呵々大笑 (かかたいしょう) 18

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18.それで全てが終わる・・・筈もない

 何とか苦労して天窓を開け、ロープをたらして絵梨がおりる。
「けい子ちゃん、確か、鳥井さんから万能ナイフ預かってたよね」
「はい。今降ります」
 絵梨は何か言いたげな顔をしたがそのまま吉朗に向き直った。
「期限は明日の正午迄。お父さん、バウント倒産させないようにする、なんてアホな事言うてたから助けにきたわ」
「警察には?」
「知らせてたら私が来るわけないやん」
 絵梨の言葉に吉朗は安堵の表情を浮かべる。その心情の判る絵梨は微笑を浮かべて頷いた。
 下におりたけい子は万能ナイフからナイフの部分を取り出そうと必死になっていた。
 缶きり、コルク抜き、ねじ回し、甘皮取り、はさみ――殆ど全部出かけたところでようやくナイフが出た。急いでたつやのロープを切り始める。
 たつやは――泣いていた。感激の涙である。
 見張りが去った段階で吉朗から声を上げないように、ときつく言い渡されていたので叫び出すことはなったが、そうでなければ大声で「けーこちゃんっ!」と歓喜の声をあげていた事だろう。
 行動は迅速且つ正確でなくてはいけない。たつやのロープが切れ、けい子は吉朗のロープに取りかかる。
「寝屋川君、登って上で待ってて。静かにね」
「……俺……一人でのぼられへん……」
 たつやの頼りない口調の返事に、絵梨は動じず、けい子は苛立ち、吉朗はそんなけい子を「まあまあ」となだめた。
「……そうか……。寝屋川君、何キロ? 体重」
「六十二キロ……ぐらい」
「ちょっと重いかなあ……」
「俺が先に上がって引っ張り上げるわ」
 ロープから解放された吉朗が立ち上がり乍ら言った。
「吉朗、体重何キロやったっけ?」
「え? 五十五やけど」
 絵梨は少し考えこむ。ロープ自体の強度は心配ないが、それをアンテナにくくりつけた所に多少の不安があるのを思い出したのだ。
「――私が先に上ってロープ支えるから、それで吉朗のぼってくれる?」
「ああ、判った。――ロープ、何処にひっかけてんの」
「アンテナ」
「……それやったら軽い人間が登る方がええな」
 絵梨は頷いてすぐロープをよじ登り始める。
 たつやは自分が引き金となって一連の会話がなされたと言うのに全く状況が掴めぬ様子である。
「――すごいな、雨田さん……」
 絵梨がロープをよじ登る様子を見ながらけい子はホレボレして言った。
「――何が?」
 吉朗は怪訝な表情を隠しもせずけい子を見た。
「美人で賢こうて運動神経も抜群で……」
「……」
 ――まあ、そうも言えん事もないやろうけど……どうも性格の方に先に目が行くから……ま、性格でも「すごい」とは思うけど……――吉朗はそう思ったが、敢えて何も言わず、姉の支えるロープを登り始めた。
 少々やせぎすの、あまり筋肉質には見えないその体格からは想像できないたくましい登り様に、けい子は驚いた。
 ――この姉弟、何か非凡や……。
 たつやがロープを持つ。吉朗が引っ張る。けい子が押し上げる。
 三メートルもないその高さがひたすら長いものに思える。
 声を出せば大声になってしまう、と自覚したけい子は敢えて何も言わずにたつやの尻を押し上げていた。
 もう少し自力でなんとかしろ、だの、なんて重たいんだこのデブ、とか言いたいことは多々あったが、それは救出後に言えば良い、とじっと我慢していた。
 なんとか窓枠にたつやの手がかかる。けい子はホッとし、ロープを握った。
 あまりにもあっけない救出劇であった。
 しかし志郎にはどうやってこの二人の救出が無事に完了した事を伝えれば良いのか。下手をして志郎が捕まってしまったら元も子もなくなる。いや、まがりなりにも探偵なのだから何とでもなるだろう。捕まっても、人質が逃げたと知れば思いきった作戦に出れるだろうから逃亡は可能だろう。
「うわっっ!!」
 けい子が色々な考えを頭の中でいじくりながらロープを握り締めて茫洋としていると、突然頭上から叫び声がした。上を見上げるより先にそれが落ちてきて、けい子は体重プラス重力加速度×落下時間の重みに倒れ、頭を打ち、脳震盪を起こし、気絶した。


