呵々大笑 (かかたいしょう) 17

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17.けい子と絵梨は吉朗とたつやを発見した!

 志郎は正面玄関から入る。ドアホンの応対に対し「雨田絵梨の遣いです」と伝えるとドアが開けられ、中に招き入れられた。

 絵梨とけい子は家が視界に入る場所まで来た。ここから見る分には家の外に人の姿は見えない。二階建てに屋根裏部屋のついた豪華な作りの邸宅である。
「ごっつい家……金持ちなんですね……」
 けい子は目を剥いて言う。絵梨は少し唇の端を上げて肩をそびやかした。
「お金なんて、あるところにはあるもんや」
「――一体、何が目的で誘拐なんかしたんですか?」
「お金の次は地位、かな。欲を持つ人間にとって、お金とかそういう、本来欲を満たすために存在するもんは、欲望を増長させる事はあっても満たす事はない、みたいやね」
「地位、って――そんなもん、誘拐が発覚してしもたら、一発でパアやないですか!」
 どうもけい子の声はよく響く。小声が地声に変わり始めたので、絵梨は慌てて「シッ!」と人差し指を口に当てた。けい子はそのジェスチャーに慌ててお口にチャックの身振りを返す。
「けい子ちゃんが怒りたい気持ちとか、そういうの判るけど……気いつけてな。失敗する訳にはいかへんのやから」
「……はい」
 緊張した面持ちのけい子に、絵梨は肩を叩いて微笑んだ。


 克洋は矢部邸から離れた所に車を止め、人目につかぬように歩き出した。


 応接間に通されて志郎は落ち着かない様子でソファーに腰掛けた。
 靴底を通してその毛足の柔らかさを伝えてくるじゅうたん、冬には薪をくべて暖を取っているであろう暖炉、高価なシャンデリア、重厚な歴史を感じさせる家具、やわらかな陽射しを作り上げるレースのカーテン、なんだかよく判らないが芸術的であろう絵画――部屋全体で作り出す「高級」のイメージに志郎は軽いめまいを感じていた。


 たつやは目を開けた。窓の外を見ている吉朗を見上げる。
「雨田君……」
 吉朗は振り向いてたつやを見る。
「何や、起きたんか」
「お腹すいた」
 たつやのその声に反応したようにたつやの胃が鳴った。そのタイミングのよさに吉朗はつい笑みを浮かべた。
「もうすぐ朝食やろ」
「早よ帰ってお母ちゃんの飯食いたい。ここのん冷めててまずい」
「味としてはええと思うけどな。さすがは専門のコックが作っただけあるわ」
「コックでもなんでも、家のあったかい御飯が一番や」
 吉朗は一瞬自分が余計な事まで言ってしまった事に気づき、たつやの反応を用心して見ていたが、たつやは何も気づかなかったようで不平不満を引き続き愚痴っていた。
 寝屋川君の鈍さ、って俺にとっては大助かりやわ。――まあだからこそ野際さんにとっては……なんやろうけど。
「うち、身代金とか払われへんやろうーなー。おれ、殺されてまうんやろうか……」
 たつやが不安そうにそう切り出した頃、はしごが下ろされ、朝食が運ばれてきた。


 驚くほどの身軽さで絵梨は雨どいを登っていく。よくあるテレビドラマ程のすばやさではないが、それでもけい子には想像し難いものであった。
 一人、見回りに来たガラの悪そうな男を手刀で気絶させた所といい、これといい、けい子は常人ならぬものを絵梨に感じていた。どうみてもただの受験生とは思えない。美人で運動神経抜群、そして成績も良好。
 ――嗚呼、私はこういう人になりたいっ!!
 唐突にそう思ったけい子であった。
 しかし、ついでに「更に、強くて素敵な彼氏も欲しい!」とちゃっかり願ってしまうところはさすがけい子である。
 だが、たつやの存在ある今、それを望むのは心棒のないコマを回すようなものである。
 そんなことはけい子に指摘できる勇気のある人間はいないだろうが。
 絵梨は屋根からロープをたらす。
 けい子は細身ではあるのだが、なにぶん背が高い。絵梨とけい子には十キロほどの体重差がある。
 しかし絵梨は必死で踏ん張り、けい子は必死で登った。ビールケース運びで培った腕の筋肉がけい子の体を上へ上へと登らせていく。
「明日は筋肉痛や……」
 屋根にたどり着き、暫くしてようやく呼吸もおさまってきた時、けい子は苦しげに呟いた。


