呵々大笑 (かかたいしょう) 11

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11.心配な人々

「あ」
 けい子が小さく呟くように、声を上げた。渡真利刑事と志郎は既に外に出ていて気付かなかったようだが、絵梨は振り向いてけい子を見た。
「どうしたん?」
「そう言うたら鳥井さん、この連続誘拐の犯人、目星がついてるような事言うてませんでした?」
「言うてた。けど……」
 絵梨は言いかけた言葉を飲み込み、玄関から機器を持ってくる二人の方を見た。
 いつもならばその続きをせっつくように訊きたがるけい子だが、珍しく神妙な顔つきで絵梨が続きの言葉を発するのを待っていた。
「野際さん。トンル教、って知ってる?」
「は? トンル? ――いえ、知りませんけど……それが何か?」
 けい子がそう聞き返したとき、渡真利刑事と志郎が部屋に入ってきた。
電話に機器を取り付けていく。
「トンル教、って何です?」
 もう一度、けい子は訊ねた。もし、手がかりがあるのならば、たとえそれがどんな些細なものでも手に入れたかった。
「――連続誘拐事件、か?」
 けい子の言葉に反応したのは志郎だった。そして、その志郎の言葉に渡真利刑事が反応する。
「連続誘拐とトンル教と、何か関係があるんですか? そんな情報、警察には入ってませんよ」
「いや――あくまで噂の域を出んがな。こういう俗な情報は警察より俺等みたいな探偵とかの方が耳に入りやすいんだよ」
「探偵……してるんですか?」
「ああ。――敬語はいらんよ。そういや自己紹介まだやったな。俺は鳥井志郎」
「え、あ、私は渡真利克洋(かつのり)――と、それより、連続誘拐とトンル教と、何の関係があるんですか?」
「だから、敬語はいらん、て。――……あくまで噂だからな。……トンル教の儀式で生贄が必要とされてる、って話」
 克洋の動きが止まる。けい子が目をむく。絵梨は陰鬱な瞳で開きっぱなしだったドアを閉じた。
「それでうちの事務所の奴が二人、トンル教の集会なんかに行って様子を見にいったんやけど――報告もないまま、姿を消した」
 そこで志郎は一旦言葉を切り、克洋を見た。克洋は何かを言いたそうに口を開いている――が言葉が紡ぎ出される様子はなかった。
「行方不明や。蒸発かもしれへん。自分の意志で消えたんか、それとも――。……それで、その件に関しては、今は俺と、もう一人が組んでかかってる」
「生贄、って……殺されんの?」
 けい子が眉間にしわを寄せて言う。今までにない内に怒りを込めた口調に、絵梨は反射的にけい子を見た。怒りとも悲しみともつかない表情が貼り付いたように浮かんでいた。
 志郎は答えなかった。けい子の方を見もしなかった。克洋は心配そうにけい子を見、けい子の前に来ると、元気づけるためか優しく微笑んだ。
「……そら……そら、確かに、情けないし、あほやし、抜けてるし、頼りないし、まぬけやけど……殺されてまう程悪い事はしてへんやろ? 足手まといになるし、うっとうしいし、どーしよーもない奴やろうけど……このままで死んでしもたら、救いようがないやんか……」
 誰に向けてでもなく言うと、けい子はどすんと座り込んだ。その動きがあまりに急だったので、慌てて克洋が差し出した手は全く無駄なものとなってしまった。
「……雨田君かて、もしかあの時、先に行っとったら、私等の方が誘拐されとったかもしれへん。……その事考えたら、たーくんぐらいやったらまだましかもしれへんけど……そのトンル教の奴、ってたーくんみたいな奴生贄にして、それで何か得られると思ってんの? それぐらいの価値がたーくんにある、ってホンマに思てんの?」
 本来ならば志郎に話しかけるべき内容であるのだろうが、目の前にいるものだから、いつの間にかけい子は克洋を見上げて話しかけていた。
「いや……思てんのと言われても……私には……」
 当然、克洋は戸惑う。この動揺の中には、けい子の科白の主旨の移行による困惑も当然含まれる。
「……そうや。誘拐されてから生贄にされるまでにはある程度の間があるやろう。それで気がついて――きっと泣くねんで、あのアホは。少しぐらい逃げよう、って気合いを見せたかて良さそうやろうに、あのアホはいつまでもぐじぐじぐじぐじと――雨田君みたいに頼りになりそうな人がおってみいや。もう、思い切り頼り切って、言われた事を考えもなしにほいほい従おうとして、結局失敗して足ひっぱるんや、あのアホ
「……」
 その場にいたけい子以外の三人は茫然としていた。話の論点がずれてきている。今やこの事は問うまでもない。
「努力とか、根性とか――あるんか知らんけど、それが実を結んで成功した事なんか、一つもないやないか。そのくせ、周りにはめぐまれて、どっか一人は自分の尻拭いしてくれる人間がいてくれるんや。――くそっ! 鳥井さん!」
「――はい?」
 突然話を振られて志郎は硬直した。
「その、トンル教の本部、って、何処にあるんですか?」
「……本部、って……訊いてどうすんの?」
「そんなもん、決まってるやないですか。解決の糸口が目の前にぶら下がってるのに、それを引っ張らんでどうするんですか。――車のナンバーからの割り出しで、もしもそれに関係してるんやったら……」
「――いや野際さん、この件は警察に任せて下さい。焦る気持ちは判りますが、せいては事をし損じます。失敗してから『ああ、しまった』では取り返しがつかないんですから」
 説得力のある言葉にけい子は納得する他なかった。しかし、歯で唇をかみしめ、怒りの視線を畳の上に注いでいた。


