河内音頭に抱かれて・3

トップ 創作世界 4へ続く

3.秋が河内君と呼ばれるに至った経路

 川中建設株式会社。
 現在従業員三千五百余名を抱える大企業は今年百二十四名の新入社員を迎えた。
 同期の人間の顔さえ覚えられないような状況にあって、まずは横のつながりを持たせよう、という会社側のもくろみによって、最初の一週間を本社で、そしてそれ以後二ヶ月もの合宿が計画されていた。
 まずは最初に学歴、分野に関係なしに男女混合の十名ほどのグループが作られた。
 そのグループに各一人の担当者がつき、会社見学や退屈なビデオやら訳の判らないゲームだとかをやらされる。

 そして、本社研修の最終日、「恐怖の自己啓発発声」が行われた。
 この「恐怖の自己啓発発声」、悪しき風習と呼ばれながらもなくなることがないのは、自分がいやだったことを後輩がしなくてすむだなんて許せない、という非常に判りやすい理由によるものと思われる。
 人通りの多い昼の上野駅。スーツ姿の新入社員が、人々に向かって大声で、三分間、自分をアピールしろ、というまるで体育会系のクラブのしごきのような研修である。
 いったい誰が考え出したのか、大体の研修感想で「一番印象に残ったこと」に上げられる項目である。

 地元の人などはこの毎年の行事を知っており、冷やかしを投げるためにわざわざ出向く者もあるという。
 三分間は結構長い。
 グループ内で順番を決めるように、というお達しに、またざわざわととりとめのない動揺が走る。
 常識から考えると一番はグループリーダーが務めるべきであろう。
 が。
「おれ、行こうか」
 リーダーが後ずさりをするように輪から離れて行こうとするのを見て、いらちの秋(しゅう)――上田秋――はあっさりと言った。
 反対意見はでなかった。
 誰だって、切り込み隊長はいやなのだ。
 秋もあまりうれしそうな顔をしてはいなかった。
 誰もやらないから、仕方なしにやってやろう、と言う感じであった。
 グループリーダーはグループ分けの時に会社の方から決められている。基本的に最も学歴の高いものがなっている。秋のグループ二十四は博士や修士もいるため、四大卒の秋はのほほんとしていればよかった。しかし、このリーダーは穏やかな学者肌の人で、どうも積極性と言うものに欠けているように見受けられる。そして、グループ二十四で一番積極性を持っているのは、秋であった。
「それじゃあ、続きの順番を決めておいてくれよ」
 秋は心を決めたようであった。担当指導者に自分が一番になったことを述べた。
 集団の固まりから一歩飛び出し、何をするのか、と好奇の目に満ちた人々の方に向き直る。
「わたくし、川中建設の新入社員、上田秋と申します。出身は大阪の八尾、河内の国です。皆さんに私の趣味などを言っても楽しくないと思いますので、ここで一つ、私の国の有名な盆踊り、河内音頭の唄をひとつ披露させていただきます」
 そこまですらすらと口上を述べた秋に、同じグループメンバー、そして担当指導員もぶっ飛んだ。

 何故、河内音頭。

 しかし、そんな人々の驚きも知らぬ顔で、秋は唄いだした。朗々と、慣れた口調で。
 鳴り物やお囃子がないためかなり間抜けた様子ではあったが、アカペラで河内音頭を唄うことには慣れているのか、少し体を揺らして調子を取りつつ、秋は唄い続けた。
 観衆は秋の河内音頭に引いていた。
 それは判ってはいるものの、中途半端なところでやめるわけにはいかない。
 ふと、秋の背後から手拍子が聞こえ始めた。
 手を叩き始めたのは同じグループ中野霞だった。
 手拍子はどんどん広がる。
 背後から、霞の小さなつぶやきのような声が、秋には確かに聞こえた。
 アアエヤコラセードッコイセェ……

 ほぼ三分で適当に唄を切り上げた秋を待っていたのは大きな拍手だった。
 どうやら大道芸の何かと勘違いされているらしい。会社の研修と知っている人は「すごい人がいるもんだねえ」とざわざわ話している。
 こうなると二番手の方がつらいものである。秋もそれはまずい、と反射的に考えていた。
「なにぶん不慣れな新入社員なもので、自分の得意分野で自己主張をするしかものを知りません。こんな私達を、どうぞ温かい目で見守ってやって下さい!」
 自分がこんな事まで口を挟む物ではないだろうと思いつつ、大阪のお節介精神が首をかもたげ、考えると同時に言葉が口をついて出た。
 様々な感情を含んだ拍手を浴びながら、秋は次の人間にバトンタッチした。
「ごめん、出過ぎた真似した」
「うーん、エンターテイナーに最初を取られるとあとがつらいぜ」
 グループメンバーは河内音頭を唄いだした秋に悪意は持たず、からかいと、冷やかしめいた事を言うだけだった。

 「中野さん、有難う」
 来週からは合宿研修、今日は本社研修の最終日、しかも週末とあって、グループメンバーのうち、時間があるもので一緒に呑みに行こう、ということになった。
「何が?」
 ちょうど秋の隣の席に霞が来た。
 ストレートのロングヘア、そして最初は口数が少なかった事から、秋は霞を「引っ込み思案で人見知りをする」と判断していた。
 三、四日でそろそろ打ち解けてきた様子から、少しは人見知りをすると言っても差し支えはないかもしれないが、どうやら本当はもっと肝っ玉の強い所を持っているのではないか、というのが現在の秋の霞に対する見解であった。
 しかし、そんなことを本人にも言うわけにはいかず、周囲の人間の意見も「中野さんはおとなしい」だったので、自分の心の内に秘めておくしかなかった。
「今日、河内音頭でお囃子つけてくれたやろ?」
 なるべく周囲に聞こえないように小さな声で言う。
 霞は驚いた様子で秋を見た。
 まさか、あんな小さな声で言ったお囃子が秋の耳に届いているとは思ってもいなかったし、それが霞の声だと判断できるとも思っていなかったのである。
 しかも、いつもなら東京弁で周囲に合わせた話し方をするのに、何故大阪弁で話すのか。確かに自分は大阪の出身だと言ってはあるが、だからといって、わざわざ話し方を変える必要もないだろうに。
「えーっと……」
 なんと返事を返したものか全く当惑してしまった霞はしどろもどろになってしまった。
「上田、何中野さんと内緒話してるんだよ!」
 ちょうど対面しているリーダーがツッコミを入れる。
「今日の目立った君はやっぱり上田君よね。突然盆踊り歌い始めるんだもの」
「さしずめ、河内君と呼んだ方がいいかな」
「そんなベタな名前を……」
 少し困ったように秋は言ったが、特に怒ったり気を悪くした様子は見られなかった。
 秋のそんな様子に気を良くした女性陣は瞬く間に秋を「河内君」と呼ぶことにしてしまい、合宿研修の間、あちこちから秋は「河内君」の名で呼ばれることとなってしまった。

話の展開が見えないまま4へ続く
トップへいく
創作世界で他のお話を読んでみる