呵々大笑 (かかたいしょう) 20

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20.何故かえらそうな人質

 見張りは赤ジャケットから黒ブルゾンに変わった。黒ブルゾンは、煙草の煙の充満した部屋の状態にひとしきり赤ジャケットに文句を言った後、見張りを変わった。
 赤ジャケットより体格がよく、無愛想な対応の黒ブルゾンに、けい子は逃げるんならさっきの方がまだよかったか、と思った。しかし、また見張りが変わるまでぐずぐずしている訳にはいかない。今日一日帰れないような事になれば、騒ぎが起こってしまう。たつやというハンデがあるとしても、思い立ったら吉日、やらねば後悔、やっても後悔ならば迷わずやる方を選ぶ感情行動直下型のけい子である。参謀よりは執行タイプだが、たつやが参謀になれるわけもなく、けい子が計画しなくてはいけない。たとえ失敗して見張りが厳重になってしまうとしても、万が一にも成功する可能性があるというのなら、実行するしかない。
 ぐるるるる〜。
「おならか」
 黒ブルゾンがブツリと言った。見張り交代の時から起きているたつやはもそもそとけい子から離れる。
「誰がおならや! お腹の音や! 朝食べて運動したからお腹すいたんや!」
 たつやに噛みつくように言い、黒ブルゾンを睨む。
 思いも寄らぬけい子の激しい反応に、黒ブルゾンは驚いた。
「食事は差し入れしてくれへんの? もう用済みやから、って飢え死にさせるつもりやないやろね」
 あまりに過敏に反応してしまった、と自分で自覚はしたのだが、今更引っ込みもつかず、けい子は黒ブルゾンに喧嘩を売りつけるように言った。
 人間、空腹になると怒りっぽくなっていけない。
「いや――食事は日に二回だ。今度は……四五時間してからだ」
 黒ブルゾンは動揺が隠せない様子で言った。
 けい子はおとなしく黙っていれば少々身長が高いだけの普通の女の子に見える。
 少なくとも、黒ブルゾンはその見かけを中味と一致するものだと思いこんでいた。それが突然バリバリの河内弁で突っかかってきたのである。驚くのも仕方がない。
「それまで何も食べられへんの!?」
 お昼といえば早弁のけい子である。運動していなくせに、空腹に対する抵抗力のなさは人並み以上である。
 黒ブルゾンは怯えているようである。立派な体格をしたええ若いもんのくせにこんな小娘に怯えるとは甚だ情けない話だが、けい子の口にかかってはいささか仕方がない、という所か。
「――じゃ、じゃあ、残りもんか何かないか、聞いてくるよ」
 一刻も早く退散したい、という様で黒ブルゾンは部屋を出る。
 戸口の外で代わりの見張りを呼んでいるようだ。
 戸は開いている。しかし、ロープが足首、太股、手首、体とくくりつけられていて芋虫風にしか移動できない状態ではいかんともしようがない。
 ――そういえば……。
 けい子はもぞもぞと体を動かす。
 驚いたことに、迂闊にも男達はけい子の持ち物点検をしていなかった。
 ジーパンのバックポケットに入れていた万能ナイフがそのまま入っていたのである。
 よっしゃ!
「――たーくん。私が食事する時なるべく私に近づき。ナイフでロープ切るから」
 けい子は小声でたつやに言う。たつやはただ驚いて「ナイフ?」と聞き返す。
「なんとしても逃げるんや。ええな?」
 けい子の強い口調に、たつやは頷くほかない。
 幸いにも食事は運ばれてきた。わざわざ作られたものらしく、温かい。黒ブルゾンが運んで来、その後ろから黄トレーナーが来る。
「ロープ、ほどいてくれる?」
「上だけな」
 ドラ声で黄トレーナーが言い、けい子のロープを手首から外した。
「畳の上で食べんの? ――悪いけど、机かちゃぶ台かないかなあ。私、不器用やから、床から直で食べたらこぼしてまうわ。こんなきれいな畳やのに、汚してしもたら悪い」
「――判ったよ。わがままなお嬢さんだな。立木、お前も来い」
 黄トレーナーが部屋を出る。黒ジャケットも「おとなしくしてろよ」と言い捨てて部屋を出た。
 思わずけい子は「ラッキー!」と大声をあげそうになった。
 手は自由、見張りはいない。慌ててナイフを取り出し、ナイフの部分を探す。
「けい子ちゃん! 早く早く」
 今度は三回目にナイフ部分を出すのに成功し、たつやの手首のロープを切り始めた。ナイフ自体は大きくないのだが、鋸のような目が付いているため、比較的作業は容易に進んだ。
「ええか。二人、直ぐ帰ってくると思う。たーくん、手しばられた真似しとき。それで私が食べてる時足のロープ切り。それで自分の分切ったら、私の分も切って。太股の分も、な。バレんように」
「そ、そんなん……」
 言ってる間にロープは切れた。けい子が「手で押さえ」と言ってナイフをたつやに持たせた時、足音がした。けい子はうれしそうに盆に乗った食事に向き直る。
 机は折り畳み式の小さな物であった。たつやは冷や汗を流していたが、体を壁に密着させていたのでバレはしなかった。
