呵々大笑 (かかたいしょう) 19

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19.入れ替わった人質

 けい子が目覚めるとそこは座敷であった。
 床の間には解読不可能な文字が書かれた掛け軸と干支の置物。その横は押し入れ。
 そして、その前にはおおよそ和室には似つかわしくない赤ジャケット、サングラス、青地に白の縦縞シャツに茶色の綿パンの男。
 男の右手、けい子から見れば左手に引き戸、その向かいは外につながる大きな窓があるが、障子が閉まっており、外の風景は見えない。
 部屋は床の間の飾り以外は何もなく、殺風景と言えば殺風景なのだが、なにぶん男の服装が派手なので「和室」の持つ落ち着きと言うものは感じられない。
「――あ、けーこちゃん、起きたん?」
 目を開けたけい子に気づき、たつやが声をかける。途端に、けい子は苛立った気分になった。何故自分がそんな気分になったのか考え乍ら、けい子はもそもそと上半身を起こした。
「此処は……?」
「ごめん、けーこちゃん。亦捕まってしもたんや」
「――そういや、たーくんが落ちて来て……」
「雨田君に持ち上げてもらう時、汗で手滑ってしもて……」
 たつやの言葉に、けい子は何故自分がムカムカしていたのか思い出した。
 ――そうや。このくそアホのせいで、楽に逃げ出せる所を……。
「で、雨田君は?」
「さあ……?」
 たつやは頭をかしげる。どうせたつやの事だ、おろおろするばかりで周りの状況など見ていないだろう、とけい子は考え、それ以上たつやに何かを問う事はやめにした。
 赤ジャケットの男を見る。オールバックにした髪はぴっしりとセットされていたようだが、このごたごたのせいであろう、二三束額に髪が落ちている。ヘビースモーカーらしく、煙草を銜えるたびに開く口からはヤニで黄色くなった歯が見えた。
 服が非凡であるためか、サングラスに隠されたその顔は逆に平凡そうに見える。目元が見えないから年は断定できないが、三十代さしかかったあたりだろうか。
 茫然と煙草を吸っていた赤ジャケットだが、自分を見つめるきつい視線に気づき、けい子を見た。
「何だ? 人のことじろじろ見て。小学校でそういうことは無礼だ、って教えてもらわなかったのか?」
「私のやってる事は無礼かもしれへんけど、おじさん等のやってることはもっと無礼やん。犯罪やん」
 売り言葉に買い言葉でついついけい子は怒ってもいないのに喧嘩腰になる。横にいるたつやは不安そうにけい子を見た。
「それより、雨田君、逃げたん?」
 年上であるからには敬語を使った方がよいか、と分別のあることも考えたが、先刻の調子からガラリと口調を帰ると媚びてるようだ、と思い直し、けい子はそのまま強気に言った。
「さあてな。追いかけた連中がまだ帰って来ないからな」
「――たーくん、私、どれぐらい気絶してたん?」
「俺、時計取られてしもて時間判らん……」
「ほんの十分ぐらいだよ」
 新しい煙草を取り出し乍ら赤ジャケットは言う。その口調は冷たいものであったが、けい子はたつやに話しかけた言葉に対しても答えてくれる見張り人に、少々気楽になった。
「もう逃げちまったんじゃねえか。あんた等見捨てて」
「そんな!」
 叫び出したのはたつやである。
「そやけど、そっちが必要としてたんは雨田君の方やろ? 困んのん、そっちやで」
 けい子の言葉に赤ジャケットはサングラスの上に眉毛を見せる驚いた風を見せた。
「――知らんかったん?」
「俺はただ、人質の見張りをしろとしか言われなかったしな」
 そういって赤ジャケットは煙草に火をつける。クールに決めた動きだが、服は赤ジャケットである。
「けーこちゃん、それ、ホンマ?」
