呵々大笑 (かかたいしょう) 9

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9.急転直下

 「あらあら机がいっぱいやねえ。悪いけどちょっとあけてくれる?」
 冷たい麦茶を持ってきたたつやの母、絹江がにこにこ笑って部屋に入ってきた。
「あ、すみません」
 四人はごそごそと机の一角を空けた。
「そやけど、たつやが三人も友達連れてくるなんてねえ……良かったなあ」
「うん」
 いつもの調子でたつやは嬉しそうに言う。そんなたつやを嬉しそうにみさがちらちら見る。
 けい子はぐったりしている。吉朗はそんなけい子に心情を垣間見せるような苦笑いを向けた。
 確かに、吉朗とみさは宿題をやっており、たつやとけい子はほぼ白紙状態だった。
 しかし、たつやとけい子では頭の出来がどうにも違う。たつやが一問も出来ずにうんうんうなる間にけい子は軽く五六問はこなす。みさは苦しむたつやをふっ、と見ては嬉しそうに残りの宿題をする。吉朗は出来るだけスローペースで宿題をすすめ、時々けい子達に話しかける。
「――あかん、判らん。けーこちゃん、教えて」
 少しつまずくとたつやは目の前のけい子に助けを求めようとする。
 しかし、ここで甘い顔をしては駄目だ、とけい子はいちゃもんをつけるやくざなにーちゃんのような目つきでたつやを睨む。
「私は今忙しいんや。見て、判らんか?」
 そう言って――そこで宿題に再び向き直ってはいけない。
 一度、そこで話を切ってしまったばかりに今度はたつやが斜めの吉朗に質問をしてしまった。当然、吉朗にたつやの質問を拒む口実はない。
「――あ、雨田君。これ、何の式使ったらええん?」
 そこでけい子はたつやが声をかける前に吉朗に話しかける。そうすれば当然、吉朗はけい子と会話を始める。
「寝屋川君、何処判れへんの?」
 ここでようやく本命の登場である。
 しかし、けい子としては(もうちょっと前に声かけたらええのに……あかん。気合いが足りん!)と妙な苛立ちを感じる。
 とにかく、そのようにしてみさとたつやの交流が深まってゆく――筈だった。
「――あれ? これは……なんでこうなったんやろ……?」
 教えている側のみさが混乱してくる。そうなると仕方がない。
「ごめん、けいちゃん、ヘルプー!」
「――」
(……何かが違う……。こんな筈やなかったのに……)
 狂い始めた計算に苛立ちを隠しきれないけい子。
 吉朗はけい子に(仕方ないやろ)と諦めの顔を向けた。


