河内音頭に抱かれて・6

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6.関東だって河内音頭

 六月十六日、月曜日。
 合宿を終えた新入社員は、先週の金曜日に渡された配属先についていた。
 不安と期待を持って配属先へ向かう新入社員。それを迎える古株の先輩、上司は不安、期待、無関心と様々な反応を示した。
 正規の川中建設社員となる七月一日迄は所属内での研修が中心となる。
 しかし、部署によってはヒヨッ子どものために時間を割く余裕もなく、手伝わせて覚え込ませる、という形を取らざるを得なくなってくる。

 東京営業所に配属された秋はまさしくそんな状態であった。
 企業ビル担当となり、先輩と共に今日はあちら、明日はこちら、と鞄持ちのようにのようについて歩く。殆ど口を挟むことはままならず、口を挟もうにも何を言えばよいかよく判らず、大きく変わった環境にストレスがたまっていた。

 一方、秋のいる企業営業部と同じビル内、二階上の七階、業務部には今年二人の新人が入った。
 簿記関係の専門学校を出た男子と短大卒の女子――霞。
 業務部では新人一人につき、二、三年上の人がつき、殆どつきっきりで教え込む形となっていた。
 霞には、佐々木冬哉(とうや)という四年大学卒、今年で三年目の静かな感じのする青年がついた。
 どちらかというと取っつきにくく、口数も少ない冬哉に、ワイワイやり乍ら仕事を覚えていくタイプの霞はやりにくいな、と感じた。
 相手の行動を期待する沈黙に霞はますます緊張し、ミスの数が増えていく、という玉転がり状態の悪循環に陥っていく。
 しかし、そんな数多くのミスに冬哉は声を荒らげるでもなし、ギャグにしてしまうでもなし、我慢強くそのミスのフォローを指示するのであった。そんな冬哉の姿に、霞は「社会人」「大人」を感じた。


 川中建設昼休みの食堂は結構なにぎわいを見せていた。
 食堂で定食等を注文するもの、弁当を持ち込むもの、休み時間以外は閑散としている食堂も、人のざわめきでテーブル越しに言葉を交わすには大声を張り上げなくてはいけないような状態である。
 霞は同期の女性と歓談にふけっていた。
 と、自分を見ていた向かいの友人の視線が自分の背後に移った。何事かと、後ろを振り向く間もなく肩を軽く叩かれた。
 振り向くとそこには冬哉がいた。
「な、なんですか?」
 すっかりリラックスしていたところに突然現れた先輩の姿に、少しパニック状態で霞は答えた。
「ちょっと訊きたいんだが……上田秋、って何処にいるか判る?」
 秋が何処にいるかはすぐさま答えられる。いつでも、秋が何処にいるかチェック済みなのだ。ただ、いつも営業周りで昼食を食堂で取っていることは少ないのだが。
 幸いにして、今日は食堂で、自分の三テーブル前で先輩らしき人とと談笑しているのが見える。
 しかし、今はその事よりも、何故、冬哉が秋を探しているのか、そして、秋の居場所を自分に訊くのか、その事が気になって即答できなかった。
「ああ、あそこにいますよ」
 霞が返答し損なっている間に隣の友人が秋を探しだし、冬哉に言った。
「どれ?」
「三つ向こうのテーブルの、黒縁眼鏡のおっさんの隣で笑ってるスーツの人」
「あ、ああ、あれね。有難う」
 冬哉はそういうと早々にそちらの方に歩き出した。
「佐々木さんが上田君に何の用事なんだろう……」
「さあ? 全く共通項は見えてこないわけ?」
「うん……」
 それから友人群は話題を別の所へ持っていったが、霞は冬哉の姿が気になって、話は耳に入らなかった。

