呵々大笑 (かかたいしょう) 15
15.けい子、その想い 「――大丈夫。とっかかりさえあれば、吉朗がなんとかする。あの子は友達見捨てるような子やないし」 絵梨は優しく言う。ここまでけい子に暴走されると絵梨としては押さえ役に回らざるをえない。志郎はけい子と殆ど面識もなく、車の運転もしている、という事で――本音は「触らぬ神に……」という所だろうが――黙っていた。 「何とかする、って言うたかて……」 「人並み以上の体力と器用さがあるから。吉朗には」 「そやけど、たーくん、っていうハンデ背負ったら人並み未満になりますよ」 「――」 ためらいのないけい子の言葉に絵梨は絶句した。笑い事ではないのだろうが、志郎は思わず吹き出してしまった。 「……野際さん」 「『けい子』でいいです。どうもその苗字気にいらへんのです。なんか『生え際』の親戚みたいで」 「……けい子ちゃん」 絵梨はくじけなかった。必死で冷静さを保とうとする絵梨を、志郎はニヤニヤしてちらりと見る。 「はい」 「けい子ちゃんは、寝屋川君とどういう関係なん?」 「どう言う関係、って……中学まで幼馴染で、私の方が引越ししてやっと離れられたー! って喜んでたのに、たーくんの方が引越しして同じ高校に入ってしもてて、あろう事か、クラス迄一緒で……まあ、雨田君という友人を得て私の負担も軽くなってきたかなーと思ったら……あの、ドあほが!!」 「――誘拐は寝屋川君には責任はないんやし……そんなに興奮せんと、ね?」 「雨田君と私と、やったらなんとかできたとおもいます。私やのうても、誰か他の男の子やったら……だいたい、二人おったらなんとかなるもんと違います? 車が止まって誘拐犯が出た時、どうせ恐慌状態に陥ったたつやのドあほが、何とか対処しようとした雨田君の足を引っ張ったんやないかと思います。そうやったに決まってる!」 「……でも、けい子ちゃん、寝屋川君が嫌いな訳じゃないでしょ?」 「嫌いとか、そういう次元の問題やありません。とろくさいし、間抜けやし、どんくさいし――見てて苛々しませんか?」 言い乍ら、けい子は苛々している。対して、絵梨は冷静でけい子の反応を面白がってる感すらある。 志郎は「とろくさいとどんくさいは一緒やろ」と思ったが言葉は口を歪めた笑いに変わった。 「私はあんまり面識がないから判れへんけど……吉朗は、ちょっとおっとりしてるけどええ子や、って言うてたよ」 「ちょっとおおおお〜?」 まるでヤンキーの兄ちゃんのインネンつけのような口調でけい子は言った。 直接的な否定の言葉を含まないさまざまな否定の表現の中でも今のけい子の科白は最大級の否定文に入るだろう。 「ええ子や、って――それは特に悪意のある事できるだけの意気地がないだけで、善人たろうとしてああなった訳やないですよ」 「――本人のいないところでそこまで言うてしもてええの?」 さすがの絵梨もけい子の毒舌に少々不安を覚えたらしい。 「本人のも言うてますよ。これぐらいの事」 けい子はあっさりと答えた。 絵梨は絶句した。 絵梨は、人の悪口は言わないタイプである。 どうしても堪えられない時に、溜息混じりに愚痴めいた事をこぼす事はあるが、日頃は言わないし、言おうとも思わない。人が陰口などを叩くのを聞く事はあるがそれに便乗する事はない。「悪口」というものに対して正のイメージを抱いていないのだ。 しかし――対して、けい子のこの明るさは一体何なのだ。 「本人に言う、って……寝屋川君、何も言わないの?」 「『ひどい』とかは言いますけど――ま事実ですから否定もできませんし。そやけど、言い過ぎたら泣きそうになるからある程度でやめときますけど」 「泣……」 「そやけど、何でそこまで言うてんのに纏わりついてくんねんやろう……?」 「いざとなったら頼りになるからとちゃうか? やっぱり」 突然志郎が口を挟む。けい子は存在すら忘れていた所から返事が返って来たので驚いて顔を上げ、ルームミラーに映る運転すの年齢不詳の顔を見た。 「今かて、寝屋川君、助けに行くやろ? まあ、吉朗君でも野際さんと同じ事したかもしれへんけど、少なくとも、この誘拐事件を知ってる他の子はここまで行動にでてへんやんか」 ふと、けい子はみさの事を思い出した。 ――一声掛けていった方がよかったやろか……? 「そういう所が寝屋川君には頼もしく思われるんやろ」 「私は頼もしくなんか思われたーない! 断じて!」 