呵々大笑 (かかたいしょう) 3

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3.高校生としての自覚を持って一歩ずつ踏み出すのである

 「ついに受験生かー」
 「ふっ。うちの高校は四年制。本番は来年さ」
 僅かばかりの心配をひっさげた三年生が行く。
 「あー二年生かー。来年は受験生やな」
 高校生活倦怠期真っ最中の二年生が行く。
 「憧れの山井高校!」
 「やっぱりいつ見てもボロい校舎」
 まだういういしい一年生が行く。
 
 山井高校の校風は「自己と自由」である。進学高校であるためか、校則は殆どないに等しい。一部女子生徒はパーマ、化粧等大学生並み、服に至っては――という様相を呈する。中学校のがんじがらめの校則に縛られていた者にとってはこの変化にただ戸惑うだけであった。素直に喜ぶ者、「服代がかかる」と嘆く者――親をも巻き込んで様々な感情が行き交うのであるが、一カ月もすれば、与えられた環境にも慣れ、落ち着きも出てくるのであった。
 始めのうちは中学が一緒、という事で結ばれていた友人関係がクラスの違いにより「顔見知り」に降格する。出会いはまた遠ざかりの姿も見せていた。
 クラスの席順は始めのうちは名簿順にしておく、という事で落ち着いた。身体測定等も名簿順に並ぶ事により、おのずと自分の前後の出席番号の人と親しくなっていく。
 けい子は内在するパワーは全て外に放出する、外向的な性格であった。まずは初対面、というのである程度人当たりを良くしていた事もあって一通りクラスの人間とは口をきき、名前の方も結構覚えてきていた。
 一方、たつやの方は感情は全て内に籠もってしまう、内向的な性格である。自分から口をきく、という事がまずなかった。更に、受身的態度――話かけたらにこっと笑って返事をするようなイメージ――もなく、そのまま放っておけばいつまで経ってもぽつねん、と一人で立っていそうであった。実際には、何か話しかけたなら、嬉しそうに返事をするのだが、誰も話しかけない為、印象だけでそういう奴、と決めつけられたのである。
 しかし――一人、例外がいた。勿論、けい子である。
 けい子に対してだけは、自分から声をかけていたのである。
 一人ぽつねんとしている時のイメージとけい子と話している時のイメージのギャップは周囲に大きな誤解をもたらした。大きな誤解――けい子とたつやは恋仲ではないか、というとんんでもない誤解。
 周囲の雰囲気から、もしかするとそう思われているのかもしれない、とけい子は薄々感じてはいた。しかし、彼女の希望的感情が「そんな事はない!」と言い張っていた。
「私、バスケ部に入っちゃった」
 四人娘の姦しい昼食。けい子と同じくらい口やかましい中川より子が弁当を片付け乍ら言った。
「けい子ちゃんも入らん? けい子ちゃんやったら背高いから有利やで」
 ハンバーグを口に運ぶけい子の手が一瞬止まった。けい子の身長は一七二センチ。中学の時は結構「のっぽ」といじめられた。けい子自身は「背が高い」という事にそう劣等感を持っていた訳ではなかったのだが、あまりにも周りがわんわんとうるさく騒ぎ立てるので反射的に追い払い続けてきたのである。――そして、今、一瞬、反射的にその言葉に反応してしまったのである。
「――も、もしかして気にしてた? ごめん」
 けい子の行動に過敏に反応してより子は謝った。より子は一六八センチとけい子よりは低いのだが、それでも結構その事でいじめられた記憶があるのでこういう事には敏感なのである。
「いや……別に気にしてる程の事でもないけど。クラブなあ。運動系はちょっとしんどそうやからパス、やな」
「そしたら手芸部に入らへん? ええ人ばっかりやで」
 穏やかな笑顔を浮かべて田中みさが言った。ちょっとおっとりしている彼女はいつの間にやら手芸部に入っていたのだ。――みさの言葉にけい子は「げっ!?」という声をだし、それにふさわしい表情を浮かべていた。
「いや、その……手芸部はちょっと……不器用やし」
「不器用とか、そういうの関係ないで。慣れたら誰でも上手になるし。冬になったら編物とかもするらしいよ。寝屋川君にセーターでも編んであげたら?」
 みさはにこやかに何気なくそう言った。他意は全くなかった様子であった。――だからこそ、その一言はけい子に思考停止を起こさせた。
「……そうなん?」
 それまで黙々と食べ続けて、全く聞いている素振りを見せていなかった浜野ゆう子が弁当の蓋を閉じて言った。
「そうやなあ。あんな、何考えてるんか判らんような暗い子やけど、けいちゃんにとっては大事な人なんやろうし――ええんとちゃう?」
「寝屋川君、ええ子やん。ちょっと内気なだけやろ?」
 茫然とするけい子を無視してより子とみさの会話は続く。ゆう子はふと、たつやの方を見てみた。机につっぷして寝ている様子である。しかし、もし、本当に眠っているのでないのなら、この会話は耳に入っているだろう。何と言っても、この声量、である。
「……ちょい待ち」
 何とか態勢を立て直し、けい子は言葉を絞り出した。より子とみさはけい子を見る。
「誰が、誰に、セーターを編む、って?」
「けい子ちゃんが、寝屋川君に」
 みさがけい子の陰険な顔付きなど全く頓着せずに満面に笑みを浮かべて言った。
「一言、言うとくけど、私とたーくんは単なる幼なじみやからね」
「ええやん、幼なじみでも。セーターのひとつやふたつ」
「うそー、恋人と違うん?」
 次々とやってくる攻撃にけい子は打ちのめされ――最後の切り札、ゆう子を見た。
「ゆうちゃん、何とか言うてやって」
「……まあ、人見知りする人が一人の知り合いにしか話しかけられへん、っていうのは判らんでもないけど……」
「! ゆうちゃん、有難う! ゆうちゃんやったら判ってくれると思ってた!」
「まあ、でも、この場合、それに当てはまるかどうかは知らんけど」
「……」
 より子とみさが嬉しそうにはやしたてた。ゆう子はあまり感情の入っていない笑顔でうなだれるけい子を見ていた。


