河内音頭に抱かれて・5

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5.せつない告白

 二ヶ月にわたって続いた研修も、ようやく終わろうとしていた。
 まだまだ覚えなくてはいけないこと、しなくてはいけないことはたくさんあるものの、基本的に上から与えられる指令に従うような状態なので、要領のいい人間は精神的余裕を得て遊びに興じたりもしていた。
「霞ちゃんがスピード、マイナスG系大好き人間やとは知らなんだ」
 急転直下型遊戯を終え、きゃいきゃいはしゃぐ霞に、秋は少しふらふらした状態で言った。
 土曜日の遊園地。開園直後のすいた状態でジェットコースター二本、バイキング、フリーフォールと立て続けに殆ど並ばずに乗り、一日乗り放題券の元をおおよそ取ったと思われる状態であった。
「それを言うなら、秋君がスピード系に弱いとは思わなかったわ」
 霞は、秋が日頃の強気は何処へやら、へろへろになっているのが何とも嬉しそうだった。
「別に弱いわけとちゃうっ」
 少しばかりベンチで休み、正気に戻って秋は反論した。
「じゃあ、フリーフォールもう一本!」
 霞は大はしゃぎで言う。秋は少し蒼ざめていた顔をさらに悪くした。
「だってご飯食べてから絶叫系乗ったら気分悪くなるじゃない。それに、お昼から混んでくるしね。行こ!」
 空腹でも満腹でも気分が悪いもんは悪い――そう言いかけたが持ち前の負けん気と、明るく誘う霞の笑顔と自分の手を掴む霞の手の柔らかさに、何も口答えできず「そしたら行こか?」と立ち上がった。
 
 
 六月第二週の頭から、新入社員は配属別にバラバラになる。
 この最後のチャンスに、秋は賭けていた。もしかすると、自分は大阪勤務になるかもしれない。これからもずっと霞との関係を続けていく為には今日、そのつながりを強固にしておくしかないのだ。
 周囲に気付かれないようにしながらも(当然同じグループの人は知っている所なのだが)二人は週末に出かけるようになっていた。
 ただ「つきあっている」とは呼べないだろう、と秋は思っていた。その辺のけじめに固い秋はきちんと「つきあって欲しい」と言って、答えてもらってから、二人の仲は始まるのだ、と考えていた。
 しかし、そうは思ってきたものの、のっけからの絶叫系乗り物連続攻撃(?)にそれどころではなくなっていた

