呵々大笑 (かかたいしょう) 6

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6.愛とか恋とか

「お帰り……あれ? いらっしゃい。野際さんも来たん?」
 質素なアパートの一室に入ると、奥の部屋で吉朗がテレビを見ていた。
「たーくんが方向オンチやさかい、私についてきてくれ、って頼まれて――一緒に来たはええけど、迷てしもてなー。うろうろしてる時に丁度お姉さんに会うたんや」
「へえ、そりゃ良かった。どうりで来るの遅いと思てた」
「すまんなー、心配かけて」
「雨も降ってきとったし……」
「はい、タオル。よう拭かんと風邪ひくで」
 どこからか絵梨はタオルを持ってきてけい子とたつやに渡した。
「あ、有難うございます」
 絵梨は笑顔を返して隣の部屋に入った。
「お茶でも入れようか」
 吉朗は立ち上がる。
「あ、有難う」
 二人はバラバラに答えた。
 台所でいそいそと働く吉朗をよそに、けい子はたつやを拭いてやるふりをして髪の毛をぐしゃぐしゃにして遊んでいた。
 ノックの音がした。
「はい」
「俺。鳥井」
「はい」
 吉朗は笑顔で扉を開けた。少しばかりもっさりした感じの年齢不詳の男が立っていた。
「これ。回覧板」
「あ、有難う。――茶でも飲んでいかへんか? 丁度入れるとこやし」
「え? お客人おるみたいやないか。それに――絵梨ちゃん勉強してるんとちゃうんか?」
「気にするような仲の人とちゃうし。鳥井さんが忙しいんやったら無理に、とは言わへんけど」
「そうか? ほな遠慮なく」
 鳥井という男はドアを閉め、靴を脱いで上に上がった。無表情にけい子とたつやにお辞儀をする。二人もそれに応えて慌てて頭を下げた。
「隣に住んでる鳥井志郎です。しがない探偵やってんねんけどね」
「たんてい」
 けい子とたつやは顔を見合わせた。テレビや映画では大勢出場する職業ではあるが、実際に会う事もないだろうとの思惑が外れ、ぽかんとしていた。
「探偵――って、興信所?」
 けい子が遠慮なしに言う。志郎は苦笑いを浮かべた。
「まあ、実際はそんなとこかなー。……ところでお二人さんの名前は?」
「あ――野際けい子です」けい子が明るく言った。
「寝屋川……たつやです」たつやが陰気に言った。
「俺の同級生」
「同級生――だけか?」
 お茶を持ってきた吉朗に、志郎はちょっと悪戯っぽく笑った。その笑顔で年齢不詳の志郎の顔が急に幼く見えた。
「え?」
「恋人とちゃうんか?」
「!?」「ちゃう!」――吉朗とけい子は絶句し、たつやは思いっきり否定した。その大きな声に志郎はぽかんとしたが、すぐに(成程)と言いたげな嫌らしい笑いを見せて、たつやと吉朗を見た。
「いや、失言失言。こういうアットホームな雰囲気に浸るとつい口が過ぎてしもて――」
”ガラッ”
 障子が開く。絵梨が不機嫌さを隠そうともせずに障子をぴしゃりと閉め、ぐるっと回って志郎と吉朗の間に座った。その場に居た四人の視線は示し合わせたかのように絵梨に注がれていた。
「――ごめん、姉貴……うるさかった?」
 吉朗の言葉に絵梨は苦々しい笑顔を向ける。
「判ってたらもう少し静かにしてくれたら嬉しかってんけどね。――志郎さん、こんなとこで油うってて、仕事の方はええの? まだ犯人捕まらへんねやろ?」
 ひじをつき、組んだ手の甲に顎を乗せ、絵梨はにっこり笑って志郎に話しかけた。
「犯人?」
 けい子が何じゃそれ? と言いたげに繰り返した。
「――この辺で誘拐続いてるやろ? それの犯人。警察じゃあらちあかん、って依頼されてるんや」気さくに志郎は答えた。
「え!? この辺で!?」世間に疎いたつやが驚いてけい子を見た。
「続いてる、って――私、太田で誘拐があった、っていうのしか知らんねんけど?」
「――ホンマは言うたらあかんねんやろ? 鳥井さん」
 吉朗が少したしなめるように言う。志郎は軽く唇の端を上げた。
「ホンマは、な」
「そないに口軽うて、よう探偵してるわ。犯人の目星、ついてんねんやろ?」
「まあ、ぼちぼち――っと、俺はそろそろおいとましようかな。大変忙しい受験生もおられることやしな」
 とぼけた表情で立ち上がる志郎を絵梨は文句言いたげに見ている。
「まあまあ、そない怖い顔で睨まんと――じゃ、また、そのうち――」
 唐突に現れた探偵は唐突に帰っていった。
「――あの人、何しに来たん?」
 たつやがけい子の顔を見て言う。
「何でそこで私に聞くんよ。私が知ってる訳ないやんか」
「回覧板、届けに来てくれたんでしょ」
 絵梨は無表情に小さな声で答えて机の上に置いてあった回覧板を手に取り、中を見始めた。
 吉朗はそんな絵梨を何か言いたげに見つめている。けい子はその視線に気付き、一体なんやろーな、というつもりでたつやを見たが、たつやはそんなことには全く気付きもせず、お菓子を食べていた。