「いっただっきまーす!」
 演技ではなく、けい子はうれしそうに合唱して食べ始めた。
 本当はドカ食いの早食いタイプのけい子だが、此処では何とかして時間を稼ぎ、注意もそらさなくてはいけなかった。そうなると、お行儀の悪いことではあるが、食べながら喋る――喋りながら食べる――しかない。
「おいしい! これ、おいしいやん! こんなええもん食べとったん?」
 けい子は話題をたつやに振る。ロープを、体を動かさずに切ろうとしてたたつやは驚きながら、なるべく平静を装って「う、うん」とぎこちなく答えた。――たつやに話を振るのはやはりやめるべきだった、とけい子は思った。
「お兄さん方もこんなええもん食べてんの?」
「――え?」
 食欲が満たされてゆく幸福に途端に機嫌のよくなったけい子の変貌に二人の見張りは戸惑いを感じている。
「おいしいと思えへん?」
「あ、んん」
 黒ブルゾンが曖昧に答える。切れ味の悪い返事にけい子は少し眉をひそめる。
「何人見張りがおるんか知らんけど、こんなおいしいのん食べさせるのん、もったいないわ。お兄さんみたいに反応ないんやったら、作る人も作りがいないやろうなあ。――後で、作った人に、おいしい、って喜んでた、って言うといてな」
「あ、ああ」
「何や、元気ないなー。お兄さん等、ちゃんとご飯食べてるんか?」
「余計なお世話だ。黙ってさっさと食え。無駄口叩くと隣のガキみたいに目の下にアザ作ることになるぞ」
 黄トレーナーがうるさそうに言った。
 けい子は一瞬ムッとしたが、敢えてヘラヘラ笑った。
 たつやはようやく足首、そして太ももの分を切り、けい子の足首にかかっていた。けい子はナイフを左手で取り、自分でロープを切り始めた。
「殴るんやったらたーくん殴ったって。私はええわ」
「け、けーこちゃん!」
「悔しかったらたーくんも何か言いや」
 足首――切れた。
「お前等、くっついたら絶対男が尻にひかれるな」
「だ……誰がくっつくって!?」
 太腿、切れた!
「ほらほら、赤くなってないで。もう少しだろ? 早く食っちまいなよ」
 左手で万能ナイフをポケットにしまい、残りを照れ隠しかのように急いで食べる。
「さて、縛らせてもらうぜ」
 黄トレーナーがロープを持ってけい子に近づく。
 たつやは蒼ざめてけい子を見ていた。
 けい子には武術の心得はない。喧嘩をした事はあるが、人を気絶させた事はない。大の大人相手に自分のパンチごときが効くとも思えない。
 ――仕方ない。許してくれ。
 けい子はすくっと立ち上がった。
 驚き、たちすくむ黄トレーナー。けい子はその一瞬を見逃さず、蹴りを男の急所へ入れた。
 容赦しなかった。
「――!!」
 けい子は男ではないのでその痛みは判らない。当然作者も男ではない(何だ。その眼は)ので、その痛みを如何様に表現すればよいのか、その術を知らない。
 しかし、その場にいた他の男二人は思わずその痛みを思いやってしまい、体を硬直させた。
 けい子は股を押さえて転がっている黄トレーナーに罪悪感を抱きながらも障子をあけ、窓を開け、たつやを引っ張り、外に出た。
 靴など、この際かまってられなかった。
 たつやを窓の外へ押し出す。
 黒ブルゾンは慌てて銃を出し、撃った。
「――!」
 けい子はふくらはぎ辺りに痛みと熱を感じた。
 しかし、今はそんな事を気にかけている場合ではない。
 和室から出て山の方へたつやを押して走る。
 銃声を聞きつけた見張りが負いかけてくる。
 武器はつたない万能ナイフ。しかも靴下。
「走れ!」
 山沿いを車の置いてあった方へ走る。
 車がある確立は低い。しかし、この際何処へ走ろうと同じなのだ。
 追いかけてくる男達の中には銃を持っている者もいる。
「けーこちゃん、おれ、もう走られへん……」
「男のくせに、弱音を吐くな! 私なんか食後で吐きそうやねんぞ! 一歩でも止まってみい、吐いたゲロかけたるから覚悟しろ!」
 けい子の鬼気迫るハッパにたつやは再び足を速めた。
 けい子の大声はよく響く。
 それは二人に不利にも働いたが有利にも動いた。
 二人は山から降りた。車はない。足の裏に激痛を呼ぶ石や木の枝はないが少し走るだけで関節を痛めるようなアスファルトが広がってる。
「けーこちゃん! 前からも来る!」
「なにい!? くそっ、その辺の家分捕ってかくまってもらうか――」
 分捕る、とかくまう、という言葉は同次元に存在するものではないが、この際けい子はそのような些細な事にまで気を配っていられなかった。
 元々そういう事に気を遣う性格ではないが。
「! 前や! たーくん! 雨田さんと鳥井さんや!」
「え、え!?」
 走る、走る、走る――
 しかし、男達の方が足は速かった。
 捕まったのは足を怪我しつつもたつやを押していたけい子であった。
「け、けーこちゃん……!」
「ええい、逃げろ、って! あんたなんかが手エ出してもあんたも捕まるだけやろーが!」