 結局、フリーフォール、急流滑り、さらにジェットコースター、と濃度の高い午前を経て、一時半ぐらいにややすいてきたレストランに入った。
「ホンマはお弁当作って、持って来るつもりだったんだけど、寝坊しちゃって――ごめんね」
「え? いや、そんなん、全然構わへんで。その気持ちだけで充分や」
 思いもよらぬ事を言われて秋は午前中の疲れなどぶっ飛んだ気がした。
「午後からどないする?」
「うーん、あんまり気分悪いのも駄目やし――ミニコースターとか、エンタープライズとかかなあ……」
「……。その辺も、食後のデザートと呼ぶには濃いと思うで」
「え? そう? ……じゃ、おやつに!」
「はいはい……。それより、観覧車とかブランコとかは?」
「え……」
 霞の笑顔がひきつったように強張る。
 そんな霞の変化に秋はにやりと笑う。そういうタイプの人間に秋は心あたりがあったのだ。「弱点見つけたり」と意地の悪い目を霞に向ける。
「もしかして、高い所、苦手?」
「苦手やなんて、そんな、人より少し高い所が弱いだけで……」
「だからそれを『苦手』と言うんやっ!」
「あうっ!」
 手の甲でツッコむ素振りの秋のアクションに、霞は見事に身をのけぞらせて対応する。
「そしたら、午前は霞ちゃんに俺がつきあった、っちゅう事で、午後は俺の行きたい所へつきあってもらうで」
「いややー、そんなのったりした乗り物、乗りたないー!」
「高い所へ行く乗りモン、やろ?」
「……秋君、アナタがそんな乗り物に乗るなんて、らしくないわ! アナタはもっと、男らしくビュンビュン走ったりマイナスGの海につかるような人よ!」
「そやけど、観覧車はゆずられへん」
「何で? あれが一番怖いやん!」
「そやかて――ポリシー通りでバカバカしいけど、あそこで霞ちゃんに『つき合ってくれ』って告白するつもりやもん」
「……」
「――!」
 意固地になるあまり、あまりにもマヌケな告白の仕方をしてしまったことを、秋は霞の茫然とした表情を見て気付いた。
 ああっ、ここに時間を戻す時計があれば――もしくは一瞬、一分ぐらい前までの記憶を消すガスでもええ、そういうモンがあれば……あ、でも俺も記憶なくしたら、また同じ事言うてまうか。そやけど、自分一人で恥を隠していくのも辛いもんもあるしな。まあ、どっちにしろ、そんなモンあれへんのや。
 秋の頭の中でぐるぐると思考が駆けめぐる。
 しかし、どんなに考えたところで時間が戻るわけではない。
 ……しゃあない。開き直ろ。
「今、ものすごいアホな事言うてしもたな」
「アホな事?」
「まあ、自分のキャラクターを省みず、かっこつけようとしたんが、そもそもの間違いやったんやろうけどな」
「アホな事、って……私とつき合う、って告白する事が?」
「ちゃうちゃう、何でそないなんねん、って。それに、俺は本気やで。そやけど、前もって『言うつもりやった』って言うてまうなんか、マヌケすぎて話にならんわ」
「それでこその秋君、って言う気もするけど」
「え? 俺、ってマヌケ?」
「その方がホッとする。結構、こっちの人、ってスキがないもん。そういう、スキのないとこがかっこいい、っていう気もするけど」
 秋のボケぶりに心をゆるめた霞は自分がすっかり大阪弁に戻っているのに気付いていなかった。
「かっこええ方が、好き?」
「秋君はボケてる方がええ。無理してかっこつけても、絶対変やもん。いちびってるとしか思われへんわ、絶対」
「そこまで言わんでも……。まあ、言わせてもらうと、俺も、どちらかというと霞ちゃんも自然体の方がええと思うで。がんばってる霞ちゃんも好きやけどな」
 秋の言葉に霞の表情が強張る。
 秋がしまった! と思ったときには既にほのぼのした雰囲気は失せていた。「無理してる――ように見える?」
「なんか、大阪を無理矢理東京でコーティングしてるみたいに見える。まあ、そない思うのは俺だけやと思うけど」
 秋の言葉に霞は返事をしなかった。自分でも、その事は充分判っており、だからこそ劣等感の元となっていたのだ。
「私……秋君みたいに開き直れへんねん。私やったら『河内さん』なんか呼ばれたら、堪えられへん」
「それで、霞ちゃんは俺のこと『河内君』って呼ばんといてくれるんやな」
「……やっぱり、いややろ?」
「嬉しいとは思わへんけどな。そやけど、いやなんは『河内君』って呼ばれる事やのうて、呼んでる人間の揶揄めいた気持ち、かな。バカにしてることが見え見えやもんな」
 秋が特に落ち着いた様子でそう言い切ったのを見て、霞は感心したように秋を見ていた。
「霞ちゃん、何処? 家」
 霞があまりにもじっと自分を見ているのが照れくさくて、秋は話を変えた。
「え……八尾」
「え? そしたら同じやん。もしかして、すごい家近かったりして……」
「秋君、何処で河内音頭覚えたん?」
 実は河内音頭については素人ではない霞は半分興味と半分怖さを抱いてそう訊ねた。
「ああ、知らんやろうけど――霞ちゃん、八百屋雪丸、って知ってる?」
「うん」
「……」
 まさか肯定が帰って来るとは思っていなかった秋は茫然とした。
「うちのお母さんが河内音頭の三味線やってるから。何回か、遊びに行ったことある。雪丸さんの唄で踊った事もあるもん。そう言うたら、雪丸さんとこにちょっと年上の男の子がおって――」
 言いかけて、霞は止まった。
「……霞ちゃん、中野師匠の娘さんやったん?」
「まさか……」
「俺、得丸」
 思わぬ偶然に二人は暫し茫然とし、愛の告白なんぞは何処か遠くへ消えてしまった。
「それであんなに河内音頭が歌えるわけや……」
「霞ちゃんは? もう、三味線弾いてへんの?」
「ん、ん……大学受験の頃からは、もうパッタリ。秋君は?」
「八百屋得丸、未だバリバリ現役。言うても、会社入ってからは全然練習でけへんけどなあ」
「でも、何で東京に? 雪丸さん、ってバリバリの東京嫌いとちゃうかったっけ?」
「うん。バリバリの東京嫌い。俺も、東京、どっちかいうたら嫌いやったけど――大学で関東弁に慣れてしもたら、ホンマに『自分』が東京嫌いなんか判れへんようになってしもて、一回、親父から離れてみるんもええかな、って」
「ええかな、って――でも、ずっとこっちになるかもしれへんやん」
「まあ、そん時はそん時。こっちに大阪一大勢力を作るもよし。完全に東京人になるもよし。会社を辞めて大阪に戻るもよし――何なとなる、って」
「もう会社辞める事考えてんの?」
「場合によったら、の話や。俺自身としては、少しばかり大人しい気はするけど川中の雰囲気は結構気に入ってんで。まあ、正式配属になってからどないなるか判らへんけど」
「……そしたら、秋君は大阪勤務希望なんや」
「大阪戻んのはもっとずっと後でええ。今はこっちにいたい」
「東京が好きになってきた?」
 そう言う霞は秋に何かを期待しているようだった。
 そんな霞の気持ちが判ってはいたが秋は軽く頭を横に振った。
 残念そうな霞の目を、秋はまっすぐに見た。
「霞ちゃんと一緒におりたいから」
「――」
 秋は思わず吹き出しそうになるのを何とかこらえる。
 思考をお笑いから遠ざけ、霞をじっと見つめる。
 秋の視線に張り付けられたように、霞は身動きできなかった。
 そんな気はしていた。秋が、自分の事を好きなのだ、とかなり前から判っていたような気がしていた。
 しかし、そう思うのは自意識過剰だと打ち消してきた。
 そして、まさかこんな形で秋が、真面目に、はっきり言うとは思ってもいなかった。

