呵々大笑 (かかたいしょう)

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  2.こいつはァ春から前途多難である

「やったー、けーこちゃん! おれら、おんなじクラスや!」
「!?」
 一つの青春が終わった――何故かけい子はそんなフレーズを頭に思い浮かべていた。
 この世なんて、世間なんて、こんなものなのか。けい子はそう叫び出して地団駄を踏みたかった。しかし、今更どうしようもなかった。作者が話を進め易くする為にはこうするしか仕方がなかったのだ。
「けーこちゃん、一年間、よろしくな」
 嬉しそうなたつやの顔。向こうではたつやの母とけい子の母が楽しそうに世間話をしている。いつものようにがっくりと肩を落としかけたけい子だったが、その時――高校生になった、という自覚が彼女を一つ大人にしたのだろうか――新たなる決意が彼女の心に湧き上がった。
 何も私だけがたーくんのお守りをする必要はない! 親友か彼女を作らせてそいつに預けたらええんや!
 果たして、これが「決意」と言うだけの価値があるか否かの問題はあったが、けい子にとっては闇を照らし出す一本の素晴らしき光明と思えたのだ。
「良かったなー、けーこちゃん」
 そうや、是非ともそないしよう! ――自分で勝手に作り出した妙案にほくほくしてけい子は歩き出した。
 傍から見ているとけい子の様はまるで、この高校に入れて良かったなー、と心をはずませて古い校舎へと入ってゆく新入生であった。しかし、彼女の心中を占めていたのは少々異なったものであったし、彼女の後ろには付録がついていた。
 季節は春。全ての予兆がその季節に秘められていた。