「け、けーこちゃん、足血だらけやん! 怪我したん!?」
 けい子は男の脛を蹴るが反応はない。
 絵梨と志郎がたつやを自分達の後ろに下げる。
「ほほー、殊勝にも戻ってきて――」
「そら怪我ぐらいしとるわ! だいたい、健全で靴ぐらい履いとったら五十メートル七秒台や!」

「え!? そんな速いん!?」
「あたりまえや! 四月にスポーツテストしたやろうが! 怪我ぐらいしてなかったら何で九秒台のあんたにも劣んねん!」
「え!? 何でおれが九秒台、って知ってんねん!」

ええ、うるさい、黙れ! 人がせっかくキメて科白言おうとしているのに、つまんねえ五十メートル走のタイムなんぞでじゃまするんじゃねえ!」
 けい子を羽交い締めにしている背の高い紺トレーナーの男が叫ぶ。
 その勢いに二人の会話はぴたりと止まる。
「あ、こりゃどうも気づきませんでした。さ、さ、しばらく黙ってますから好きなだけ言うて下さい」
 けい子が言う。男は少し嬉しそうに「あ、どうも」と頭を下げて咳払いなどをする。
 何かおかしい。――たつやとけい子、そしてその男を除くその場にいた人々は例外なしにそう思った。
「殊勝にも戻ってきてくれたようだな。俺たちだって、そんなに手荒な真似はしたくないんだ。ほら、この女の子の命が惜しけりゃおとなしくこっちに来るんだ」
 そういって男はけい子の体に手を回し、開いた右手で銃を持ってけい子のこめかみに当てた。
「おおっ、銃や!」
 けい子は驚き(感動?)を素直に言葉にした。
「お前、さっき銃で撃たれたんだろ」
 男は冷静に言った。
「いや、さっきは銃は見てなかったし」
「それより少しは怖がれよ。自分の命が危ないんだぞ」
「けーこちゃーん! けーこちゃーん!」
 間の抜けた男とけい子の会話はたつやの大声に遮られた。
 たつやはけい子の元へ駆け出そうとしている。それを絵梨と志郎が押さえていた。
「あなた方が必要なのは私でしょ!? 私とその子を――」
「けーこちゃーん!」
 絵梨の理性的な声がたつやの半狂乱的な叫び声に消される。
 ――交換……けーこちゃーん! 怪我人を……けーこちゃーん! 私が……けーこちゃーん!
 絵梨が何を言わんとしているのか。男達にもけい子にもさっぱり判らない。
 けい子はぷるぷる震えていた。息を止めているのか、顔が真っ赤だった。
「け、けーこちゃーん!!」

 ブチィィィッッ!

