呵々大笑 (かかたいしょう) 4

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4.素晴らしき哉、家族

「けーこ! 起きやー!」
 母、みやの怒鳴り声。試験明けの爽快な気分でけい子は朝の支度をする。
「――あれ? 兄ちゃん、どないしたん。えらい早よからご飯食べて」
 いつもはけい子が出かける時間は布団の城にこもっている巧が、テーブルについてみそ汁をすすり乍ら新聞を読んでいる。
「二講目の日本文学史で出席替わりの小テストがあるらしいんや。出なしゃあないやんけ」
「今日は巧に遠山さんとこにビール持っていってもらお、思ってたのに……」
 みやがそうこぼしながらご飯を入れる。
 けい子は、なんかちゃうような気がするなー、とぼんやり考えながら「いただきます」と箸を持った。
「おい、大田で誘拐があったらしいぞ」
 巧が珍しく真剣な顔をして言った。
「へえ、ホンマ」
 大田は、中井高校から徒歩十五分ほどの距離の地区である。
「ぶっそうな世の中やねー、巧も気いつけや」
 みやが心配そうな声で言った。
「……私は?」
「けい子にはたつや君がついてるやん!」
 一変して、カカカカ、と笑い乍ら言う。一瞬、けい子は飲みかけたお茶を吹き出しそうになった。
「たつやー? あいつの方が頼りないでー。力は知らんけど、性根がなっとらんわ、あいつは」
 巧がえらそうに言う。
 巧とけい子は、たつやについて「……昔と全然変わっとらんな……」と意見の一致をみていた。
「えーねん、えーねん、男はおだて! うん!」
 意味不明の言葉を残して母は去った。
「――おっと、もうこんな時間や」
「新聞半分置いてけ!」
 新聞を引っつかんだままトイレに行こうとする巧にけい子が食って掛かる。巧はテレビ欄だけ持ってそのままトイレに行った。
「……ったく、行儀の悪い」
 言いつつ、けい子は新聞を読みつつ朝食をすませた。
 そして、ぼちぼち用意を済ませた頃――いつものように、たつやがやって来るのであった。


 昼休み。弁当を食べている人間は半分ぐらいである。
 残りは3時間目が終わると早々に十分間で食べてしまう。いわゆる早弁。
 そして、昼休みはさっさといずこかへ消えてしまう。
 けい子は早弁組であった。しかし、別に昼休みに何某かの用事をしなくてはいけない、と言う訳ではなく、ただ単に昼休みまでおなかが持たないのである。
 より子はバスケの部室で食べている。
 規定の昼休みに弁当を食べているみさとゆう子の隣でけい子は喋っていた。
 たつやは一人で黙々と食べている。
 正一達はグランドでサッカーをしている。
 教室には男子の一部と女子の多数がいた。
 開いた扉から、女子生徒が入ってきた。
 見なれない、どうも他学年の生徒のようである。
 皆の注目が彼女に注がれる。
 綺麗に編みこまれた髪は腰まで伸びている。大きな瞳はややキツイ印象を与える。バランスが整った、まず間違いなく美人の部類に入る顔つきである。考えに浸っていても傍からはぼーっとしているようにしか見られないたつやとは逆に、ぼーっとしていても「何を考えこんでいるのだろう」と思わせるような知的な顔であった。
 トレーナーにジーパン、という普通の服装がなんだかおしゃれに見えるすらりとした体型であった。
「――雨田君は?」
 一通り教室を見まわして吉朗の姿がないのを見て取った彼女がドア際にいたけい子に尋ねた。
「え? あ――芝君らと一緒にグラウンド……やんな?」
 今一つ確信の持てないけい子はみさとゆう子に同意を求める。
「多分」
 みさの返事に彼女は少し困ったような表情を作った。
「何か伝言あるんやったら伝えときますけど?」
 ゆう子が言う。
「……紙と何か書くもん、貸してくれる?」
「え? あ、はい」
 けい子は筆箱とレポート用紙を机の上に出した。
「有難う」
 彼女は立ったままレポートを持ち、シャーペンで何かを書くと一枚だけ剥ぎ取り、丁寧に四つに折った。
「これ、雨田君に渡しといてくれる? 渡すだけで判るし」
「はい」三人はバラバラに答えた。
「よろしく」
 彼女は 整った顔つきがもたらすキツイ印象が一転して、華やかな暖かさをつれてくるような微笑を残して去っていった。
「……綺麗な人やなあ……」
 けい子が嘆息をついて言った。
「上の人やろな。――雨田君、なんかクラブに入ってたっけ?」
 みさの問いにけい子とゆう子は首を横に振る。
「……もしかして、彼女、とか……」
 けい子がニヤニヤ笑って言う。
「えっ、うそっ。何か……イメージ違うけどなー」
 みさが首をひねる。
 吉朗が帰ってくるまでは解き明かされぬ謎についての議論は暫く続いたが、そこは移り気な女集団の事、話題は次から次へと枯れる事を知らぬ温泉の様に湧いて出た。
 そしてそれは昼休み終了の予鈴ぐらいでへこたれはしない。眠った振りをし乍らその会話を耳に入れていたたつやはいつもながら「何であんなに話す事があるんやろなあ」と茫洋と考えていた。
「あー、おもろかったー」
 正一を先頭にどやどやと帰ってくる。
「おおっと、雨田君!」
 一番最後あたりを、友人と話し乍ら入って来た吉朗の服の裾をけい子が掴んだ。
「――ん?」
「これ。綺麗な人から。伝言」
 けい子のよく響く声に、吉朗はいっせいに注目を浴びた。しかし、吉朗はそんな事には頓着せずに紙を開く。
「――彼女なん?」
 みさが楽しそうに尋ねる。その一言で吉朗に向かう視線が強くなったようであった。
「いや。――腰まで髪伸ばしてる人やろ?」
「うん」
「姉貴や」
 どよどよっ。
「――お前の姉貴が美人なんか?」
 正一が意外だ、と言う表情を隠しもせずに言った。
 けい子はその言葉に眉をひそめたが、当の吉朗はさして気にもしていないようであった。
「口元とか、輪郭とか似てるんとちゃう?」
 ゆう子がぶつっと言う。
「そう、かな」
 吉朗は相変わらずほやっとした様子で言った。
 たつやは相変わらず机に突っ伏したままで会話をすべて耳に入れていた。


