呵々大笑 (かかたいしょう) 21

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  21.大団円?

 矢部泰明、そして見張りの男達――後で暴力団同素会の者達であることが判った――は誘拐、そしてひき逃げ犯として逮捕された。
 盗難車――その元の持ち主はなんと矢部泰明本人であった。
「適当な車の用意が間に合わなくて、仕方ないから盗難車に偽装したらしいですけど――どうりで、矢部、って聞いた事のある名前やと思いましたよ」呟くように克洋は言った。

 絵梨達は一度、家へ帰ってから警察へ。
 そしてけい子はそのまま病院へ。
「かすったぐらいですね。――でも、怪我より、出血がひどくてそちらの方で危なかったかもしれません。一体、撃たれてから何してたんです?」
「え、何してた、って、山の中数百メートルぐらい走って、アスファルトの道百メートルぐらい走って……ぐらいしかしてませんけど」
「――。せめて止血ぐらいして欲しかったですね。それでも無茶ですけど」
 けい子は様子を見るため一日だけ入院、となった。

 とにかく、野際家の方はてんやわんやであった。
 てっきり学校に行ってると思ってたけい子がたつやと善朗の救出に手を貸し、怪我までしたのである。
 しかし、そこがこの家の特徴というのか、けい子を叱るような雰囲気はなく、母の美弥は驚き怪我を心配した程度、父の信彦はただ不思議がるばかり、兄の巧に至っては「何? 撃たれた、って? ハクつくやんけ」と喜んですらいた。
 その尋常ならざる家族の反応に、その場にいた広瀬刑事は呆れ、後ほど克洋に「お前の話聞いて、野際けい子、ってなんかすごい子や、って思ったけど……何か、家族の方はもっと変やった」と感想を述べた。
「家庭環境が整っての野際さん、ってことか」と広瀬刑事のコメントに、克洋は妙に納得した様子を見せた。

「父は、クラウンという商社の社長です」
「クラウン、って、アメリカの?」
 警察署で、絵梨は取調べを受けていた。
 飯和泉清史、そして克洋、ともう一人書記係の刑事が絵梨に事情の説明を求める。
 泰明が逮捕された今となっては隠し立てしてもなんの意味もない。
「はい。裸一貫で始めた会社でしたが、運もよかったんでしょうね、あんなに大きくなって――叔父は、その補佐として父の事業を手伝っていました。そして――詳しい経過は聞いていないので知らないのですが、父は、叔父に子会社のバウントを任せたんです。でも、叔父は経理者としては優秀じゃなくて……」
「それで、倒産させることになってしまった?」
 克洋の言葉に絵梨は頷く。
「――でも、叔父は、会社が倒産するから、って私達を誘拐して父を脅迫するだなんて……そんな人じゃなかったんです。人のいいことだけが取り柄のような、そんな人で――」
「それで、警察に知られへんように二人を助けようとしはったんか?」
 どこかしら暖かみを感じさせる、それでいてビシッと決める所の決まった清史の言葉に、絵梨は口を噤んで頷いた。
「同素会が裏にからんでたそうや」
「――え?」
「事業を拡張して立て直そうとしたところを同素会につけ込まれて乗っ取られたような形になったらしい。全く、あくどい奴等や」
「そ、そしたら叔父は……」
「ま、無罪とはいわんでも、そんなに重い罪にはならへんやろ。共犯者、っちゅう形でな」
「あ、有り難う御座います!」
「お嬢さんが礼を言うことやない、って」

