河内音頭に抱かれて・7

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7 心の隙間に

 東京をでるときに、持ってくるかさんざん悩み、結局持ってきた割には一度も弾いていない三味線をわざわざ抱えて持ってきたのにも関わらず、霞はまだその足を進めるのにためらいを感じていた。
 梅雨の合間のはれた週末、二人で野外にでよう、とでも言いたくなる夏の兆しを感じさせるこんな日に、秋と霞は河内音頭の練習場でもある関東河内音頭振興隊・四代目隊長・山本健治の家に来ていた。
 冬哉が秋に話しかけたその当日、いったい何の話をしたのか気になった霞は早速その日の晩に秋に電話をかけた。特に話した内容を隠す必要も感じなかった秋は素直に関東河内音頭振興隊のことを話した。
 もともと何の話をしていたのか全く想像できなかったのだが、まさかそんな話をしていようとは、思いもよらなかった。
 どう見ても東京人を感じさせる冬哉が実は河内音頭に関わっていたことがどうにも霞にはぴんとこなかったのだ。
 だが、霞が冬哉にどんな印象を持っているかなど知らない秋は、よい機会だから、と霞に声をかけた。「もし、関東河内音頭振興隊の練習を見に行くことになったら、霞ちゃんも三味線もって、一緒に行かへんか?」と。
 何故、「うん」と答えたのか、霞自身よく判っていなかった。秋も、まさか素直に肯定の返事が返ってくるとは思っていなかったらしく、霞の返事に暫く沈黙しか返せなかった。
 多分、慣れないストレスの固まりと化してしまった為、何か気晴らしがが欲しかったのだろう、と霞は自分にいいわけをした。しかし、だからといって何故河内音頭になるのか……そこまでは追求してはいけないことだった。秋に対する気持ちが、うんと言わせてしまったとか何とか、理由付けは何とでも作れる。


 振興隊隊長、山本建治の家は大きかった。
 はるばる東京郊外の方まででてきて、高級住宅地までやってきたのだが、河内音頭と日本庭園のある家、というイメージがどうしても合わないまま、二人は大歓迎で建治に練習場まで連れていってもらった。
 元は剣道場か柔道場とおぼしき離れに建治の導きで入った二人を迎えたのは十人ほどの拍手だった。
 思いもよらぬ大歓迎ぶりに一瞬二人はたじろいだが、既に何度も櫓経験のある秋はすぐさま姿勢を正し「皆さん、今日は、いや、今日からよろしゅうお願いしまっさ。八百屋得丸、本名は上田秋と言います」と、大阪にいても殆ど使わないであろう程のべたべたの大阪弁で挨拶した。
 唄うのは久しぶり、ということで今日はちょっとだけ、と譜読みを始める。
 霞は三味線を持つのが三年ぶり、ということで最初はぎこちなかったが、さすがは三味線歴十五年、暫くすると秋の唄と調子を合わせるに至った。
 正直なところ、秋の唄よりはいつも練習用に使っている音初家一門や鉄砲家一門のCDをダビングしたテープの唄の方がうまいのだが、生の歌を聴きながら練習できる、というこの贅沢さに踊り手はやや興奮気味だった。
「得丸さん、若いのに上手やねえ」
 踊り手のおばちゃん達に気に入られてしまった秋は、練習が終わっても帰してもらえず、山本家の客間でお茶とお菓子何ぞを呼ばれていた。秋の本心としては今、隣にいる霞と早く二人きりになりたいのだが、おばちゃん達を怒らせるとどんなことになるかを充分知っている秋は誘われるままに話を進めていた。
「中野さんは、得丸さんの彼女?」
 話に入れずに立場に困っている様子の霞に一人が気を使ったのか、声をかけた。
 しかし、その話題はやはりおばちゃん的である。
 途端に、三人のおばちゃんの好奇に満ちた眼と、おじさん二人の控えめな視線が霞に注がれた。これらの視線を浴びて堂々としていられたら超一流(何が?)であるが、いかんせん霞は普通の人、戸惑っておどおどするほかなかった。
「え? あ、いやあ、そうじゃないですよっ。たまたま会社が一緒で、研修で同じグループで――話してたら、同郷だ、て判って……」
 慌てて否定した霞の言葉を秋は複雑な気持ちで聞いていた。しかし、この雰囲気で肯定することもできず、そもそもつき合ってはいないのだから、霞の言葉は正しい。
「え? そしたら中野さんも川中建設?」
 先程から一番口が回っていた佐々木貞子が嬉しそうに言った。
「はい。ちょうど佐々木さんの下でいろいろ教えていただいてるんですよ」
「え、そうなん? 奇遇やなあ。あの子が人に教えるなんてねえ。無愛想なんちゃう?」
「え、いえ、それ程には……お母様ほどには人なつこくないですけど」
「はははは、佐々木さんほど人なつこかったら大変よー」
「うるさい親子だこと」
「何言わはるんよ。もー、冬哉は家ではホンマに何にも言わへんからねー。ホンマに会社行ってるんかしら、って不安になるわー」
「いえ、毎日来ておられますよ」
「そうよ、毎日会社行ってなきゃ、給料もらえないじゃないの!」
 ほーほっほっほっほ。
 隊長、山本健二、副会長楠木洋は曖昧な笑顔を浮かべたまま、インテリアのようにじっと座っていた。置物ではないことを証明するかのように、お茶をすする。
「佐々木さんも、出身は大阪なんですか?」
 おばさん達の笑いの間隙を縫って、霞が口を挟んだ。
「そうそう、十年前まで向こうにおってんけどね。十年経って、もう言葉もすっかりこっちになじんでしもてねー」
「何言ってんのよ。バリバリの大阪弁じゃないの!」
「あらあら、バレてしもたわー」
 ほーほっほっほっほ。
「でも、冬哉はそんなことないわね」
「佐々木さん、家でもあんまり口きかれないんですか?」
「もう、無愛想も無愛想っ、口きいたら減るとでも思ってるんとちゃう?」
「奥さんの勢いに押されてんのよー」
 同意の気は充分にあったが、ここで頷いてしまうとしゃれにならないので、霞達は曖昧な笑顔を浮かべるにとどめた。そして、男連中も似たような苦笑を浮かべていた。
「中野さんも盆踊りにでる、って言ったら、さすがに冬哉も今年は見に来るやろう」
「やっぱり身内が来てくれないと、やってても張り合いないものねー」
「え……?」
 ほーほっほっほっほっほ。
 霞が慌てて口をはさもうとしたが、それはおばさん達の笑いにかき消された。


