呵々大笑 (かかたいしょう) 13

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13.動き始めた人々

 『連続誘拐事件対策本部』――会議室のドアの横にそう書かれた紙が貼ってある。部屋の中では若年から老練刑事まで情報交換したり、推理を交わしたりしている。朝となく夜となくこの部屋に人が絶える事はなかった。
 刑事が二人、会議室から出てくる。克洋ともう一人、ベテランの風情を漂わせた五十ぐらいの刑事――飯泉清史(いいいずみきよふみ)である。
「飯泉さん」
 事態が事態なだけに、いつもはにこにこして笑顔を絶やさない克洋だが、納得しかねる仏頂面を浮かべたまま清史に声をかけた。
 年が二周りほど離れている割にこの二人はウマが合う。克洋をお人よしの青年、と言うならば清史は気のいいおじさん、といった風貌である。当然、刑事として何十年も口に糊してきたのだから、見た目通りの、とはいかない。しかし、機転のよさ、人情の厚さから周囲のものに高く評価を受けている。
「何や?」
「丸山さんと私の受け持ってる誘拐事件なんですけど――」
「?」
「変な感じなんです。……狂言じゃないか、っていう感じがするんです」
「――狂言?」
「というか……家族が落ち着きすぎてるんです。姉と弟の二人暮らしで母は死亡、父は海外に単身赴任、という構成なんですが――その姉が……」
「いくつや、その娘さん」
「高三、って言ってましたから十七か八……弟は高一で十六です」
「それで、その姉さんが落ち着きすぎてる?」
「はい。学校に行ってるんですよ? 『刑事さんに全て任せてますから』って言ってるんですけどね。……どうも、その……誘拐を予見してたような……」
「……お前さんのヤマ、確か二人いっぺんに誘拐されて、同じクラスの子が車のナンバー見た、っていう……」
「ええ。目撃した娘さんは、あれは本気で心配してるから関係ないと思いますが」
 心配と言い切ってしまうには多少の疑問が感じられないでもないが、気にしてはいけない。
「そやけど、狂言にしたって、一連の誘拐事件全部となると……」
「――そしたら、その事件だけ……別口だと?」
「丸山はどない言うてるんや?」
「いえ、丸山さんの方は、別に……」
「――確かに、これが別件となると話の筋は通しやすくなるな。この件だけ男やし、追跡をさける為とはいえ、ひき逃げする程強引な手口を使ってるし……」
 眉間にしわを寄せて考え込む清史を克洋は不安そうな、しかし期待を込めた面もちで見つめていた。
「渡真利」
「はい」
「態度が変わってんのはそのお嬢さんだけや、って言うたな」
「はい」
 態度が変、という点ではけい子も相当変ではあるが清史の言っている「変」とは少々趣を異にしているので克洋はためらいなく肯定した。
「若いモンニ三人使って、そのボンボンが誘拐されそうな裏とってみろ。それから、お嬢さんに尾行をつけろ。何もなかったらそれにこした事ないけど、何かあったらかなんからな。部長にはわしの方から言うとく」
「はいっ!」
 一般人の勢い(書くまでもなくけい子のことである)に押され気味であった克洋はようやく「一般市民を守る警官」の立場に戻れたのがよほど嬉しかったのか、スキップしかねない溌剌さで再び会議室に入った。


 「ただいまー」
 呑気な声を発して巧が帰って来た。
”チーン、チーン”
 巧の声に返事するかのように客間から鉦鼓(しょうこ)の音がした。巧は自分が仏様扱いされてるような気がして憮然として動きを止めた。
 仏壇のある客間を覗くと驚いた事にけい子が仏壇の前で正座して手を合わせている。
「……けい子、お前どないしてん。風邪でもひいたんか?」
 目の前の風景を確かめるかのように、サングラスを外し、目をしばたたいて巧が言った。その言葉にけい子は不機嫌な顔で振り向く。
「何で風邪ひいて仏さん奉らなあかんねん」
「いや、深い意味はないけど。突然そんな事してるから……」
「――うるさいな。私にかて信仰心ぐらいあるわ」
「『苦しい時の神頼み』か?」
「――」
 あまりにも図星であったのでけい子は言葉に詰まる。巧は得意そうにシシシ、と笑う。
 この兄妹、互いの揚足にせいを出す、と言う点で非常によく似ている。
「たつやの事でか?」
「ん……」
 実際はそれよりも明日のたつや、吉朗の救出に対して手を合わせていたのだが、よもやそのような危険を犯すとはいくら相手が気心の知れた兄であろうとも言えない。
「神様に頼むんやったら賽銭いるけど、仏さんやったら鐘叩いて『お願いします』とか言うて――後は南無阿弥陀仏の一つや二つ言うたら、しまいやしな」
「……おまえ、そんな事言うとったら、そのうち祟られるぞ」
「大丈夫大丈夫、私の御先祖や、そんなケチケチしたことで怒ったりせえへんって」
 「ケチケチした事」という次元のものなのか、と巧は少々頭をひねったが、けい子のかんらかんらと笑うさまを見ていると自分が悩んでいるのがなんともアホらしく思えて、それ以上考えるのをやめた。
「そやけどそんな当てになれへん仏さんより、刑事さんに頼んだほうがええんとちゃうか?」
「ん、ん〜……」
 よもや刑事に秘密で誘拐犯の隠れ家(?)へいくと言うのに刑事に頼むわけはいかない。しかしそれも言えないけい子はあいまいな唸り声を出した。
「――まあ、今迄さんざん誘拐事件起こってんのに全然犯人捕まりそうな気配ないしなあ。あんましあてにならんわ」
 けい子の遠慮のない言葉に巧は苦笑いを浮かべる。
「まあなあ……。そやけど、全部、身代金の要求とかないんやろ? ――やばいよなあ……」
「やばい、って……?」
「ん、ん〜」
 今度は巧が少し困ったように唸る。
「――さ、飯食お、飯。おっ母さーん、不肖の息子、巧が帰って来ましたよー!」
「……」
 自分で不肖の息子、言うて、なんぞ楽しい事でもあるんやろうか……。我が兄乍ら判らん奴……。


