呵々大笑 (かかたいしょう) 10

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10.それらしく刑事登場

 轢き逃げの被害者は一命はとりとめたものの、予断を許さない重症であった。
 この事件の取調べをはじめた刑事は、単なる(といってはひかれたおばさんに対しては失礼だが)轢き逃げ事件が実は二人もの人間の誘拐がその裏にあったと知って目を剥いた。
「またかよ〜」
 担当となった宮下刑事が頭を抱えるのを見て、助手席で事態を見ていたとなっているけい子は(そういや誘拐事件が続いてる、って……誰かが言ってたな……誰だったっけ)と妙に冷静に考えた。
「――あ、あの……私、車のナンバー見てました……」
「え!?」
 今迄殆ど口を開かなかったみさの突然の申し出に、その場にいた全員が驚いてみさに注目した。
「……車の中から……見てたんです」
 少し怯えたような、しかし、しっかりした口調でみさが言った。

 一通り事情聴衆が終わり、ゆう子とみさはそれぞれの自宅へ、道案内の為に巧は刑事と共にたつやの家へ、同様にけい子は吉朗の家へ行く事になった。あい続く誘拐事件で人手が足りないのか、刑事は一人ずつである。
「雨田さん。絵梨さん。野際です」
 突然「警察です」と言ってしまっては気を使わせる、と思ったのか、それともただ単に行動が早かったのか、けい子が渡真利刑事より先に戸をノックした。
 扉が開く。
「こんにちわー」
「こんにちは。――悪いけど、吉朗、まだ帰ってへんねん。何処ほっつき歩いてるんか……? その人は?」
 けい子の背後の影に気づき、絵梨が声をかける。けい子や吉朗の同級生にしてはえらく老けて見える(といってもニ十代半ばに見える)し、高校生が背広を慣れたように着ているとも思えない。
「こういうものですが」
 そう言って渡真利刑事が警察手帳を見せる。
 日頃警察のお世話になるようなことをした覚えのない絵梨はそれを見て動揺した。
 刑事をけい子が連れてきた、という状況に吉朗が何かしでかしたのか、と問い掛けるようにけい子を見る。
「絵梨さん。雨田君が――誘拐されたんです」
「まさか……」
 一瞬、すべての表情が消え去り、じわじわと不安と不審の影が兆す。
「すみませんが上がらせていただけますか?」
 人目を避けたいので、と渡真利刑事はすまなさそうに言った。その気弱そうな言い方に、けい子はこの人、ホンマに大丈夫かいな、と不安を覚えた。
「あ――はい、すみません。気がつきませんで……散らかってますけど……」
 動揺を隠しきれない様子ではあるが、理性が打ち勝ったらしい絵梨はドアを大きく開けた。
「それじゃあ、私はこれで――」
 そう言って去ろうとするけい子の腕を絵梨が掴む。
「野際さん……すぐ帰らなあかん?」
「え? いえ……その……たー――寝屋川君も誘拐されたんで、ちょっと様子を見に行こうかと……」
「寝屋川君も……?」
「はい」
 けい子はそうはっきりと答えてから、果たしてそのような事情を言ってしまって良かったのか、と心配して渡真利刑事を見た。
 けい子と視線のあった渡真利刑事は曖昧な笑顔を浮かべただけであった。
(どうもこの人は……出世でけへんタイプの人やなあ。……誰かを彷彿とさせる……)
「――一体、何処で誘拐が……」
「誘拐時の状況は確か、野際さんが見ていた筈……」
「――……目の前で、二人が誘拐されたんです」
「――」
 絵梨は、口を閉ざしうつむいてしまったけい子から視線をはずし、炊事場へ向かった。
「お茶を入れますから、座って下さい。野際さんも――できれば、誘拐の状況を教えて下さい」
 水屋から客人用のコップを出し、落ち着いた声で絵梨が言った。
 どうも、などと言って渡真利刑事があがる。一旦帰りかけていたけい子も仕方なし、という感じで上に上がった。
 コップに氷を入れ、冷蔵庫から出した麦茶を注ぐ。かすかに氷にひびのはいる音がした。先ほどとはうって変わって落ち着いた様子で、絵梨は麦茶と煎餅を持って来た。
「こんなものしかありませんけど……」
「いえ。すみません。――ところで、誘拐のお心当たりはありませんか?」
「……ありません」
「時間的には、もう脅迫電話とか、かかってきてもええ頃違います?」