 一年G組。古びた教室に古びた机と椅子の合体物。入学式に備えておめかししている新入生がてんでバラバラに席に着いていた。大半は見知らぬ仲なので教室全体は静かである。さながら入学式における「校歌斉唱」のようであった。 しかし、だからこそ、一部の友人同士の会話はとてつもなく大きく響いたのだが。
「なー、けーこちゃん、あんなん、ひどいやんなー、入学式。校歌斉唱言うたかて、一回も聞いた事ないのに歌える訳ないやんなー」
「……そしたら、一回聞いたら歌えんのか。えらいなー。何やったら此処で歌ってみるか?」
 苦笑いを浮かべ乍らけい子は言う。意義の全く感じられぬ疲れた会話ではあったが、息苦しい沈黙よりは気休めになっていた。
「けーこちゃん、それはないで。おれにそんなんできる訳ないやん」
 たつやは楽しそうに言った。その、相変わらずの、のほほーんとした表情にけい子は一瞬沸騰型激怒を覚えたが、時と場所を考えてそれを発散させる事は避けた。人間、第一印象が大事――と、ふと、彼女は今の自分を客観的に見てみた。嬉しそうに喋るたつや。苦笑し乍らも答える自分。僅かの対話の組の内の一つ。……まさか……「あの二人は仲がいい」なんて思われてるんやないやろなあ……?
 そんな先入観を持たれてはたつやに友人や恋人をつくらせお守りをさせる計画がおじゃんである。今度たつやが話かけてきても無視しよう、とけい子が決心した時――先生が教室に入って来た。
 五十前後ぐらいであろうか。少し細身で銀縁の眼鏡をかけ、パーマの髪は白髪が五分程混ざっている。普通の人より少し額の面積が広い。人相はあまり良い方ではなく、三つ揃いをびっちりと着こなしている為、これで黒いサングラスなんぞかけて黒いベンツなどに乗っていれば……となるであろう。少し投げ出すような足の運びである。
 先生は紙袋を教卓の上に置き、口の端を歪めて笑ったような表情を作り、ゆっくりと教壇の上から生徒達の顔を見た。
「えー、わたしが、担任の熊本であります。担当教科は数学。週三回、ですかな、皆さんと顔を合わせます」
 ゆっくりとしたまるで講談のような口調に、けい子は変な先生、と興味を持って熊本先生の顔をじっと見ていた。
「今からいろいろ配布物を配って、時間割を書いて、適当に説明やら自己紹介やらで時間を潰して帰りましょうか」
 言い乍ら熊本先生は紙袋からプリント等を前の人の席の上にぽん、ぽん、と無造作に置いた。
「配って下さい」
 そう一言言うと一枚の紙を持ってくるりと生徒達に背を向けて時間割を黒板に書き始めた。
 今まで手厚い保護の下、座っているだけでいつでも何かがやって来る、という状態に慣れていた生徒は、突然やって来たセルフサービスの世界に茫然としていたが、チョークの黒板にぶつかる音で何とか我に返り、プリント等を配り始めた。
「……けーこちゃん」
 時間割を書き始めたけい子の肩を、たつやは気弱そうに叩いた。
「何?」
「何か書くもんと紙、借してくれる? 忘れた」
「……」
 けい子は憮然とした表情で黙ってシャーペンとメモ用紙をたつやに渡した。
「有難う」
 無邪気にたつやは言った。けい子はたつやのそんな様子に、何故か強い疲労を覚えた。
 熊本先生は結構無精者のようであった。説明については「まあ、読めば判ります」の一言で済ませてしまったからである。しかし、何故か最近読んだ面白い本の話を始めた。 数学の先生なのに何故こんなに文学にたけているのだろう、とチンプンカンプンの状態のけい子が思う程熊本先生は博学であった。
 熊本先生はちらりと時計を見た。
「時間が経つのはゆっくりですな。仕方がないから自己紹介でもして下さい。雨田君から名前と――まあ、適当に。最近読んだ面白かった本について述べるとか」
 軽く笑いが起きる。熊本先生はその事に対しては特に表情を作らず、口を歪めた笑顔のままで窓際まで行き、立て掛けてあったパイプ椅子を広げて腰掛けた。
「前でするんですか?」
 窓から二番目、前から二番目にいた少年が熊本先生に訊ねた。
 あの子が雨田君だろうか、とけい子は考えた。目鼻立ちは整っているが、何処かしら茫洋とした雰囲気を持っている。周りに人がいれば、あえなく埋没し「その中の一人」になってしまいそうなタイプであった。
「どちらでもよろしい」
 ゆったりとした口調で熊本先生は答えた。雨田少年は暫く悩んでいた様子だが、おもむろに立ち上がって教壇の方に歩き出した。何処かで溜息が聞こえる。一人目が前へ行く、という事は即ち後の人間も前で自己紹介をしなくてはいけない、と考えたからであろう。
 殆ど、若しくは全く面識のない人間に対する自己紹介は、よほど外向的な人間でない限り、おのずと短くなる。(見知った人間に自己紹介をする、という事はまずないと思うが)
 けい子は、まあ、こんなものかな、とぼんやりと前に立つ人々の自己紹介を聞いていた。
「寝屋川君」
「はい」
 何も考えていない様子で前に行くたつやを、けい子は頭の隅に僅かな懸念を抱き乍ら、しかし茫然として見送っていた。
 先刻迄のけい子に話しかけていた時の元気は何処えやら、一転した暗さ、消え入りそうな口調、陰鬱な表情で、ぼそぼそと名前と出身校等を話し、さっさと席に戻ってしまった。
 ――これが見知らぬやつの自己紹介やったら「何やあいつ、暗い奴。あんな奴、好かんわ」で済むねんけどなあ……。
 たつやは性格・見かけの暗さでいじめられっ子の立場によく立っていた。そしてその事が更にたつやを内向的にした。けい子にしてみれば、近所の人間がいじいじといじめられているのを傍で見ていると苛々してたまらず、結果としてたつやを助ける事と相成った。しかし、何を勘違いしたのか、たつやはけい子を自分の味方と思い、危機の度にけい子に助けを求めるようにじっと見つめたのであった。
 冗談やない。何で私があんなうっとおしいのと一緒におらなあかんのや。
 新たに始まる一つの青春が、本当は春などではなく、まだらに冬の吹雪が吹き荒れ、決してそれをさけて通る事は叶わぬであろう予想がけい子を苛立たせた。

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