 不安そうにたつやが訊ねる。
「何が」
「必要やったん、雨田君の方やった、って。それやったら、何で俺も誘拐されたん?」
「そこに一緒におったからや」
「そんなん……」
 たつやの目に不満の色が出る。それを認識したけい子は思考より先に怒りを覚えた。
「言うとくけどな、たーくんがおれへんかったら雨田君かて一人で逃げられた筈や。さっきかてそうや。たーくんがあそこでしくじらんかったら、さっさと逃げられたんや! そら、あんたは被害者や。巻き沿い食った、かわいそうな奴やそやけど、一緒に誘拐されたんがたーくんやなかったら、雨田君かて、私かて、なんぼほど救われたか判れへんわ!!」
 たつやが口を挟む暇もなく、言いたいだけ言ってしまうと、けい子はプイと横を向いた。
「一人で助けに来たのか? 娘さん、そいつか、逃げた奴の恋人か何かか?」
 赤ジャケットは少し興味を覚えた様子で言う。元々話好きなタイプなのだろう。
「こいびとお!? 冗談やない。何で私がこんなんの恋人にならなあかんの!」
 けい子は思い切り力を込めていった。
 少しばかりうれしそうだったたつやの顔が瞬く間に泣きそうにゆがむのを赤ジャケットは見た。
 けい子は言ってから、ふとみさの事を思い出した。――放課後までに帰られへんかったら……騒ぎになってまうな……。
「だ、だけど、助けに来てやったんだろ? 好きじゃないのか?」
 半泣きのたつやに少々同情を覚えた赤ジャケットは、けい子に言う。しかし、けい子は自分の考えに夢中になっていて反応しなかった。
「なー、けーこちゃん、おれの事嫌いなんかー」
 哀れを誘う口調にけい子は現実に引き戻された。
「嫌われたなかったら、そんなベソベソしてんと何とかしーよ」
「何とかする、って何を?」
「……も、ええ。黙っとき」
「何が、何がなん? 何したら好きになってくれんの? なー、けーこちゃん」
 かすかな期待の光に掛けるべく、たつやはけい子にまとわりつく。けい子の苛立ちが増し、表面張力でようやく支えられている所まで来る。
「娘さん、どうして此処に二人が誘致されてる、って知ったんだ?」
「え――企業秘密」
 鋭いところを突かれてけい子は恐慌状態に陥ったが、仏頂面、照れ隠し笑い、驚きの入り交じった複雑な表情で何とかそれだけ答えた。赤ジャケットはけい子を凝視していたが、サングラスをかけているので、視線の先は知る由もない。
「企業秘密、ってけーこちゃん、企業か何か入ってんの?」
 たつやがまじめに訊く。その言葉にけい子はこける。赤ジャケットは口元に苦笑を浮かべる。
だ〜れ〜が〜やっ! 私は高校生や、っちゅうのに」
「え、そやかて……」
「もう、ええ。あんたは黙っとき」
 けい子はそう言うとぐんなりと疲れて溜息をついた。
 赤ジャケットは人質の見張りなんて退屈で仕方なかろうと嫌気を覚えていたのだが、思いも寄らぬ愉快な人質達に、これは思わぬ暇つぶしになった、と喜んだ。
 たつやはけい子に叱られてしゅん、と黙り込む。けい子は暫くたつやが黙っていそうなのを見て取って、何とか考えをまとめようとした。
 雨田さん等が逃げ切ったんやったら、矢部っちゅうおっさんは全くの無駄骨、って事か。
 私等を囮に助けに来る二人を捕まえようとするか? そうやな。そうすると、私等は雨田さん等が来る前になんとか逃げなあかん、いう事やな。ったく、たーくんのドアホが。
 ……あーあ、せっかくご先祖様に無事救出活動が進みますように、ってお願いしたのになー。やっぱりお賽銭あげへんかったんがまずかったんかなー。私のご先祖様やねんから、かわいい子孫の願いは絶対聞いてくれると思ってたのに……。
 けい子のご先祖様だから願い事を聞かなかった、という説もある。