「いやー、面白かったなー『大砲化学』」
 日曜の昼下がり。映画館をでたみさとけい子は喫茶店に入った。
 けい子はフルーツパフェを頼み、みさはチョコレートパフェを頼む。映画の内容に感動したけい子は嬉しそうに大きな声で映画について語っていたが、みさはやや気のない笑顔でうなづちを打っているだけだった。
「――? どないしたん? みっちゃん。えらい元気ないやん」
 話が一段落付いたところでようやくけい子はみさの元気のない様子に気付いて声をかけた。みさは一瞬もの言いたげにけい子を見たがその次の瞬間には口を閉じてうつむいてしまった。
「何や? 何か心配事でもあるんか? 何でも言うてみ? 出来る限りのことするし」
 同じ心配事があったとしてもけい子に相談してもあまり意味がないような気がするが、みさは「ん」と答え、お冷やに口を付けた。心なしか頬が染めたように赤い。
「セーターを、な……」
「?」
 よっぽど真剣な話がでるかと思いきや、第一声がそんな意味不明の言葉である上に、みさはそのまま照れて押し黙ってしまったのだから、けい子には訳が判らない。しかし、何とも返答のしようがないので、そのままみさの次の言葉を待つ。
「つくって、あげようと、思って……」
「誰に?」
 私はそんな話知らんで? と言いたげなけい子の表情にみさは困ったようにうつむいて黙ってしまった。
 どうやら好きな人にセーターを作って、あげたいのだろう、とは鈍いけい子でも想像がついた。しかし、一体誰がその「好きな人」なのかは皆目検討がつかない。亦、その手の話にとんと縁のない、鈍い自分に何故みさが話を持ちかけてきたのか、それも不思議でならなかった。
 しかし、そんなことは考えても仕方がない。ただ、けい子はみさの次の言葉を待っていた。
「……もらってもらわれへんのやったら、私が着てもええし……」
「――で、誰に、あげんの?」
 さすがにけい子の我慢が切れた。
「私の知ってる子?」
「その……まあ、たとえ話として、な、な?」
 みさは一生懸命言葉を紡ぐ。そうなるとけい子は「うん」と頷くほかない。
「その人が、他の女の子の事好きで……その、好かれてる女の子はその人の事、友達ぐらいに思ってて……その人にセーターあげたら、迷惑かな……」
 みさは少し伏せ目がちにぽつりといった。
「そんなん、構へんやん」
 けい子はバッサリと言い放つ。
「――え?」
「その人が誰を好きであろーと、みっちゃんがその人好きやったら、アタックあるのみ! その好きな女の子、っていうのがその人の事何とも思ってへんのやったら、尚更好都合やん。そんなもん、気にしてたらあかんて。――まあ、言うても私はそういうのに縁がないからあんまりええ忠告やないかもしれへんけど……」
「もしか、その女の子がその人の事、好きやったら?」
「そんなもん、気にしとったらあかん! 突進のみ!」
「……ほ、ほ、ほんまに、ええの? けいちゃん」
 みさはいつの間にか問いかけるような口調になっている。
「――へ?」
 みさの変化に、けい子は対応できず、ぽかんとする。頭の線が一瞬にして脱水機にかけられたように混線する。
「ええ、って……何が?」
「セーターあげて」
「――私に?」
 よもやそのような事はあるまい、とタカをくくって言う。
 みさは当然首を横に振る。
 しかし、次にみさの言った科白はそれ以上はない、という程のショックをけい子に与えた。
「寝屋川君に……」
「……げっ……!!」
 一瞬の間――即ち、『寝屋川君』=『たつや』の図式が成立するまでの間――の後、けい子は小さなうめき声を上げるとあんぐりと口を開けたまま硬直してしまった。
 都合の悪いことに丁度その時ウエイトレスが注文の品を持ってきた。
 硬直から回復できないけい子に「な、なに? この人は?」という視線をちらりと向け、しかし次の瞬間には仕事モードに戻って何も見ていなかったようなそぶりで愛想笑いを残して去っていった。