 けい子が部屋の隅にある電話をちらりと見ていった。他の二人も視線をそこに移動させる。
「そやけど……身代金とか要求するつもりやったら、もっとええとこのぼんぼん狙ったらええのに……」
 怒ったような口ぶりでけい子がぼやく。
 絵梨はそれに反応せず、けい子を見た。
「野際さん。悪いけど……誘拐のこと、教えてくれる?」
「はい。
 学校の帰りに、門の前で兄に会って――車を友人に借りて、そのついでに来てたんですけど――それでちょっと話して、家まで送ってくれる、って言うて――たー……寝屋川君も送ってやる、って言ったんで、先に行ってしもてたたーくんと雨田君を呼んでこようと思って走って角を曲がったら――白い車に気絶した二人で乗せられるのが見えたんです。……それで、ちょうど車に乗ってきた兄に頼んでその車追いかけて……けど、その車、ひき逃げしてしもて……」
「――」
「友達の一人が、車のナンバー見てたから、そっからなんか手がかりがあったらええんですけど……」
 続けて口を開くには重い沈黙が落ちた。
 けい子はこの暗い雰囲気は自分が作ってしまったのだ、と気づき、なんとか上昇させなければ、と勝手に決心した。
「――刑事さん」
「はい?」
「録音機とか、逆探知記とか、いらんのですか?」
「あ」
「……。運ぶの、手伝いますわ」
 やれやれ、困った刑事さんやな、という面もちでけい子は立ち上がる。
「いや、女性にそんな事させるのは――私一人で大丈夫ですから」
 渡真利刑事がそう言ってすく、っと立ち上がる。立ってみるとほんの少しけい子より背が高い。
 周りを見れば二センチ身長が高い程度の吉朗、殆ど立ち話をしないので背の違いを自覚する機会のない巧ぐらいしか自分より背の高い人間が居ないけい子は、なれぬ視線の向きに少々戸惑った。――しかし、それも一瞬のことで、すぐさまけい子はいつもの陽気さでにっこり笑った。
「まあまあ、そう言わんと。家が酒屋やから、ビール運んだりで筋力ありますから」
「……じゃあ、少しだけ……」
 少し悩んだ後、人の良さそうな笑顔で渡真利刑事は言った。
”コンコン”
「はい」
 思いも寄らぬノックの音に絵梨は不思議そうに返事した。
「俺。鳥井」
「え? あ、はい」
 絵梨は、なすすべもなく茫然と立っている二人をちらりと見上げて立ち上がり、ドアへと歩いた。
「――どちら様で?」
 ぼそぼそと渡真利刑事がけい子に訊ねる。
「確か……お隣の方だったかと。私もこちらには一回しか寄せて貰ってないんでよう知りませんけど」
「へえ。成程」
 何が成程なのかよく判らないが、とりあえず渡真利刑事はそう言うと、ドアの向こうにいる志郎を見た。
「――刑事さん」
 けい子が茫然としている渡真利刑事に声をかける。
「はい」
「誘拐とかそう言う時、って、あんまり内情を部外者に知らせへん方がええんと違うんですか?」
「どうしてです?」
「どうして、って……いつ、誘拐犯に知れるともしらんし……テレビの刑事ドラマとかでもそんなことよう言うてるやないですか」
「そういう場合もありますけど――この事件に関しては、誘拐現場を野際さんに見られ、追跡された、と向こうは判っているわけでしょ? ならば当然警察が介入してくると容易に想像がつく筈です」
「……成程」
「それに、こちらは一つでも誘拐事件の情報が欲しい。だから大勢の人の協力を必要とします。協力して貰うには当然こちらの状況説明も必要となるでしょ?」
「……確かに」
 けい子は深く頷くとまじまじと渡真利刑事を見た。
「――な、なんですか?」
「いや……刑事さん、ちょっと見かけは頼りなさそうやけど、本当は頼りがいのある人なんですね」
「……」
 女子高校生に真剣にそんなことを言われて渡真利刑事に言葉はない。
「――録音機とか運ぶの手伝うの、私で抵抗あるんやったら、鳥井さんに頼んだらどうですか?」
「え? あ、ああ、それはいいかもしれませんね」
 渡真利刑事は、絵梨から話を聞いて蒼白になっている志郎の元へ行く。
「あ――刑事さん、ですか?」
 恐縮したような口調で志郎は言う。探偵という稼業、警察の一歩手前のような仕事も結構手がけているためか、刑事の前では意味もなく萎縮してしまうようである。

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