどうだっていいんだ。関東の振興隊と意を同じくして、関西の、大阪の新聞詠みなんて、河内音頭を笑いものにした、受け狙いだけのモンだと思ってる。あんなもん、単なる盆踊りじゃないか。何でそんなにご大層なもののように話をするんだ。そんな大切なものなら、そいつと心中すりゃいいだろう。さっさと大阪に帰って一族で『えやこらせ〜』ってやってろ! そうすりゃ、霞のこと何て、どうでもいいと思うだろうさ。どうせ、みんなに言われてるんだろ? 早く帰って来い、って。帰ってやれよ。営業なんて、人の顔色うかがってへーこらしてるのも、性に合わないだろ? 大阪にさっさと帰って、上げ膳据え膳で立派な音頭取りになればいいさ」
 珍しく顔色を変えてしまうほどに熱く語ってしまってから、冬哉は気が抜けたように椅子に深く腰掛けた。思わず興奮してしまったことを後悔する。しかし、今更どうしようもなく、座った眼で秋を見据えていた。
「音頭取りが人生の全部やない」
「霞と河内音頭ならどっちを取るんだ?」
「……もし……もし、俺が河内音頭をやめることで霞ちゃんがつき合ってくれる、って言うんやったら、河内音頭をやめてもええ」
「ほ……ほほう、言ったもんだな。じゃあ、河内音頭をやめてしまえばいい。そうして、俺みたいに、お前の嫌いな、クールで気障な男になればいいさ。きっと、霞も惚れなおしてくれるさ。まあ、その顔は直しようがないと思うがな」
「……違う……それじゃあ、意味がないんや。俺が河内音頭をやめても霞ちゃんは喜ばへんねん。そう言うことをやってこその俺やから……霞ちゃんは俺に笑顔を向けてくれてん……」
「じゃあ、逆を言えば、河内音頭に関わっていないお前には霞は露ほどの興味も抱かない、って訳だ。自分と共通である河内音頭がなければ、お前に興味を抱くことも、好意を抱くこともなかった、って訳だ。そして、俺は自分のままで、霞は惚れてくれる、と」
 優越感に満ちた冬哉の言葉に今度は秋が苛ついたように煙草に火をつける。
「否定できないんだな」
「いや、そんな事ない」
「大阪を離れた孤独感だけが、郷愁だけが、霞のお前に対する気持ち、って訳だ。別にお前じゃなくても、大阪的な人間だったら誰でもよかったんだよ」
「……そ、それを言うなら、佐々木さんにだって、東京に対するあこがれに似た気持ちで――」
「始めはそれでも、つき合うまで至ったのは、俺の方だ。お前が何を言おうと、負け犬の遠吠えだよ」
「……」
「……会ってもいいぜ」
「?」
「霞に。俺の言う約束が守れるなら、会うのを許してやってもいい」
 秋は冬哉の言いぐさが気にくわなかったものの、基本的に人がよいものだから、許可が出るならそれに越したことはない、とひとまず冬哉の言葉を聞くことにした。
「約束、ってなんだ?」
「つまらないギャグは言わないこと、河内音頭には関わらないこと、二人が会うときには俺も立ち会うこと。まあ、ギャグについては染みついちまってるところもあるだろうから、取り敢えず霞の前で言わなければいい。……それで、それでも、霞がお前と会うことを望んだなら、会ってもいい」
「……」
 様々な考えが秋の頭を巡った。どちらにしても、この場では肯定した方が良さそうだ、という結果を得た。
「判った。その要求、飲もう」
「少なくとも、河内音頭については、俺の母親からの情報がある、ってことを忘れるなよ」
「……ああ」
 それで用件は済んだ、とばかりに冬哉はレシートを持って席を立った。

泥沼の展開にドキドキしつつ11へ続く
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