「買い物を頼まれたんや」
 吉朗は少し照れくさそうに笑って言った。
 帰り道。
 帰宅部の吉朗、たつや、けい子、ゆう子はぞろぞろと歩いていた。
「買い物? お母さん仕事持ってるんか?」
 たつやが吉朗を見上げて言う。
「母さんはずっと前に亡くなってる。父さんも殆ど世界放浪中と言うに等しいからなあ。実質二人暮しや」
「大変やなー」
 たつやは同情のこもった瞳で吉朗に言った。
「そうかな? あんまりそう思わんけど。親の目が届かんのをええ事に好き勝手してるし。――今度遊びに来るか?」
「うん!」
 数学の問題の事以来、たつやと吉朗は急速に仲良くなっていた。けい子はいい傾向だ、と思い乍ら二人の様子を見ていた。
「けーこちゃんも一緒に行こな!」
 ……これ、だ。
「今やったらまだ姉貴もそないにせっぱつまってへんし」
「せっぱつまる、って?」
 たつやが無邪気に訊ねる。
「受験生や。姉貴は」
「大変やなあ」
「何処受けはるの?」けい子は訊ねる。
「……さあ? 成績はええみたいやから、どっかの国立でも狙ってるんとちゃうかなー」
「ええなあ、俺もそんな頭欲しいわ……」
 たつやの言葉には深い実感がこもっていた。
「そう言うたらたーくん、テスト、どないやったん?」
「え? あかんかったわー。もうテストのことは言わんといてくれや。思い出したくもない」
「そやけど数学は言うてた問題出てたやろ?」
 吉朗の言葉にたつやは言いにくそうに目を伏せる。
「あれなあ……聞いてた時は、ふんふん成程、って判ってたつもりやってんけど、いざ問題みたら、どないやったらええんか判らんようになってしもて……」
「何、それ。そんなん、判ったうちに入れへんやん」
 けい子が切れ味のよい刀を突き刺すように言い放つ。
「まあまあ。よくある事やし……」
 いじけるたつやを見て、吉朗が慌てて仲裁(?)に入る。
「まあ、今度こそ頑張りや。判らんとこあったら教えたるし」
 漂いかけていたいやな雰囲気に気づきもせずに言ったけい子の言葉に、途端にたつやは笑顔を浮かべた。
「う、うん!」
 しょーがないやっちゃなあ、と微笑むけい子とひたすら嬉しそうなたつやを見て、吉朗とゆう子は思わずつられたように微笑んだ。

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