「暴力団か……どうりでみんなサングラスかけてた訳や」
 事件から一週間。事後処理もほぼ終わり、けい子の怪我以外は一段落ついて平常運転に戻った頃、事情を知りたがったみさ、ゆう子、巧をまじえてけい子の家で雨田姉弟、たつや、けい子が話をすることになった。
「あれでもっと暑い頃やったらみんなアロハシャツやったんやろうな」
 けい子の言葉に皆笑う。
 かつて楽しく遊んでいた叔父の家がアロハシャツに埋め尽くされた所を想像してしまった絵梨はいまいち笑いがシニカルになってしまった。
「そやけど、雨田さん、かっこよかったですねー」
 惚れ惚れと絵梨がけい子に言う。
 絵梨はまさか自分に言われているとは思っていなかったのでけい子の視線が自分に向かっているのに気づいて「え?」と驚いた。
「雨どいなんか、するするするー、っとのぼって。雨田君もロープ上ってる時なんかなかなかかっこよかったけどな」
「いやいや、野際さんもなかなか――」言い乍ら、吉朗はくすくす笑う。
「おっ、何や何や。けい子が亦なんかしよったんか?」
 好奇心旺盛な巧が興味津々で身を乗り出して吉朗に訊く。けい子の制止の声など全く耳に入っていない。
「いや、相手に捕まった時にね、寝屋川君があんまり大声で野際さん呼ぶもんで野際さん怒ってしもてね――」
『この、どアホッ!』ってか?」
 さすが兄、けい子の性格を把握している。吉朗と絵梨はクスクス笑い乍ら頷いた。
「そやけど、そやけど、腹立つやんか。雨田さんが真面目に何か伝えようとしてんのに、泣くわ鼻水たらすわ喚くわでうっとうしいやんか」
「そんな言い方ないやんか。おれかて、心配しててんで?」
「そらまあ、心配してたのは判るわな。そやけど、心配の仕方、っちゅうもんがあるやろうが。ったく……」
 けい子はまだ口の中でブツブツ言っている。たつやも不服そうな顔をしている。
「そう言うたら、もうすぐ理科の科目分け調査があるなあ」
 此処は話題転換が必要、と思ったのか否か、ゆう子が口を開く。
 山井高校では二年生から理科が化学・生物・物理・地学のうち二つ選択となる。そして三年生で文系・理系、そして社会の教科選択からクラスが分かれるのである。
「もう決めた?」
「私生物化学かなー。数学とか苦手やし」
 みさが力なく言う。
「俺は物理化学」吉朗。
「私もそれ。――そしたら、同じクラスになるかもしれへんな」けい子が笑って言った。
「え!? 理科の選択科目違ったら同じクラスになられへんの!?」
 たつやが驚いて言った。
「そんな事ないで。三年生になったら一緒になれへんけど、二年生の時は半々ぐらい違う選択の人混ぜる、って」
 ゆう子は丁寧に説明する。けい子は「それ、この間説明してたがな」とブツブツと呟いたがその声はたつやには届かなかった。
「それで、ゆうちゃんは?」
「私? 生物化学――で理系に行くつもりやけど。それで、寝屋川君は?」
「どないしよう。まだ決めてへん」
「目新しいところで生物・地学なんかどうや?」
 嬉しそうにけい子が勧める。まだ、自分とたつやの腐れ縁が切れうるものだと信じていたいものらしい。
 たつやは不満そうにけい子を見る。
「雨田さん、何処の大学受けはるんです?」
 けい子は突然話を絵梨に振った。
 一人話に入りこめない(本当は巧もなのだが、けい子の潜在意識の中では「どうでもいい兄貴」なのでカウントされていない)絵梨に気を遣ったのであろうか。……。やはりただの気まぐれであろう。
 絵梨は曖昧な笑顔を浮かべる。
「雨田――絵梨ちゃん、だったっけ? 彼氏おんの?」
「……兄ちゃん!」
「――何や、おるんか」
 巧は赤くなった絵梨の顔を見て残念そうに言った。
 驚いたのはけい子である。
「え!? ――いはるんですか!?」
「え、え? ま、まあ……いるというかいないというか……大学はね、経営の方で――」
「いるんですか!?」
 しどろもどろに話題をそらそうとする絵梨だったが、けい子は容赦しなかった。
「鳥井さん、だよな」
「――吉朗!」
 鳥井さん、鳥井さん……え?
「も、もしかして……あの探偵!?」
 そ、そりゃ、まあ、人並みだろうけどっ、人並みだろうけどっ、私としては、雨田さんのような素敵な人には……あ……う……お……。
 理想とははかないものである。――けい子は一つの理想の崩壊と共に、他の全ての夢が消えうせてしまうような、そんな恐ろしい予感を覚えた。