「け、けーちゃん……? なんでそんな顔すんの? 私、私、せっかく勇気出して言ったのに……」
 ショックを受け、泣き出しそうなみさの声にけい子は「はっ」と我に返った。
「え? あ、ご、ごめんごめん。思いもよらん事聞いたからびっくりしてしもて――あ、パフェ来たやん。はよ食べな、クリーム溶けてまうな。そやけど、パフェ来んの、遅かったなー。けど、結構大きいやん。待った甲斐があった、ってやつやな」
 けい子はべらべらとまくし立てるように喋る。
 現実逃避の典型的な型である。
 しかし、ここで引き下がってはそこまで言ったみさの立つ瀬がない。
「……何で?」
「――え?」
 あくまで話を元に戻そうとするみさに、けい子はこわばった顔つきで応える。
「そんなにけいちゃん、寝屋川君の事、嫌い?」
「……そら、嫌いやない。……やろうけど……」
 いまいち自信のない答えである。もし、ここにたつやが居たなら例によって例のごとく「けーこちゃん、俺の事嫌いなんかー?」と泣きつきそうな顔でけい子を見ただろう。しかし、今、ここにたつやはいない。
 そう、けい子はたつやのことで好き勝手に言ってよいのだ。
「そしたら、好き?」
「……。なんでそーなんねん……」
 しかし、まさか「たつやが好き」という、みさの前でたつやへの不満を並べ立てた所でどうしようもないだろう。「何でそんな事言うの?」と返されるに決まっている。
 たつやとみさ、テンポ的には似た所があるのかもしれない。当然、たつやの方がみさよりずうううううううっと「どんくさい」のは言うまでもないが。
「しかし……みっちゃん」
「――ん?」
「たーくんの、何処がええの?」
 私は本当に呆れたで、という感情を隠しもせずにけい子は言う。
 しかし、けい子の一言で、みさは「恋する乙女のトランス状態」に陥った。
 頬を染め、恥じらいの視線はややうつむき、片手は口元、片手は膝の上。出し惜しみしながらも言いたくてたまらない唇。
 そんなみさの変貌に、けい子は呆然とした。
「何処、って……そんなん……口で言われへんけど……。けいちゃんに怒鳴られたりした時、ちょっとむくれたりするやろ? あの顔、かわいいやんかー」
(みっちゃん……目悪くなったんか?)
「それに、他の男子と群んと、我が道を行く、って感じで――」
(あれはただ単に友達がでけへんだけや! 誰なと知り合いできたらほいほいついて行くわい!)
「そやけど、時々、フッと淋しそうな顔して……それ見てたら、何か、キュッ、って抱き締めたあなってくんねん」
(……。まあ、人がどない思おうと、勝手やけど……な

「ああいう人と一緒におったら、ほや〜、ってあったかい気持ちになれると思うわー」
(一緒におったら苛立って体があつうなってくるわ)
「……けいちゃん、聞いてる?」
 黙々とパフェを食べるけい子に、みさは少し怒って問いかける。けい子は何とか笑顔を作った。
「聞いてるよ。――みっちゃんも、浸ってんと、食べたら?」
「ん……ん」
 みさがとろとろと食べているのを見ていたその瞬間、けい子は疲れ果てた精神から忘却していた決意が呼び覚まされるのを感じた。
 忘却していた決意。
(みっちゃんとたーくんが結びついたら……私はたーくんのお守りから解放される……!)
「――みっちゃん!」
 先刻とはうって変わったけい子の希望に満ちた顔。
「ん?」
「私も協力する! 協力させて! たーくんとみっちゃんの仲を取り持とう!」
「え!? ホンマ!?」
「ホンマホンマ! やったるでー!」
「わー! けいちゃん、有難う!」
 ここに女二人、利害の一致により手を結ぶのである。

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