呵々大笑 (かかたいしょう) 5

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5.方向オンチが作る出逢い

 一番最初の中間テストも終わり、答案も返り、「今度は勉強しよう!」との決意が忘却の彼方に消え去った頃、学期末テストがやってきた。
 少しばかり教科が増え、夏の到来による不快指数の増加もあり、中間よりもプレッシャーはかかってくるのだが、とにかく「これさえ終われば夏休みだ!」という頭があるため、気分はよかった。
 というより、思考が勉強より夏休みに向かっていた、というべきか。
 そんな中、たつやは相変わらず、であった。
 彼は主に吉朗やけい子に教えを乞うていたのだが、その選択は正しかった、というべきであろう。恐らく、この二人がクラスで一、二番の成績を有していたであろうから。しかし、二人はそんなことは余り気にしていなかった。うらやましい話である。
「終わったー!」
 一学期最後のチャイムが鳴る。途端に教室は騒がしくなる。答案用紙を持った先生が教室を出ると、騒ぎは更にひどくなった。
「寝屋川。お前、夏休み何処か行くんか?」
 いつもの調子でにやにやし乍ら正一がたつやに聞く。
「夏休みはバイトや」
 試験が終わってごきげんのたつやはにこにこして言った。
「バイト? お前みたいな奴にできるバイトなんかあるんか?」
 完全にバカにした口調である。
「うちの店の店番や。たーくんみたいなお間抜けでもできる仕事や」
 けい子が口を挟む。たつやを庇おうとしているのか、けなしているのよく判らない科白である。
 ただ、けい子がむっとしているらしいことはその口調から判った。
 けい子がたつやを庇っているのなら、その事に対してからかいの言葉を投げつければいい。亦、けなしているのであれば、それに同調すればいい。しかし、このように出られては、正一はなんとも言葉を続けられなくなった。
「そやけど、けいちゃんとこ、手え足りてるんとちがうん?」
 ゆう子がぶつっと言う。
「兄ちゃんが何を血迷ったか突然テニスサークル入ってな――どうせかわいい子でもおったんやろ――お母さんは体調が芳しくないし」
「ふーん。大変やな」
「――わ、私が手伝いに行こか? クラブも週一回しかないし」
 みさがおどおどと切り出す。
「やめといた方がええで。暇やし、時給やすいし。それに、たーくんと一緒に店番なんか、かなんやろ」
「なんや、何でそんなこと言うねん」
 けい子の言葉で生じた軽い笑いの中、たつやは困った様子で言った。結局、その笑いを増長させただけだが。
「しかし、夏休み入ったら早う免許とらんと……」
「免許、って原付?」
 より子が好奇心むき出しの表情で訊いてくる。
「原付以外何があんの」
 けい子は笑って、答える。
「? どうしたんや、寝屋川君。変な顔して」
 たつやの表情の変化に吉朗が訊ねる。さっ、っとけい子の顔色が変わった。
「――たーくん!」
「……なあ、けーこちゃん――」
「その話は、後で、な?」
 焦りを隠せぬ様子で言うけい子。
「う、うん……」
 納得しきれていないがたつやはひとまず頷いた。
「――何や? なんか意味ありげな会話やな、今の」
 正一が胡散臭そうな目つきで二人を見た。
「まあまあまあ、気にせんと。さ、帰ろうか。――っと、よりちゃんは今日はクラブやったっけ。みっちゃんは?」
「私も……」
「そしたらゆーちゃん、帰ろうか」
「うん」
「じゃあ、バイバイ」
 けい子はさっさと教室を出る。ゆう子がその後についてくる。
「あ、けーこちゃん、待ってえや!」
 たつやが慌てて鞄をひっつかみ、教室を出た。その後ろを吉朗や正一が別に慌てる事もなく歩いていく。
「何の話やったん?」
 ゆう子が淡々とけい子とたつやに訊ねた。
 たつやが言ってもええんか? とうかがうような目つきでけい子を横から見上げた。けい子は眉をひょいと上げて少し考えたような仕草を見せると苦笑いして頷いた。
「おれ、けーこちゃんが原付乗ってたの見た」
「――成程」
 自分を挟む二人の会話を聞きながら、けい子は私には何の関係もない話ですよーと知らんぷりを決め込んでいた。
「それに、けーこちゃん、もうちょっと大きいバイクとか――車にも乗れる、とか言うてへんかったっけ?」
「――……そうなん?」
「まあ、生活上、必要にかられて、とりあえず……」
 けい子はばつが悪そうに、苦笑いして答えた。
「そやけど、無免許で車とか運転したらあかんねんやろ?」
 言わずもがなのことをたつやが言う。
「そんなん、滅多に乗れへん、って」
「――まあ、くれぐれも事故は起こさんように、な」
 ゆう子がぶつ、っと言うのを聞いて、けい子は笑って「判ってる」と答えた。