 絵梨がアメリカの大学を受験する――けい子がそう聞いたのはそれから一週間後、吉朗の口からであった。
「あんた、喋っちゃったの……」
 雨田宅へ乗り込んで来たけい子に、絵梨は少し困ったような顔をした。
「結局判る事やろ? 隠してもしゃあない、って」
 吉朗は少しも悪びれてない。絵梨はそれもそうね、と言いたげな溜息をついた。
「何でですか?」
「何で、って……クラウンに入社するつもりやから……」
「――え!?」
「学生の間から向こうに行った方が就職に有利やし……」
 日頃の歯切れよさは何処へやら、絵梨は困ったように切れ切れに話す。しかし、それは人に話ような事ではない、という意識によるものであって、絵梨の決意自体は堅牢でゆるぎのないものであった。
「ほえ〜〜」
 けい子は感嘆の声を漏らす。
「――何?」
「いや……すごいなー、と思って。私なんか、そんなん、なーんも考えてへんのに」
「俺も考えてへんで」
「――言う程大した事ないよ。大学も、入るのは楽なもんやし。入ってからが大変やけど」
「……そしたら、会われへんようになりますね」
 けい子は残念そうである。
「夏休みとかは帰ってくるし。――アメリカに遊びに来て頂戴、ってそれは通ってからの話やな」
「そうか! アメリカの拠点ができるんや!」
「――。取りあえず、日本の大学も受けるけどね」
「そうなんですか?」
「ん……。――そういえば、結局、寝屋川君、物理・化学にしたらしいね」
「――。……そーなんですよ……。ま、二年も同じクラスになることはないと思いますけどね」
「三年で一緒になったりしてね」
「うぐ……」
 笑う雨田姉弟。
 ふと、けい子は先日似たような会話を巧と交わした事を思い出した。
 私の周りにはこういう人間しかおらんのやろうか……私、って不幸やわ。――けい子自身が「こういう人間」の筆頭である事にどうやら本人は気づいていないようである。
「そういえば、田中さん、あれから寝屋川君の事、何も言うてけえへんのか?」
 思い出して吉朗は言う。途端にけい子は不機嫌な表情を作った。
「うん……もう見てるだけでええ、とかふざけた事言うてんねん。あんなもん、見ててもしゃあないと思うねんけどなあ。――やっぱり、自分の趣味に合わんと思ってけど、そう言うたら角が立つから、っ手気い遣ってそう言うたんやろうなあ」
「――」
 吉朗も、吉朗からみさの話を聞いていた絵梨も、何となくみさの気持ちは判った。
 けい子がたつやの事をどう思っているか――それはこの際、関係ない。
 たつやがけい子の事をどう思っているか――これもその際、あまり関係ない。
 とにかく、現在のようなけい子とたつやの関係――それがどのような呼び名を必要としているのかは謎だが――が続く限り、けい子以上のパワーがなければ二人の間に入ることはまず無理だろう。
 そして、当然けい子はその事に気づいていない。気づかせようと言ってみた所で聞き入れはしないだろう。
「たーくんに彼女作るなんか、無理なんかなあ……」
「いっその事、けい子ちゃんがなってあげたら?」
 吉朗が絵梨を制しようと思ったが、一歩遅かった。
「――雨田さん。私が何の為にたーくんに彼女を作ろうとしているか、ご存知ですか?」
「え? な、なんで?」
 けい子にこの勢いでせままれたら、引きつった笑いで訊き返すしかない。
「たーくんに彼女ができたら、私はたーくんのお守りから解放されるんですよ! 解放!
「かいほう……」
「何か?」
「え? ん? いえ、別に。けい子ちゃん、足の方はどうなの?」
「ああ、もうほとんど痛みませんよ。全力ダッシュとかはまだ出来ませんけど」
 そう言って何気なしに外を見ると既に暗くなっている。けい子は驚いて立ち上がった。
「えらい遅なってしもた。帰りますわ」
「ああ、俺送るわ」
「え? 構へん。大丈夫」
「亦迷ったらかなんやろ?」
「うぐっ」
 吉朗とけい子は部屋を出た。
「アメリカかあ……遠いなあ」
「――野際さん、ホンマに姉貴好きやねんな」
「え? そやかて、憧れるやん。美人で賢こうて、運動神経抜群で……何かおかしい?」
「――。いや」
 性格的に絵梨もけい子も似たようなもんだ――と吉朗は思っていたのである。
 しかし此処でけい子に「野際さんは姉貴に似ている」と言えばけい子は大きな勘違いをし、大喜びするだろうと考え、何も言わずに軽く笑うにとどめたのだ。

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