 冬哉が秋の所へ言ったとき、折良くその集団は席を立とうとしていた。
「上田君、ちょっと時間空けてもらえるかな。話があるんだ」
 冬哉は珍しく人のよい微笑みを浮かべて秋に声をかけた。
 見ず知らずの人に突然声をかけられ、秋は戸惑った様子を見せていたが、すぐさまにっこりと笑い、隣の先輩に一声断ってから「いいですよ」と機嫌よく答えた。
「ここでいいですか? それとも、少しうるさいから河岸を変えた方がいいですかね」
 いったい何の用事で突然声をかけられたのか、内心非常に気にはなっていたものの、腰を落ち着けて話を聞きたいが為に、場所の選定から切り出した。
「いや、ここでいい」
 言って、冬哉は秋が座っていた席の隣に腰掛けた。自ずと秋はその隣に再度腰掛けることとなる。
「僕は佐々木冬哉。業務一課にいる」
「業務一課、というと、僕の同期だと中野さんのいるところですね」
 白々しく、秋は言う。
「ああ」
 用事を切り出すまでに無駄話をしなくてはいけない様子に、冬哉は少しいらだっていた。
 どうしてさっさと話を本題に持ってこさせないんだ。同期がいるとか、そんなことは関係ないだろう。
「で、何のご用事ですか?」
 冬哉の苛立った様子を感じたのか、秋の方から話を切りだした。
 しかし、そこですっと話を本題に持って行くには、実は冬哉の方にためらいがあった。
 だが、話さなくてはどうしようも進めようがない。
「上田君、河内音頭が好きならしいね」
 またか、と秋は思った。
 そして、この人はちょっと違うな、と次の瞬間に思った。
 秋が河内音頭を唄ったことは、同期は当然、殆どの人は知っていることである。
 いまだ秋の事を「河内君」と呼ぶ人もあり、その呼び名が定着してしまった感もある。
 しかし、そこまで有名になってから知ったのは、河内音頭の東京における認識の甘さである。
 河内音頭が盆踊りであることを知らず、「浪曲」と呼ぶ人、踊りがついていることすら知らなかった人、新聞詠みのみが河内音頭と勘違いしている人、河内音頭がどんなものか全く知らない人……。
 そんな、河内音頭のことを知らない人が、揶揄の気持ちだけで河内音頭をネタに自分に話しかけてくることに秋は嫌気はささなかったものの、やや食傷気味であった。そして、そんな疲れた心の反対側で、ちゃんとみんなに河内音頭というものがどういうものか、俺が教えた方がいいのだろうか、と使命めいた気持ちが起きあがってもいた。
 そんな大勢の反応を見ていた秋にとって、冬哉の話しかけ方は今までとは違うことが感じ取られた。
 きっと……この人は河内音頭を知ってる。
「はあ。好きというか……好きですね。佐々木さんは、河内音頭知っておられるんですか?」
「ああ。おふくろが関東河内音頭振興隊の隊員だからな」
 嫌悪を笑顔でくるんで冬哉は言った。
 案の定、秋はきょとんとした顔をする。
「かんとう……何ですか?」
「関東河内音頭振興隊。東京を起点とした関東勢が河内音頭に惚れ込んで作った集団の名前だ。おふくろがそれに入っててな。上田君のことを話したら、是非とも会いたい、って言ってたんだ」
「ああ……」
 秋は父親の唄い仲間の一人、中林が言っていたことを思い出した。
「知ってるのか?」
「いえ、詳しくは……東京に、そういう河内音頭をやってる人達がいる、っていう話は聞いたことがある、っていう程度で」
 冬哉は秋の反応に拍子抜けした。もっと、反発めいた反応が返ってくるものと思っていたのだ。そうでなくては話が進まない。
「いつやってられるんですか?」
「え?」
「河内音頭ですよ。練習ぐらいはしてるんでしょ? ああ、それは佐々木さんに訊いても判らないですか」
「……行くつもりなのか?」
「え? そのつもりで声をかけたんじゃないんですか?」
「あ、いや、そうだけど……大阪きっての唄い手なら、東京の河内音頭なんて気にくわないと思ってたから……」
「大阪きっての唄い手、てそんな大業なもんじゃないですよ。それに東京が嫌いなら、こっちに来ませんよ。親父は根っからの東京嫌いですけどね。佐々木さんはずっとこっちなんですか?」
「……いや。それよりも、本当にいいのか?」
「ええ。何なら、連絡先を教えていただければ僕が勝手に動きますけど」
 思わぬ進展に、冬哉は困った。作者は笑った。
 しかし、ここで下手に介入すると怪しまれること請け合いである。不本意ではあるが、引き下がるしかない。
「いや、今日、おふくろに訊いてみるよ。その、河内音頭の練習に行く方がいいのか?」
「その方が楽しいでしょ」
 あくまで脳天気な秋に、冬哉はやきもきしていたが、当の秋はそんな冬哉の気持ちなぞ知るべくもない。
「じゃあ、明日にでも……っと、明日は一日外か……また、休み時間にでもそちらに電話させていただきます。業務一課、でしたよね」
 確認などしなくとも、霞と同じ課、というだけで充分判っていたのだが、今の所あまり霞との間を勘ぐられたくない、という頭から秋は冬哉に確認を取った。
「ああ。……じゃあ、そういうことだ」
 はじめの一歩から道を外してしまった悔しさとむなしさを胸に、冬哉は席を立った。
 予定通りなら、東京人がそんなことをしているのか! と秋が怒り、地元に報告して事態を滅茶苦茶にしてくれる筈だったのに……。一体何を間違えたんだろう……。
 そして、疲れて、何気なく上げた視線がじっと二人を興味深げに見つめている霞をとらえた。

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