「――ま、でも、その野際さんの性分やったら、寝屋川君の意識に変革を起こすのは非常に困難や戸思うで」 「……」 「まあ、俺はそれはそれでええと思うけど。絵梨ちゃんも、そう思わんか?」 志郎の軽い口調での問い掛けに、それまで傍観者だった絵梨は虚を突かれた。 「え? まあ……。その辺は、このことが片付いてから、って事で……」 本音を言えば、傍観者の立場でいれば、けい子はかなり面白い。けい子とたつやのやり取りは更に面白い。 絵梨は、まだこの二人のことをよく知らないが、吉朗から「二人のやり取りは面白い」という話はよく聞くし、実際面白いのだろうと容易に想像がつく。 しかし、今問題なのはそれではない。あてどのない、頼りない計画を基に二人を救出しなくてはいけないのだ。 だらけ切った空気が僅かに緊張を取り戻す。道程は半分を越えた頃である。 緑色のスバルが走る。高速道路は適度な混み具合を示す。亀高の里方面へ行くにつれて車の量は減るに違いない。克洋は車のガソリン残量を気にしながらスバルの数台背後を走っていた。 夏はテニス・避暑地。冬はスキー、と高級リゾートの一端をになう亀高の里は山近くの内地にあり、朝昼の温度差が大きい。まだ僅かながらも残暑を引きずる大田付近とは違い、朝には半そででは肌寒い程である。その冷気と天窓からの陽射しで吉朗は目を醒ました。 腕は後ろで縛られており、足首も縛られている。隣では同じように縛られたたつやがいる。 たつやは縛られて窮屈そうだがよく眠っている。捕まった日はさんざん騒いでいたのだが、見張りに顔を殴られてからというもの、殆ど喋ろうとしない。この屋根裏部屋には食事時以外人がいないのだが、そんな状況でも小声で不安そうに話しかけるだけである。眼の下のあざが痛々しい。 持ち物は全て取り上げられた。時計も持っていないので時間は判らない。食事は昼前と夜の二度。人質としてそれほど悪い待遇ではないだろう、と吉朗は思った。たつやは「冷えてる」と文句を言っていたが。 三日目ともなると落ち着きを取り戻して状況を把握し、頭の中で今後の計画を立ててみる。 見張りは下の部屋と出入り口に少なくとも二人。縄をほどいて窓から出る事も考えられるがそこにも監視の目はあると考えた方が妥当であろうし、屋根からどのように下りるか、と言う問題もある。雨どいをつたわる、等の事しか考えられないが、それも「二人」となると、少々困難であろう。 吉朗はここが何処であるか判っている。また、誘拐の動機についても少々心当たりがないでもない。絵梨がそのことに関して呟いた言葉を聞いていたからだ。 しかし、たつやにそのことを言うつもりはない。余計な心配はさせたくないし、言っても仕方のないことだからだ。 (ここで野際さんやったら「何であんたも一緒に誘拐されたんよ! 足手纏いなだけや!」とか言うんやろうな) 人質と言うには少々呑気によだれなどたらして寝ているたつやを見て吉朗は笑った。 (ま、今の俺としては寝屋川君がおるからこそ、何とかして脱出しなあかん、という気持ちになるんやけど……) 吉朗は体を起こして窓の外を見た。上空にうっすらと雲が流れていた。 亀高の里は入り口にプレハブの管理人室があり、車の出入りには許可が要る。 「五の二三の矢部です」 管理人室の横に車を止め、助手席から絵梨が管理人に言う。管理人の老人は地図をちらりと見て「どうぞ」と言った。 「入るのに許可がいるんですか?」 けい子がやり取りを見てぼそりと言った。 「うん。そんなにきつい規制やないけど……まあ、リゾート地やし、複数世帯による私有地、っていう感覚なんやろうね」 「家も庭も広いねんから、ケチケチせんでもええのになあ」 志郎がノンビリした口調で口を挟む。 「そういう不埒なことを考える人を排除するために管理人がいるのかもよ」 「……さいですか」 「あ、そこ左」 「うい」 別荘が立ち並ぶ悠々とした空間をゆっくりと車が走る。道には走る車や人は見当たらない。 「そやけど……」 聞かせる為か、独り言か、けい子は口を開く。 「こんなええとこに住んでるくせに、誘拐なんかしよって……誘拐するんやったら、もっと価値のある奴をせえよ、もっと価値のある奴を!」 「――」 さわらぬ神に祟りなし――志郎と絵梨の頭に同じ言葉が浮かんだ。 別にけい子は神でもなんでもないが。 「そこ、右」 「あいよ」 二人はけい子を無視することにした。けい子はそのことを気に留めていない様子でどんどんボルテージを上げていく。 もはや、誰がけい子を止めることができるというだろう。 |