 「――誘拐!? 誘拐ですか? いえ……知りませんでした」
 絵梨と吉朗の叔父という矢部泰明はやや額の広い人のよさそうな初老の人物であった。
 誘拐犯、というイメージからしてもっと極悪なイメージを持っていた志郎は少々気抜けした。
「雨田吉朗君が誘拐された事はご存知ですか?」
 志郎がそう切り出すと泰明は蒼ざめてそう言ったのだ。
「それで、絵梨ちゃ――絵梨さんがあなたに協力して欲しいと言われてるんです」
「協力? 私に何ができるというんですか?」
「――周囲に肉親がおらず非常に心細いと言ってました。できれば一緒にいていただきたいと」
「一緒に……と言われましても……」
 泰明は戸惑いの表情である。取りあえず笑みは浮かべようとはしていたが、視線はふらふらして落ち着かない。
 志郎は応接間のドアが恐らく全部見張られているであろう事を感じた。いざという時は靴下のまま窓から外へ出るしかないだろう。


 絵梨は屋根のアンテナの根元のところにロープをしっかりとくくりつける。けい子は南向きの、門の方を向いた窓から中を用心して覗いた。
「――!」
 赤色の派手なジャケットがまず目に入った。
 屋根裏部屋と言えば、物置――古びた埃をかぶった本、使われないピアノ、思い出の詰まった衣裳箱、そんなものにロマンを覚え親に隠れてこっそり入りこんで眠りこんでしまった子供――そんなイメージが頭の何処かにあった。それが――赤色のジャケットにジーパンの男の後姿。ショック覚めやらぬまま、しかしけい子は何とか気を取りなおして、見つからぬようにもう一度中を覗き込む。
 黄色の、目にもまばゆいトレーナー。
 ……せめてセピアとかやったら何ぞ情緒のあるもんを……。
 赤ジャケットの男の後ろには二階におりていくらしい梯子が見える。
 少しばかり考えこんだ後、けい子は今度は北向きの窓の方へ移動した。
 人がいるとなると足音を立てるのは避けなくてはいけない。衝撃性を吸い込むトランスパワーのジョギングシューズを履いてきてよかった、と思いつつけい子はそっと歩く。
 絵梨はロープの端を持ち、ゆっくりとけい子のほうへ歩み寄る。
 北向きの窓からは――
「ごちそうさま」合掌する吉朗。たつやはまだ食べている。
 ――あの、あほたつや……呑気に飯なんか食っとる場合か! さっさと逃げるなりせえよ!
 無事な姿に安心するより先に、けい子は怒りを覚えて握りこぶしを振るわせた。


「じゃ、縛らせてもらうぜ」
 黄トレーナーの男は待ってました、と言わんばかりにロープを持つ。
「――あ、ちょっと待って。一日中縛られて食べるだけ。体が疲れてるんや。ちょっと体操させてくれへんか。何も暴れたりせえへん。寝屋川君が食べてる間だけでも――な?」
「仕方がないな」
 黄トレーナーの男は柔和な表情で答える。赤ジャケットは不機嫌な様子だったが何も言わず煙草を吸い始めた。用意周到な事に赤ジャケットの隣には灰皿が、積み上げた本の上に置いてある。
「お、おれも体動かせてえや」
 御飯を口に入れたままもごもごとたつやが言う。
「お前は黙ってろ」
 初日にさんざんごね、手を焼かせた事から男達のたつやに対する心象は非常に悪かった。たつやは男の強い口調に、亦殴られるか、と身をかがめた。しかし、男はたつやを見ようともしなかった。
 吉朗は体を動かす。柔軟、屈伸、前屈、上体反らし――
「――!」
 長い年月をかけて汚れを蓄積してきた窓の外に、吉朗は自分の姉の姿を捕らえた。
 ……助けにきた、って事は――期限が近いのか……。


