河内音頭に抱かれて・2

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2.河内音頭の本拠地で

 上田家の離れには老人と呼ばれても差し支えのない男女が四人集まっていた。
 老人特有のゆっくりした動き、明瞭でない発音、聴覚の弱さからくる大声、節くれ立った体、たるんで斑のついた皮膚。
 しかし、その瞳はきらきらと輝いており、街を徘徊する若者の腐った目とは比較にならないくらい生き生きしていた。
「え? 得丸、東京に行ったんかいな!」
 四人のなかで唯一の女性である木田がひょえー、と素っ頓狂な声を上げた。
「よくもまあ、雪丸はんが許したもんやな」
「許すも何も、勝手に就職決めてしまいよったらしいで。ホンマ、雪丸はんの気持ちも知らんと」
 と、これはその得丸の動向が気にくわないらしい山下が半分愚痴るような口調で呟いた。
「得丸がおれへんかったら、ここにくる楽しみも半減してまうなあ」
 淋しそうな木田の言葉に、他の男三人はこれやからおばんはしゃあないなあ、と冷たい視線を浴びせた。
「なんやの、その目は! あんたらかて、得丸の恩恵にいつも預かってるやないの! 得丸おれへんかったら、若いおなごが全然来えへんようになんで」
「……まあ、踊りの時は帰ってくるやろ」
 四人の中では一番冷静な(といってもあくまで「この四人の中」での話)高島が気を取り直したように言う。
「別にずっと東京におる訳やないしな。大阪にも支店があるからそのうち戻ってくるやろ。得丸もそない言うとったわ」
 中林は得丸とそのあたりに関して結構話をした様子である。得丸を心のアイドルと仰いでいた木田にとってはそれがなんとなく悔しく、羨ましいが、それを口に出すのもしゃくなので、不服そうな目を中林に注ぐに押さえておいた。
「本社は東京なんやろ?」
 木田の様子など気にしていないらしい高島は中林に尋ねる。
「ああ、それで研修も東京らしいで。配属で大阪になるかもしれへんけど」
「東京なんか人間の住むとことちゃうで。大阪にかていくらでもええ会社ある、っちゅうのに、何も好きこのんであんなゴミゴミしたとこに行かんでも、なあ」
 山下は基本的に、否、本格的に東京嫌いのようである。
「まあ、こっちもそこそこゴミゴミしとるけどな」
 意気盛んな山下をなだめるように高島は苦笑いを浮かべて言った。
「配属が大阪、ってそれいつから? 盆には間に合うんかいな?」
 意地を張り付かれたのか、木田は中林に訊ねる。
「まだ大阪と決まった訳やない。その可能性もある、って言うてるだけや。研修が六月末までで、七月から配属や。まあ、東京か、下手してもっと遠いところに配属になったとしても、盆やら地蔵盆には帰ってきよるやろ」
「そやけど、東京とかで歌わん生活に慣れてしもたら、もう歌わんようになるかもしれへんなあ」
 高島が少し淋しそうに呟いた。
 高島の言葉に山下はきつい視線を送る。
「得丸に限ってそんな事あらいん! だいたい、雪丸はんが許すかいな、そないな事!」
「そやけど、東京はいろんな誘惑するもんがあるらしいしなあ」
「東京モンと話してたら、東京弁が移ってしもた、っていう話よう聞くしなあ」
「な、なんやお前ら、なに高島はんの言う事に納得しとんねん! さてはお前ら、グルやな! 自分らの出番増やそうと思て、得丸を東京に追放しよう思とんねやろ!」
「なんでやねん、そないなことあるかいな」
「そうそう、だいたい、雪丸はんが得丸のこと手放すかいな」
「どこいっても、得丸はやっぱり河内の男やと思うで、私は。そういうとこがええんやて、あの子は」
 自分の怒りをあっさり流され、山下はぽかんと口を開けた。そんな山下の呆然ぶりに、三人はくつくつと笑い声を漏らす。
「あ、あ、お、お前ら、わしをコケにしよったな!」
 怒り出す山下の言葉を、三人は大笑いで半ば答えた形にした。
「いや、別にコケにしたわけやないんやけどな、いやー、山下はん、あんまり逆上しとるから、ちょっと頭冷やしたろ、思って」
 言う高島はまだ笑っている。
「もっと頭熱うなったわい」
 言いながら、山下の口調は落ち着いてきていた。
「まあ、東京でかて、河内音頭やってるとこあるし、そこ行って本場モンの河内音頭教えてこい! 言うたったわ」
「へえ、そんなもんあるんか」
 中林の言葉に木田は感心していた。
「東京で河内音頭お? 東京モンに河内音頭の何たるか判るんか? どうせ新聞(しんもん)詠みとか聞いて、おもろい音楽やな、ぐらいの野次馬根性出してやり始めたんとちゃうんか」
「東京モンは『おもろい』とは言わんで」
「高島はんは黙っとけ! いちいちツッコミいれんでええ!」
「ツッコミ入れてなんぼやろうが。人のあげ足取らんと何のための人生や、っちゅうねん」
「そらボケるための人生や」
「ああ、木田はんはそうやなあ」
 わっはっは。
「ホンマに、どいつもこいつもアホになってくさってからに……」
「言うてる山下はんもアホやろうが。遅れてすまなんだ。始めよか」
 四人の背後から着物を着慣れた様子の八百屋雪丸――本名、上田兼雄――が入ってきた。
 週に一度の楽しい河内音頭の時間であった。

恋愛小説、ってこのじさまとばさまとですか!?などと期待しつつ3へ続く
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