 夕食も一緒にしよう、というのを辞退して、秋と霞は二人で恐るべき集団から逃れた。
「ご飯、食べる?」
 疲れた様子の秋の言葉に、霞は頷いた。おばちゃん達の毒気に当てられて、とても夕食の用意をする元気がない。
 秋は、もう少し霞と一緒にいられると判り、少し元気を取り戻した。
「今日は――ごめんな」
「え?」
「あんな事になるとは思ってなかったから……練習して、それだけやと思ってたのに……」
「ううん、秋君が気にすることないよ。ちょっとびっくりしたけど……法事か何かで親戚が集まった、みたいな感じやったね」
 少し疲れていった霞の言葉に、秋はぷっと吹き出す。
「それは言い得て妙やなあ。ああ、法事と言えば、来週法事やねん」
「え? 帰るの?」
 霞の、驚いたような、淋しそうな声を、秋は少し嬉しく聞きながら、頭を下げる。
「んー、本格的にこっちに採用になったから、荷物こっちに持ってくんのもチェックしたいし」
「ふーん」
「来週も山本さんとこ行ったらどないや? 大歓迎やで」
「う……今日だけで、おなかいっぱい」
「うーん、まあ、今日はちょっとなあ……練習だけやったら何やねんけど」
「え――秋君、まさかまだ行くつもりなん!」
 お互いの予想外の反応に、二人は互いを凝視したまま、凍りついた。
「いや……まあ、うん……判らんけど……」
 いやな方向に話が進んでいるな、とは思いつつも、自分に嘘はつけずに秋は答えた。
 できることなら霞も一緒に――といいたいところだが、それは惚れてるものの弱味、拒否が帰ってくるのが怖くてこれ以上先へ進めない。
 一方、霞はそんな秋の返事に、ほんの一メートルほど隔てていただけだった筈の秋との距離が、ぐーんと遠ざかったような気がした。
 この人は――本当の、「河内の男」なんだなあ……。
「しかし、佐々木さん、ダントツに面白かったよなあ」
 ぎこちなくなりそうな雰囲気をなんとか打破しようと秋は話題を変える。
「うん。まあ、親子って考えたら顔は似てないこともないけど――性格は、もう、全然。ずっと関東の人だと思ってたもん」
「確かに、大阪出身には思えへんよな。……まあ、たまにはああいう人もおるけど。仕事ではどうなん? 結構きびしい?」
「ううん。優しいよ。でも――なんて言うのかなあ。私がポカミスしても『今度からは気をつけてな』って無表情にフォローしてくれる、って感じかな」
 本当は――本心としては、秋はこんな話はしたくなかったし、聞きたくもなかった。
 好きになったら一筋、実はかなり独占欲も強い秋は、自分の好きな女性が他の男――たとえそれが友達や上司でも、身内だとしても――の話をしている所など見ていたくはなかった。
 しかし、自分はまだ霞とつき合っているわけではなし、つき合っているとしても、そんな子供じみた我儘は言える訳がない。そして、そんな感情以上に自分の知らない職場での霞の姿を知ってみたかった。
「そしたら、霞ちゃんは大人しく仕事してる訳や」
「うん。全く持って、私らしくない働きぶり」
「自分で言うかな。――まあ、事務職は黙って仕事するのが本来の姿やからな
「う……そう言われると素直に『はい』と言う他ないわね」
「その、佐々木さんといつまでマンツーマンなん?」
「取り敢えず六月いっぱいはみっちり」
「無口な人と、って結構辛いよなあ。俺んとこはみんな口で稼いでるからよう話してくれるけど」
「うん……」
 でも――といいかけた言葉を霞は飲み込んだ。
 自分の気持ちを待ってくれると言いはしたものの、それでも霞の気持ちが自分に傾くのを待っている秋に対して、先輩とはいえ、男の人の話を延々と続けるのはよくないことだ、と自覚したのである。
 でも、といいかけた言葉の先は「頼りになる人よ」とか「有能よ」とかの無難な言葉だった筈なのに、気を使って言葉を飲み込んでしまったことで、何か他に言うことがあったのか、と霞は自分で自分を勘ぐった。

オソルベし、おばちゃんパワーとか思いつつ8へ続く
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