 夏休みも終わり、日焼けした顔が集う。
 山井高校では夏休みの間登校日やら補習というものがないのだが、その代わりとでもいうのか、第一日目の始業式その他を終わると翌日から早速通常の六時間授業へ突入した。
 長い休みでだらけきった体を六時間授業制になじませるのはなかなかに骨が折れる。しかも、九月といえどもまだまだ残暑は厳しい。精神的秒読みに入り始めた大学受験生はともかく、他の連中(一部教師を含む)は暑さとけだるさに伸びきっていた。
 六時間終了の鐘が鳴る。教師は職員室へ帰り、生徒はクラブへ、家へと教室を出て行く。
 帰宅部のけい子、ゆう子、吉朗、たつや、そして今日はクラブのないみさがぞろぞろ教室を出る。いつもならそこに正一も加わっているのだが、今日は用事があるらしく、早々に姿を消していた。
 五人が校門を出ると、思わぬ人物がそこにいた。
「――!? 兄ちゃん……どないしたん?」
 巧である。
 髪の毛を逆立てて固め、サングラスをし、そこでアロハシャツなどを着ていたら完璧なやくざ家業のお兄さんなのだが、大学生らしくラフな、しかし実はブランドなシャツとパンツで何気なく決めている。
 たつやはけい子達女子集団のかなり前の方で吉朗と話し込んでいたので巧に気付かずぼちぼち先に行っていた。
 けい子もたつやの事は忘れており、巧はたつやに気付いていなかった。所詮似たもの兄妹である。
「明後日から、旅行行く、言うとったやろ? それで友達にワゴン車借りに来たんや。それがこの近くやったから、ついでに寄った、っちゅうわけや。帰りやろ? 送ってったるわ。そこのお嬢さん方も」
 日頃のフェミニストぶりを発揮して満面の笑みで言う。
「え!? ホンマ!? ラッキー!」
 単純に喜ぶけい子に対し、ゆう子とみさは少し戸惑った様子で顔を見合わせ、何事かを相談し始めた。その間を見計らったように巧はけい子を手招きで呼ぶ。
「何?」
 巧はけい子に(ちょっと耳をかせ)というジェスチャー。
(――たつやに惚れてる、って物好きな子、この中におるんか?)
(……も、もしてしてそれが目的でわざわざ来たん!? どうりで日頃ケチくさい兄ちゃんが、ようこんな……)
(あほっ! さっき言うてたんはホンマのことや。――で、おるんか?)
(……背低い方の子……)
(お前よりずっとかわいいやんけ。――もったいない)
(……)
「けーちゃん、寝屋川君等は?」
 みさがキョロキョロしながら言った。
「え? たつやもおったんか?」
 巧が驚いて言う。
「うん。けど、先行ってしもたみたいなや。兄ちゃん、たーくんも送ったるか?」
「んー……俺の車に男を乗せるのは不毛やけど……お前の言ってた見当違いな状況を見てみたいしな」
「何が俺の車、や。借りモンのくせに。――判った、呼んでくる。鞄持って」
「そしたら車出しとくぞ」
 軽快にけい子は走って行く。
 たつやと吉朗は百メートルほど先の角を左に曲がってしまっていた。多数の生徒はもう一つ向こうの角で曲がるのだが、人混みを嫌うたつややゆう子がいるのでそれがいつもの道順になっていた。
「たーくん! 雨田君! ちょっと待っ――!?」
 角を曲がるけい子が見たのは、信じられぬ光景であった。
 バックガラスは黒く彩られて中の見えない白い大型車に、気絶している様子の吉朗とたつやが男達に抱えられて吸い込まれる。
 かっちりとした背広に身を固めたサングラスをかけたスポーツ刈りの男が大声を上げたけい子をちらりと見やり、慌てて車に乗り込んだ。
 そして、車は動きだそうとする。
「――ま、待て! 何処行くねん! 置いてけ泥棒!
 エンジンの音に我に返ったけい子が慌てて後を追いかけようとする。
 当然、追いつくはずがない。これはそういう話ではない。
 そこへ折良く、さっき見たばかりのワゴン車がやってきた。
「どないしたんや、けーこ。えらい大声出して」
 事情を全く知らない巧がのんびりと窓から顔を出して声をかける。
 青ざめた顔のけい子は車の行方を見ながら助手席のドアを開け――ようとするとドアにはロックがかかっていた。
「くそッ!」
「――あ、すまん、ロック――どわっ!」
 いちいちロックを開けてもらうまで待ってられなかったけい子は車の前を回り込み、運転席に乗り込んだ。
 思いも寄らぬ方向から追いやられた巧はけい子は押されるがままに移動する。ギアとハンドブレーキが邪魔にはなったが助手席のドアロックをはずそうと身を乗り出していたため、座席移動は割合スムーズに行った。
 シートベルトを閉めながらハンドブレーキをおろす。ハンドルを持ち、ギアをニュートラルからドライブにして、アクセルを踏み込む!
「うわっ!!」
 巧はもちろんのこと、後ろにいたゆう子とみさも驚声を上げる。
「な……何すんねん!」
 ただならぬ事態を察し、運転を代わることは早々に諦めて巧はシートベルトを締めながら叫ぶ。
 ワゴン車は白い車を追いかけて角を強引に左に曲がる。ファーストインファーストアウトのコーナリングは後部座席の二人に負担をかけることは判っていたが構っていられなかった。
「誘拐や! たーくんと雨田君があの車に乗せられたんや! 気絶させられて!」
「――ええ!?」
 追っ手の存在に気付いたのか、白い車はスピードを上げた。
 けい子はチッと舌打ちし、更にアクセルを踏み込み、ハンドルを強く握った。
「――一旦、こっち見たからな……気付いているやろ……手荒に行くで……ゆーちゃん、みっちゃん、しっかりどっかにつかまっときやー」
 緊張で水貼りしたようなけい子の表情に不敵な笑みが浮かぶ。巧はそんなけい子をちらりと横目で見たが何も言わず、前方の車を見た。
 見た目よりも機動性の高いワゴン車を細い道でまくのは無理と思ったのか、車は大通りへ出ようとしている。
「あほんだらー、こっちは地元やぞ。ちんたら細い道走ってまけると思っとるんか……」
 けい子はぶつぶつとぼやく。巧はひきつった顔でけい子を見た。目が据わっている。
 白い車はカーブを右に曲がり、細い道から大通りへ出ようとしていた。目前の信号は赤。買い物帰りとおぼしきおばさんが横断歩道を渡っている。
「おしっ。止まったら乗り込――」
「――!」
 車は止まらなかった。カーブを抜ける加速のついた猛烈なスピードのまま曲がり、まんまと大通りへと逃げ失せた。
 けい子は慌ててブレーキを踏み、ハンドブレーキも上げた。無惨に轢かれたおばさんの直前でワゴン車は止まる。
 四人は慌てて車を降りた。
「救急車呼んでくる! 兄ちゃん、おばさんの様子見て!」
「よ、ようす見て、言われたかて……」
 けい子は電話ボックスへ駆けて行く。
 何事かと人が集まってくる。
(……こんなん……こんなん……ありかよー!!
 パニック状態の頭の中で、けい子は付けるだけの悪態を、誰に、という訳でもなくわめき散らしていた。

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