 けい子は自分の理性の世界を支えていた緒が切れた音を聞いた。
「少しぐらいは黙らんかいっ、この……ドアホッッ!!
 一呼吸。間。
 しかし、これは次の言葉への踏み切り台である。
泣くな! 何でたーくんが泣いて叫ばなあかんねん! 捕まってんのは私や、私! 怪我してんのも私や! ホンマやったら私が泣き叫ばなあかんところを、なんであんたがそないすんねんっ!」
 けい子は怒っている。もはや、怒りの標的、たつや以外、何も見えていない。
「け、けーこちゃん……」
 しかし、たつやは意外にも嬉しそうである。マゾなのだろうか。いや、そうではないらしい。元気がないと心配していたけい子がそれだけの元気があるのを見て、ホッとしたのだ。
「なーにがけーこちゃんや! え? 足手纏いになりたなかったらさっさと逃げ! 助ける自信があるんやったらさっさと助け! 何やあんたは! 騒ぐだけ騒いで何もせんと! ただの役立たずやないの!」
 何度も書かなくとも文字の大きさで判るだろうが、けい子の声は大きい。
 亀高の里はリゾート地である為、全ての家に人が住んでいる訳ではないが、全くの無人と言うわけでもない。けい子の大声に何事だ、と人々が外に出てきた。
 男はけい子の口を押さえようとしたが一本の手で二本の手にかなうわけがない。「撃つぞ」と脅しても今のけい子の状態では人の言葉など聞き入れる余裕がある筈がない。反対に人目があるので銃を振りまわすわけにもいかなくなった。
「だいたい人がどれだけ心配したと思てんねん! 用もないのに誘拐なんかされて! それもただの足手纏いや! あんたがおれへんかったら、雨田くんかて、さっさと逃げれたわ! そのアザ! どうせいつもみたいにウダウダブツブツ言うて殴られたんやろ! あんたには人質としての誇りはないんか!」
 人質の誇りが一体どういうものなのか、それはけい子以外誰にも――もしかすると……否、十中八九けい子にも――判らなかった。しかし、今はそんな口を挟む雰囲気はけい子の周囲に全く存在していなかった。
「何よ、何とか言い返してみい! 悔しかったら何とか言い返してみいよ!
 けい子は黙った。その途端、亀高の里は不気味なほどの静寂に包まれた。
 ――そうではない。この静寂こそが亀高の里本来の姿である。
 しかし、今までのけい子の声がまだ耳から離れない人々にとって、その沈黙は不自然なものに感じられた。
 そして、その不自然さを埋めるべく、たつやの言葉を待った。
 たつやは困っていた。
 弾けもしないヴァイオリンを目の前に差し出され、「発表会だ。客の前で弾いてみろ」と言われたような気分であった。
 緊張の場の中、一番冷静だったのはけい子だったかもしれない。
 言いたい事を言ってスッキリ。
 元々、けい子は執念深い性格ではない。熱しやすく、冷めやすい。それがけい子の欠点であり、長所でもある。
 そして――此処では、それは長所として働いた。
 ズボンのポケットの白墨を男に投げつける。
 男はサングラスをしていたが、ぽかんと開けていた口に白墨が入った。その粉っぽさと苦味に我を忘れて咳をする。
 その隙を見計ってけい子は肘で男の腹を突き、手首を打って銃を落とさせ、それを拾って男のほうへ向けつつ、たつや達の方へ移動した。
「け、けーこちゃん!」
 たつやが駆け出す。絵梨、志郎が後をついて走る。
 そして――応援の警官がやってきた。

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