 ドシン、と大きな音がし、家が揺れた。


 志郎は逃亡が失敗した、と感じた。
 矢部は驚いて天井を見上げた。

 絵梨は一瞬蒼ざめたが、恐慌状態に陥る前に、以後どうすれば良いのか計画を練りなおしていた。
 吉朗は、自分の手が滑ってたつやが落ちた事を悔やんでいた。
 けい子は気絶していた。
 たつやは――
「けーこちゃん! けーこちゃん! ……雨田君、どないしよー! けーこちゃん死んでしもたー!」

 此処でけい子が起きていたらたつやを張り倒していただろうが、なにぶん気絶しているのでそれはかなわなかった。
「いや、気絶してるだけやろ!? 息、息してへんか?」
 吉朗の言葉にたつやはけい子の口元に手を当てた。息が手に当たる。
「い、生きてる! 生きてる!」
 その時、扉の金具がカチャリと鳴った。
「ど、どないしよう! 見張りの人が来る!」
「寝屋川君! けい子ちゃんの鞄を、このロープの先にくくりつけて! 後で絶対助けに行くから!」
 吉朗を押しのけて絵梨が叫んだ。
 床にある扉が開く。
 たつやは鞄をくくりつける。たつやにしては機敏な行動であっただろう。
 ロープが引っ張り上げられる。
 見張りが梯子を登ってくる。
 外にまわって出てくる人間も出てくる。
「姉貴、どうするんだ?」
「――奴ら、銃持ってるわ。消音機付きの」
「え!?」
 屋根裏部屋まで上がって来た男は三人。
 赤ジャケット、黄トレーナー、そして黒ブルゾンに白いTシャツ、ジーパンの男である。 
 外へは五人、これもカラフルな色使いの男達が出てきた。裏に回った男の一人が屋根にいる二人に気づき、応援を呼ぶ。
「どないしよう」
「閃光弾、発煙筒、催涙弾、どれがええ?」
「みんなやってもうたらええ」
「OK」
 風は北から南――裏山から表玄関へ吹いている。手当たり次第点火し、山の方に投げる。


 志郎が帰ろうとドアを開けると男が銃を持って立っていた。
 サングラスの向こうの瞳は少々怯えを抱いているように見える。銃で人を撃ったことなどないのだろう。
「あ、どうも……帰りたいんですが」
 思いもかけない凶器を持った男の出現に志郎は内心どきどきし乍らも平然を装って言った。
「帰す気はありません」
「――しかし帰らんと仕事ができんのですが」
「あいにく、俺はこれが仕事なもんで」
「仕事、というと……?」
「まあ、それはとにかく、もう一度ソファーにおすわりくださ――!」
 男は最後まで言い切る事ができなかった。
 志郎が男のすねを思いきり蹴ったのである。
 男は反射的にしゃがんですねを押さえる。志郎は男の落とした銃を拾い、駆け出した。


 絵梨は雨どいで、芳郎はロープで霧に包まれたかのような地上に降りる。
 風はあるかなしかで煙はなかなか消えない。
 男達はサングラスをかけており、閃光弾はそれほど効果をもたらさなかったが、催涙弾は効果絶大で二人は何とか逃げきった――
「! 雨田さん! そ、それに……それは……弟さん……?」
「!? 刑事さん? どうして此処に?」
 ばったり克洋に出くわし、絵梨は驚いた。しかし克洋はもっと驚いた。吉朗は驚く以前に状況が掴めずに茫然としている。
「車で来たんですね。それなら話が早い、ちょっとかくまって下さい。すぐ戻るつもりですけど、逃げてるもんで――ドアロック、外してくれますか?」
 冷静さを取り戻したのは絵梨の方が早かった。こういう場合、強気に出た方が勝ちである。克洋は思考回路を走らせる前に頭の中に襟の勢いづいた言葉でいっぱいになった。
「早く! 車に乗って! エンジンかけて!」
「は、はいっ!」
 克洋は事情を訊く事も忘れ、絵梨の言葉に従った。
 吉朗は、靴下で駆けてきた痛みを感じながら、自分達、たつやとけい子、そして志郎の行く末を案じていた。

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