 多分、ふざけたように「好きやで」と言われたら「私も」と軽く答えていただろう。
 ふざけたように「つき合ってくれへんか? と問われれば「ええよ」と軽く答えていただろう。
 しかし、こんな風に真面目に切り出されたら、どう答えたのものか、霞には判らなかった。
「――つき合って欲しいねん」
 秋が、ダメ押しの一言を続けた。
 霞は返事に困ってうつむいた。
 霞の様子に、秋は肩の力を抜いて、ぽりぽりと頭を掻いた。
「別に、俺のこと嫌い――っていう訳とちゃうやろ?」
 霞が答えやすいように、と二者択一の質問に切り替えた秋の言葉に、霞は頷く。
「多くの友達の一人、ってレベル?」
「そうやない! そうやない――と思う……」
 慌てて反論した霞の言葉に、秋は、にこりと笑った。
 少し安心したような、そして、相手を安心させたいが為に浮かべたような笑顔だった。
「一番好き、に昇格する可能性、ってありそう?」
「え? 一番好きやで?」
 何今更当たり前の事訊いてんの? と言わんばかりの口調に、逆に秋の方が赤くなる。意味もなく氷が溶けて水しか入っていないお冷やに口をつける。
「え、あ、うん、その――あの、一番好き、って言うのは比較の意味で――好きやねんけど、恋愛感情とは少し違うねん。それで……ごめん」
「いや、別に霞ちゃんが謝る必要な全然あらへん。俺にしては上出来の返事やったと思う。いつもフラれてばっかりやったから……ホンマはもう少し霞ちゃんの気持ちが熟すまで待つつもりやってんけど――もしか、来週の配属決定で、大阪とかに決まってしもて……このままの関係やったら、そのまま消えてしまうかな、って焦ってしもたから……」
「もしも、秋君が大阪行ってても、手紙とか電話のやりとりはしてたと思うよ。無茶苦茶遠かったら、会うかどうかは判らへんけど。……私、友達でも、気に入った人とは何やかんやと連絡断たんようにするタイプやし」
 一生懸命語る霞を、秋はじっと見ている。その眼差しの優しさに、霞は言葉を詰まらせ、赤くなってうつむいた。
「何? どないしたん?」
「い、今更そんな顔するなんか、反則やわ」
「そんな顔、ってどんな顔?」
「そんな顔や!」
「眼が二つで鼻の穴が二つ、口が一つで−−」
「それが『今更』やったら、今迄どんな顔しててんっ!」
 言い乍ら、手の甲ツッコミ。距離が届かないのでツッコミは空を切る。
「わー、ツッコまれたー!」
 秋は嬉しそうに手を叩く。
 霞はハタと我に返り、またもや軽い自己嫌悪に襲われ乍ら、秋の嬉しそうな様子に、心の何処かにぽぽぽ、と灯がともったような気もしていた。

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