 絵梨も吉朗が自分に気づいた事に気づいた。しかし、何も言わずにけい子を見た。
 けい子からは吉朗は見えない。しかし、のたのたと食事をしているたつやは見えていた。見たくもないのにその動作一つ一つを眺めてしまう。その手はプルプルと震えている。それがたつやの無事な様子を見ることができた喜びによるものではない、という事はその表情を見るまでもなく絵梨には判った。状況が状況でなければ叱咤の声を飛ばしていた事だろう。
 絵梨は少々ハラハラし乍らけい子の肩を叩いた。
(何です?)――無声音でけい子は絵梨に反応する。その我に返ったらしい表情に絵梨はホッと胸を撫で下ろした。
(あの二人が行ってしまってから窓を開けて二人を脱出させるわよ)
(はい。案外楽にいきそうですね)
(まあね。でも、油断は禁物、やで)


 吉朗はダービージャンプを始める。バタバタと音がして、埃が立つ。
「お、おい、暴れるな!」
「え? あ、すまん、寝屋川君。食べてんのに埃立ててしもて」
「あ……ん」
 今度はおもむろにスクワットに切りかえる。四十回ほどしたところでたつやが食べ終わった。
「それじゃ亦縛らせてもらうぜ」
 黄トレーナーは慣れた手つきで吉朗、そしてたつやを縛る。
 赤ジャケットは無言のまま三本目のタバコを銜えて火をつけ、灰皿を持って下へおりていく。黄トレーナーは食器を盆に乗せ、一歩一歩確かめるように梯子を降りていった。
 梯子は扉に取り付けられているらしく、下から押し上げて閉められた扉の上に幾重にも折りたたまれた梯子が見えた。


「――しかし、どうして私が此処にいるのを? 誰にも日本に帰って来たことを知らせた覚えはありませんが……」
 泰明は作り笑いを浮かべて話題を変える。志郎は内心舌打をする。
 と。
 かすかに家に振動が走った。
「――どなたかおられるんですか?」
 志郎は泰明の顔色がかすかに蒼くなったのを見逃さなかった。
 ――今の振動……そう近いもんやない。もみ合って起こったような音やなかったな。もうすこし、規則正しい……。
「いえ……窓が鳴ったんでしょう。、もう、この家も古くて色々建付けが悪いものですから」
 泰明は背広のポケットから紺を基調にしたチェックのハンカチを取り出し、出てもいない額の汗を拭く。そして煙草を銜え、火をつける。
「絵梨さんが言われたんです。矢部さんが亀高にいる、と。何故矢部さんが此処におられるのを知ったのかは私には判りません」
 煙草の煙を吸ったり吐いたりしているうちに泰明は幾分落ち着きを取り戻してきたようであった。
 志郎は泰明の様子をじっと見詰めていた。自分の持っている勘を信じるつもりながら、泰明は窮地に立たされれば手段を選ばず無茶をするかもしれないが、本質的には小心の、気のいい男のように思える。
 ――と、すると、どっかに黒幕がおるんか……?
「判りました」
 煙草を半分吸った所で火をもみ消し、泰明は意を決したように声を出した。
「絵梨ちゃんの所へ行きましょう。子供の頃はよく遊んであげたかわいい姪です。さぞかし心細い思いをしてる事でしょう」
 泰明の返事に志郎は目を白黒させた。よもやそのような返事が返ってくるとは思っていなかったのである。
「ほ、本当ですか!? そ、それは有難うございます!」
「あ、いや、しかし、色々と片付けるべき仕事があってね。全く休養しに日本に帰って来たというのに、仕事の方が私を放ってくれなくて――一段落ついてからそちらに行く事になってしまうけど、構わないかね」
「それは、もう――で、どれぐらいかかるでしょう?」
 ――成程、そういうテがあった訳か。これで俺は此処にいる必要はなくなる。期限までの時間稼ぎになる……おっさん、なかなかやるな。
「明日か、明後日中には片付くと思うけど……その旨、絵梨ちゃんに伝えておいてください」
「はい」
 ――まずい。こういう事態は極めてまずい。このままいくと俺は帰らんといかん。しかし……くそっ。吉朗と寝屋川君は何処にいるんだ?

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