 右肩に重い物がのしかかってくる。たつやが寝入ってしまったのである。
 その重みにけい子はたつやに対する腹立ちを増幅させ、肩を振ってたつやを振り落とし、ついでに蹴り入れたれ、とロープで縛られた両足をあげ――
「! 私の靴は?」
 けい子は自分の白い靴下のみの足を見て赤ジャケットに問うてみた。
「さあ? 玄関じゃないか? 和室で土足は厳禁。常識だろ?」
「――」
 確かにそれは常識である。しかし、隙さえあらば窓から逃亡できるだろう、と考えていたけいこにとって、これは痛かった。
 けい子自身は、山でもアスファルトでもなんとか我慢して走る気力はある。しかし――たつやは。
 無邪気に眠るたつやにけい子は座った視線を投げつけた。


 亀高の里を出て少し行ったところに白いスカイラインと緑のスバルが止まっている。志郎も車で逃亡し、それを絵梨が見つけて呼び止めたのだった。
 当然、克洋は事情の説明を要求した。強制させるような強い口調ではなかったが、おっつけ援軍の警官が来ると言われれば説明するほかなかった。
「――じゃ、独力で救出するつもりだったんですか?」
 克洋は呆れて言った。志郎と言う援軍がいたとしても女子高生二人でやることではない。それでも、まだ、けい子ならばそんな暴走ぶりがおのずと想像できるとしても絵梨がそこまでするとは信じられなかった。
「はい。できることなら刑事さんに知られたくなかったんですけど……どうして此処が?」
 絵梨は運転席の克洋に尋ねる。克洋は少し困ったような笑みを浮かべた。
「あまりにも雨田さんが落ち着いてるから狂言やないかと思って尾行してたんです、今日から。それが、こういう事だとは……。寝屋川君と野際さんは捕まってるんですね?」
「はい。――警察の応援は、どれぐらいで着きますか?」
「え? あ、ああ――半時間かそれぐらいで……」
 絵梨は溜息をついて背もたれに体を預けた。志郎と吉朗は何も言わない。
「どうして警察に知らせてくれなかったんですか?」
 克洋は先ほど答えてもらえなかった質問をした。
「――叔父なんです。誘拐したのは」
「――」
「できるなら警察沙汰にしたくなかったんです」
「しかし……」
 克洋が反論を唱えようとするのを絵梨は手で制した。
「恐らく、これは叔父が主犯ではないと思います」
「――え?」
「父が詳しい事を説明してくれなかったんでよく判らなかったんですが……」
「――」
「姉貴」
 それ迄後部座席で目を瞑って眠っていたかのように見えた吉朗が目を開けた。
「何?」
「寝屋川君と野際さん、どないすんの?」
 言われて絵梨は口の端を歪めて克洋の方をちらりと見た。
「もう少し待っていただければ応援が来ますから」
「――まさか、二人は関係ないから、って殺したりせんやろなあ……」
 志郎の言葉に三人はキッと志郎を睨む。
「は、反対に、いらんから逃がしてやる、とか……」
 慌てて言った志郎を三人は無視した。
「――多分、囮に使うつもりやとおもうけど。……応援なんか待ってられへん。やっぱり、私、行くわ。吉朗は待っとき。靴下やったら何かと不便やろうし」
「行く、って雨田さん!」
「吉朗君は残れ、って事は俺はついて来い、っちゅう事か」
「え、え? 鳥井さん!」
 二人は車を降りる。克洋も車を降りて二人をひきとめようとした。
「刑事さんは応援が来る迄待ってたらよろしいでしょ? いまさら人質が二人だろうと、四人だろうと、変わりないじゃないですか。うまく救出できればもうけもんと思って」
 ピクニックに行くような気楽な笑顔で言う絵梨に、克洋は止める気力を失った。

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