 「高校に入ってまだちょっとしか経ってへんのか。でも、何かずーっとおるような気がする」
「中学の時の事を忘れてるなあ」
「もう慣れたな」
 等の感想を新入生が抱くようになった頃、一学期中間テストが行われた。中学の時に比べて理科、社会の科目が増え、英語、数学、国語も枝分かれの為、試験科目は多かった。一日およそ二〜三科目で一週間。「高校は決して甘くない」という事を痛感する一週間である。
 クラブは自主トレ、もしくはお休みに入り、一日の授業は少ない。しかし、それを喜ぶ暇もなく試験は襲いかかる。
「――あれ? けーこちゃんは?」
 明日に数学Tと英語2と現代社会をかかえたとある試験の日、たつやはきょろきょろし乍らけい子がいると思われる団体の方へ行った。けい子の関係でより子達とは僅か乍らも言葉をかわせるようになっていた。
「けい子ちゃん? 今日は何か、店番せなあかん、とか言うてさっさと帰ってしもたで」
 より子が無表情に答えた。試験も中盤に入り、クラス全体が最悪の雰囲気になっているためか、どうも口調がきつい。
「寝屋川君置いていかれたん? かわいそうに。けいちゃんも少しぐらい待っといたげたらええのにねえ」
「うん……」
 みさの言葉に何と答えたものか、と戸惑い乍らたつやは頷いた。
「そしたら帰ろうか。寝屋川君、バイバイ」
「ん……」
 より子、みさ、ゆう子の三人がぞろぞろと帰って行く。教室には三分の一程生徒が残っていた。
「数学判らんから訊こう思てたのに……店行こかな……」
 たつやはぼやきながら席に戻ろうとした。
「何か判らんのか? 俺に判るとこやったら教えるけど?」
 たつやとすれ違う時にたつやのぼやきを耳に入れた雨田少年がたつやを見て言った。全く、と言っても良いほど交流のなかった人間に声をかけられ、たつやは何と答えたものか、と殆ど恐慌状態に陥り、暫く声がでなかった。
「明日、数、英、現社やもんな。大変や。――判らんの、何処や?」
「え? そ、そやけど雨田君も帰るんやろ?」
「別に構わへんで。寝屋川君の方こそ、判らん問題そのままほっといたら困るやろ?」
「う、うん……」
 吉朗――雨田少年――はそう口数の多い方ではない。クラス一うるさい芝正一を中心とした騒がしいグループと少々暗目に見える池田友哉を中心としたグループのどちらにも属しているとも言えるし、どちらにも属していないとも言える。(あと、たつやのように全く孤立した人間も数名いるガ)たつやはちょくちょく正一にからかわれたりする程度で、後は全く――けい子以外とは――といってよい程喋りかけたり喋りかけられたりする事はなかった。そんな訳で、たつやにとって、吉朗から話しかけられるという事実が暫く理解できなかったのだ。
 しかし、たつやにとって、他人から話しかけられる――特に、好意的に――と言う事程、嬉しいことはなかった。
「ホンマにええんか?」
「うん。ええよ」
 そう言いながら吉朗はたつやの隣の席に鞄を置いた。
「あまだー、帰らんのかー?」
 正一が帰り支度をすませて吉朗に呼びかけた。どうやら吉朗は正一等と一緒に帰ろうとしていたところだったようである。
「ああ、俺ちょっと用事あるから、先帰っててくれや」
 吉朗がそう言うと他の連中は帰ろうと歩き出したが、正一だけは変な顔をして吉朗とたつやのところ来た。吉朗は少し不思議そうな顔をした。たつやは警戒の顔色になった。
「用事、って、このネクラとか?」
「寝屋川君が数学の問題が判らん言うてるから――先帰っといてくれや」
 正一はちらりとたつやを見る。たつやは萎縮して視線を慌ててそらした。
「寝屋川。今日は『けーこちゃん』はどないしたんや? 捨てられたんか? そーやろーなー。お前みたいなネクラ、まともな神経してたらつきあってられへんからなー」
「……芝!」
 吉朗の少し怒気のこもった声に正一は苦虫をつぶしたような顔をして机から降りた。
「寝屋川。お前見てたら苛々してくるわ。いつまでも乳離れでけへんガキみたいにピーピー言いよって。周りの迷惑も考えて見ろ、っちゅうんじゃ。――そしたら雨田、また明日な」
「あ、ああ……」
 さっそうと去っていく正一の姿が教室から出ていくのを見送ってから、じんわりと吉朗はたつやに視線を向けた。
 実に情けない表情をしたたつや。
「……寝屋川君、図書室でもいこか?」
 正一の事には触れないように、吉朗は話題転換を図った。
「――え?」
 単純なたつやは簡単にふられた話題に乗ってきた。さっきの表情が嘘のようなとぼけ面である。
「え、いや、ええよ、別に、ここで」
 たつやは戸惑ったような声で答えた。それをみて、吉朗は軽く微笑んで頷く。
「判った。そしたら、ちゃっちゃとしようか。どの問題なんや?」
「うん、これな――」
 ――ようやく、たつやにとってけい子以外の「友人」と呼べる人間ができたようであった。

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