「……ほお。誘拐」
 六限目の数学が終わってから、職員室へ帰ろうとする熊本先生を引き留めたけい子、ゆう子、みさの説明に、熊本先生は動ずることなしに――どちらかというと感心したような口振りで言った。
 「誘拐」という言葉によって恐慌状態が引き起こされる事をおそれてたつや、吉朗が休んだことに関しては「風邪」だと言っておいた。しかし、担任には真実を述べておくべきだ、と事情を知っている三人が説明したのである。
「すると、いつ学校に来るか判らないわけですな」
 それは少し困ったことになるな、と言いたげに視線を遠くに向けて呟くように言った。
「……そりゃ、まあ……誘拐先からここに通わせてくれるとは思いませんから……。――それで、要求電話もかかってけえへんのです」
「それは――身代金の要求がない、ということですかな?」
「はい」
「お二人とも?」
「……はい」
「……それは何とも困った事態ですな。しかし、私がここでご託を並べた所でどうしようもない。――早々にみつかれば良いですが」
「はあ……。それで、他の先生方にも説明しといてもらえますか? なるべくパニックにならへんように……」
「はい。それに、何も知らせないのはクラスの他の人にも不公平ですな」
「――その辺は先生に任せます」
「任せてください」
 熊本先生のいつもの超然とした調子にけい子は戸惑いを覚えたものの、言う事は言った、と思い、別れを告げて三人で帰ることにした。
「お、野際」
 廊下で級友と話をしていた正一がけい子に声をかける。
「ん?」
「これから寝屋川の見舞いに行くんか?」
「何であんな奴の見舞いに行かなあかんねん」
「……あんな奴……まあ、そうかな……」
「――け、けい子ちゃん! 芝君も! そんな言い方したったら、かわいそうやんか!」
「かわいそうと言われても……みっちゃんは見舞い行くん?」
「え? わ、わたしは……」
「――家、遠いしな。雨田君の家ぐらいの距離やったら、まだ近いやろうけど……」
「雨田のとこに、行くんか?」
 正一が口を挟む。
「いや。――芝君は? これから帰んの?」
「あ、ああ」
「んじゃ」
 明るく言い放って、けい子は歩き出す。ゆう子とみさは正一に別れを告げ、けい子の後をついて行った。
「――野際さん」
 正門にいた絵梨がけい子の姿を見つけて声をかけた。どうやらけい子を待っていたらしい。
「……雨田さん」
「ちょっと時間、ある?」
「え? まあ、私は暇ですけど……雨田さんはええんですか?」
 けい子の問いに絵梨はにっこりと微笑んで頷いた。弟を誘拐され、脅迫電話がかかってこず、安否が知れない姉の姿ではないんではなかろうか、とその場の三人が思ってしまうほど落ち着いた様子であった。
「――そしたら、私等は先に帰るわ」
 ゆう子は二人の沈黙の間に入り込んでいった。
 別れの言葉を交わして四人は二人ずつに分かれた。
「雨田さん、あんなに悠然としてるけど、雨田君の事心配やないんかなあ……?」
 みさが問いかけとも独り言ともつかぬ口調で言った。
「いくら心配してても顔に出えへん人、っておるやろうし」
「……うん……」
「――無事やったらええな」
「うん」
 陰気な雰囲気のまま、暫く無言でみさとゆう子は歩いていた。周りを何も知らない学生達が同じように歩いている。昨日、誘拐があったとは到底信じられないような光景である。
「昨日、けいちゃん、すごかったな」
 みさがぽつりと言う。ゆう子は少し不思議そうな表情でみさを見た。
「車で追いかけて……すごい剣幕で……」
「確かに、あれは鬼気迫るもんがあったなあ……。――そやけど、あの状況で車のナンバー覚えたみっちゃんもすごいと思うわ」
「そんなん……」
 いつもガチャガチャと騒がしいけい子、そして2番目に騒がしいより子もいないため、会話は断片的で、静かである。
「――やっぱりけいちゃん、寝屋川君が好きなんかなあ……」
 定期を見せて改札に入ったところでみさが不安そうに言った。
「――けいちゃんは否定してるけどな。……まあ、あれが愛情表現の一種や、って言うんやったら……もしか、あの二人がつき合ったりしてもあの状態やろうなあ――ちょっと寝屋川君がかわいそうな気もするけど……面白そうな気もする。不謹慎やとは思うけど」
「――」
 貝のように押し黙ってしまったみさに、ゆう子は疑問を感じてその横顔を見た。
 みさのひどく悲しそうな顔に、ゆう子は目を大きく見開いた。
「――好きなん?」
 みさは頷いた。
「……知らんかった……」
「もう、見込みないと思っとったし……。けど、けいちゃんに言うたら、協力してくれる、って言うてくれたから……けど……」
 ホームに電車が入る。後からくる準急に抜かれる普通列車。
 各駅停車の列車しか止まらない駅が最寄のみさは電車に乗ろうとしてゆう子を見た。準急に乗った方が早く帰れるゆう子は笑って頷くと先に電車に乗り込んだ。
「――ゆうちゃん……」
「一回、訊いてみたら?」
「……何を?」
 ドアが閉まる。ゆっくりと、電車は動き出した。
「寝屋川君に」
「……」
 少しの間、みさはゆう子を見ていたが淋しそうに笑うと首を横に振った。
「――何で?」
「……見てるだけでもええし……。寝屋川君がけいちゃんのこと好きなんは、見てるだけでも判るし」
「――それでええの?」
「……うん」
 ポツリと答えるとみさは何事もなかったかのように窓の外を見た。ゆう子も同じように窓の外を見る。
「――寝屋川君も雨田君も無事やんな……」
 窓の外を眺めつづけていたみさが願うように言い、ゆう子は少し力強く「うん」と答えた。

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