「――雨田君の家に?」
 定休日の水曜日に朝からやって来たたつやに「今日は定休日やで。前から言うてたやろ?」と言ったけい子が、たつやの言葉に不思議そうに聞き返した。
「うん。本、借りにいくねん。店番しながら読んでもええんやろ?」
「んー、あんましほめられた事とちゃうけど、私もしてるしなー。そやけど、何で、それで私の所にくるん?」
「おれ、道、判れへん」
「私もそんなん、雨田君のとこなんか、知らんで」
「電話で道訊いて、地図は書いてん。そやけど、おれ、方向オンチやから……」
「――私かて、土地勘のないとこはあかんねんけど……。……しゃあないな。たーくんよりはましやろ。ちょっと待ち。用意してくるから」
「有難う! そやからけい子ちゃん好きやねん!」
「――」
 けい子は硬直した。
「どないしたん?」
「え? いや、別に……」
 珍しくのろのろした動作でけい子は二階へ上がっていった。それと入れ違いにボサボサ頭、よれよれのパジャマ姿の巧がおりてきた。
「何や。たつややんけ。どないしたんや。けーこをデートに誘い来たんか?」
 ちらりと玄関を覗いてたつやの存在に気付いた巧は自分の姿を気にせず(当然相手がたつやだからだが)玄関までやって来た。
「一緒に友達とこ行くねん。おれ、道判らんから」
「……けーこは道知っとるんか?」
 たつやは首を横に振る。
「地図があんねん。おれ、方向オンチやから」
「あいつも、土地勘ないとこやったら、あかんぞ。二人して行き倒れになんなよー」
 そう言って巧は豪快に笑った。日頃のちょっといきった服装、黒いサングラス、ぴしっと固めた髪型の決め姿とはえらい違いだが、たつやにとっては今のだらしない格好の方が昔の姿を彷彿とさせて親近感がわくのであった。
「誰が行き倒れやて?」
 階段を下りながらけい子が言う。巧は肩をすくめるとそそくさと居間の方に行った。
「――ったく。人が聞いてへんと思ったら、好き放題言うてんねんんから。……ほな、行こか」
「うん!」
 二人してのお出かけ――こう書くとまるでデートのようである。しかし、たつやの方はともかく、けい子の方にちらとでもそんなことを口にしたなら間髪入れず蹴りを入れられていたであろう。先ほどの巧の言葉がけい子の耳に入らなかったのは幸いである。


 吉朗の家は高校の近くである。電車に乗らなくてはいけないのだが、通学用六ヶ月定期、という強い味方のため、電車賃は必要なかった。
 駅で下車し、十五分徒歩――地図にはそう書いてあった。
「けーこちゃん、このパン屋、さっきも見いひんかったか?」
「……気のせいや」
「けーこちゃん、雨降ってきたで」
「――この地図、間違えとるんとちゃうか!」
 けい子は苛々した口調で叫ぶ。たつやはびくっと、その声におびえてけい子を見た。
「そ、そんなこと言われたかて……おれ……」
 苛立つけい子にたつやはつついただけで泣き出しそうな顔を向けた。――そう言う顔をされるとけい子は弱い。
 本当は「男のくせにそんなぐずぐず湿っぽい顔すんな!」と一喝したいところなのだが、そう叫んでみても「転んだら転びっぱなし」体質のたつやには何の効用ももたらさない。それどころか――なのだから、いやいやながらも自分が曲がるしかない。
「あー、ごめんごめん。私が悪かった。そやからそないに情けない顔しな。な?」
「……。なさけないかお?」
「……。まあ……」
 けい子は一瞬視線を宙に向け、再び自分を見ているたつやの顔を見た。
「少なくとも、立派な顔とはちゃうわな」
「……」
「たーくんの顔の形容なんかどうでもええねん。とにかく、雨田君の家……を……」
 たつやを見ていたけい子の視線がふと遠くなり、そのまま止まった。
「ん? けーこちゃん、どないしたん?」
 たつやは後ろを振り向く。駅の方から足早に歩く人々。
「雨田さんとちゃうか?」
「――え?」
「雨田君のお姉さん」
「どこ?」
 たつやがキョロキョロしている間にけい子はさっさと絵梨の方へ走っていった。
「雨田さーん」
 うつむき加減に歩いていた絵梨が顔を上げる。
「雨田君のクラスメートの野際といいます。雨田君の家に行こうと思ったんですけど、道に迷てしもてて……一緒に行ってええですか?」
「え? あ、どうぞ。……道に迷た、って……そんな複雑なところにある訳でもないやろうに」
「とりあえず地図見てたんですけど、どうも土地勘がないと……。連れは私よりひどい方向オンチやし……」
「連れ?」
 そこでようやく、たつやはその存在に気付いてもらった。
「寝屋川です。初めまして」
「ああ、どうも初めまして。――確か、野際さんの方は初めてやないよね?」
「え? あ、はい、そうです。雨田君に買い物頼みに来はって――」
 けい子の言葉に絵梨はかすかに苦笑いを浮かべた。
「こんなとこにぼさっと立ってても何やし、はよ家行こ」
「はい」
 雨がどんどんひどくなってくる中を三人は走った。

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