 いつものように朝が来る。
 いつものようにけい子は家を出た。
 多少面持ちは緊張していたが平静を装う事に全力を尽くしていたので家族に変な顔をされたり――は、しないでもなかったが「昨日仏さんに手合わせてたつやの安否を気遣ってたりしてた割には元気やないか」と巧に言われた程度――はしなかった。
 定期で駅に入る。しかし、いつもと反対の階段を上り、ホームに立つ。いつもはラッシュを横目に田舎へと向かう電車に悠々と乗るのだが、今日はそのラッシュを構成する一員に加わる。
 暦の上では秋の最中であるが、残者がまだ名残惜しさを抱いて居座っている。
 人肌のぬくもりと湿気が煮えきれない残暑の態度に苛々している人々の不快指数を更に上げる。
 けい子は「ええい近づくな! クソ暑いやろうが、ボケッ!」と舌先まで出かかった言葉を薬を飲み込むようにゴックンと喉元を過ぎさせ、ムカムカし乍らも無表情な人員に染まっていた。
 胃が熱い。ラッシュによるムカつきのせいもあったが、それ以上にこれからの行為に対する緊張から来るものであった。こういうタイプは勢いだけで載りこんでフト作戦のなさに気づき、気合の一片がそがれると後は堰切ったように全壊する。
 しかし、当然、本人はそんな事にまで気が回る状態になく、通学途中にしては気合の入りすぎた、並々ならぬ目つきで揺れと人波に耐えていた。

 
 けい子が家を出てから三十分ぐらい後――いつも通り、学校に出かける時間に絵梨はアパートを出た。
「あと、よろしくお願いします」
 礼儀正しくお辞儀をし、学校の通学路を行く。
 すっかり刑事から電話番のおじさん(おにいさん?)に成り下がってしまった克洋は、絵梨が会談から降りる音が途切れたと同時に立ちあがった。無線機のスイッチを入れる。
「広津、いるか」
 ――ああ、いるよ。娘さん、出てきたな。
「ああ。変わってくれ。今からそっち行く」
 ――やっぱりお前が行くのか?
「ああ。何か問題あるか?」
 ――いや。じゃ、そっちいくから。
 アパートから少し離れた道に止めてある車から広津が出て、アパートから克洋が出る。
 絵梨は車から出てきた広津をちらりと見たが、面識のない男の出現を気にとめなかった。
 のんびりと歩く広津に対し、克洋はドラマに出てくる聞き込みに励む刑事のように走っていた。
「えらく速いな。ほい、車の鍵」
「ああ、サンキュ。これ、部屋の鍵」
 克洋は注意して絵梨の歩いている道に出た。絵梨は道を右に曲がろうとしている。
(――え? 高校は左の方に曲がるんじゃ……?)
 克洋は慌てた。混乱した。驚いた。仰天した。
 しかし、驚きに任せて踊っている場合ではない。というか別に踊ってない。
 人間、一瞬の決断に全てをゆだねてしまわなくてはいけない時がある。今の克洋がまさしくそうであった。
 追跡しなくてはいけない――それは確かである。
 走るか、車か。
 約百メートルもある緩やかな上り坂。
 決断を下すより速い反射行動で克洋は広津に預かった鍵で白いスカイラインに乗り込み、エンジンを掛けた。
 歩きの尾行に車を使うとは愚かといわねばなるまい。しかし、いざとなれば無線で誰かを呼びつけ、車を持っていかせることぐらいはできる。
 アクセルを踏み、クラッチをつなぎながら克洋はカーブを曲がってからのことを考え、やはり車は早まったか、と考えた。
 徒歩の人間をくるまで追いかけるなど、まるっきり「かのじょ〜、ボクのクルマに乗らない〜?」の状態ではないか。気づかれないことが第一条件の尾行でナンパしてどうする。
 いつもながらの優柔不断さをひっさげて克洋は角を右に曲がった。
 ――え?
 当然、いるべきはずの絵梨の姿がそこにはなかった。
 え? え?
 身を乗り出し、絵梨の姿を探す。さすがに尾行とまでいっていないこの状態で絵梨が見を隠したとは考えにくい。
 ふと歩道沿いに止まっていた深緑の車が走り始めた。
 ――もしかして……。
 考える余地はない。それ以外考えられない。
 車の中には運転席と助手席に人がいる事は克洋の視力1.2の目にしっかりと映った。
 克洋はその車を追う。幸いにもそのスバルのマークをつけた深緑の中古車は克洋の車にさほど注意を払っているようには見えなかった。
 ――まさか、犯人との交渉か何か……?
 克洋は色々な推論を頭にめぐらせながら無線機のスイッチを入れた。

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