赤い花火 2
雨の匂いが火薬の匂いにすり変わる。 「日下部さん? おられますか?」 島中公子(きみこ)は呼び鈴のない開けはなしのドアに呼びかけた。 返事はない。 「日下部さん。宅経新聞です」 公子の後ろにいたカメラマンの立川が大きな声で言った。 「あー、ちょっと待ってくれー」 右の土間の奥の方から声がして、さほど待つ間もなく、日下部が出てきた。 やせぎすの、頭の禿げ上がった、しかし背筋のしゃんとした初老の男。 日下部はまるで新入社員のように落ち着かない笑顔の公子と、日下部になんの興味も持っていない様子の立川を一瞥すると軽くお辞儀した。 「遠路はるばる、ってことになるんかな? メヒオから来たんやろ?」 「はい」 「仕事場の方がええ、っちゅうてたな。今日は雨が降っとるさかいに殆ど片付けてしもてるけど……まあ、その方がええか。こっちや」 新聞の取材と言うのにざっくばらんな口調を改めもしない日下部に立川は軽い反発を覚えていたが、何も言わずに日下部、公子の後ろをついて歩いた。 公子が名刺を渡して正式に挨拶をしている間に立川がカメラ撮影のセッティングをする。 「お話をうかがってる途中で撮影させていただきますので、多少フラッシュがまぶしいかと思いますが、ご容赦下さい」 「話が興に乗ってる時やったら怒り出すかもしれへんけど、それでも気にせえへんのやったらええで」 機嫌よく答えた日下部に、公子と立川は思わず目を合わせて笑った。――そう言ってくれる人間の方が怒り出さないものだ。 引っ張り出した椅子に日下部と公子は向かい合わせに座る。 公子はテープの録音スイッチを入れた。 「なんか、取材されてるとか、全然実感湧かへんなあ……」 「それぐらいリラックスしていただいた方が、こちらとしても楽しいお話が聞けそうで嬉しいです」 「なんも楽しい話なんかあらへんで。――で、何の話をしたらええんや?」 「ええ、と、まずお伺いしたいのが――旧北ニンの体制についてですが――職業は世襲制となっていましたよね」 「ああ。親父も、じいさんも花火師やったで。そやけど、そういう技工系はもともと世襲制が多いやろ?」 「確かに、伝統工芸はその色が強いですね。――それで、抵抗はありませんでしたか? 稼業を継ぐ事に」 「最初はつまらんなあ、と思っとったよ。花火自体は好きやったけど――ずっと、地道な割芯作りばっかりさせられとったからな。そやけど、一回、自分の好きなように尺玉作らせてもうて、打ち上げた時――正直、感動した。……今思えば、歪みまくったぶっさいくな花火やったけどな。あの、最初の一発の事は忘れられへん」 「それはいつですか?」 「小さい式典や。パゴダ建設三十周年記念、っていう一九八五年の――記者さんは生まれてへんか」 「残念ながら」 「そうやな。生まれてたらそんな若ないわな」 「――その最初の尺玉も、国色花火だったんですか?」 公子の言葉に、カラカラ笑っていた日下部の表情が固まった。 「――もう、北ニンはなくなったんやし、国色、って呼ばんでもええやろ。……赤い花火やったで。北ニンではずーっと、赤い花火を作ってた。ちょっとごまかして、あんな深い赤やのうて、黄色っぽくしてみたり、白っぽくしてみたりしたけど――赤い花火やった」 「逆に、赤色以外の花火の原料を入手するのが困難だったことはありませんでしたか?」 「いや、それは別に。金属使うのは別に花火だけとちゃうしな」 「そんな風に色を変えることで何か言われたことは?」 「口さがない連中はごちゃごちゃ言うてたみたいやけど――おおむね好評やったな。それまで数に頼りすぎてたから、演出のあるメリハリのある花火にびっくりして喜んでたみたいや」 「そんな、いろいろな花火を作ろうとした情熱の元はどこにあったんですか?」 「……難しい事訊くなあ……。――まあ、好きなんやろうな、花火が。一生懸命作った割にはパッと上がってパッと消えてしまうつれなさもいいし、思い通りいったら気分ええし、思い通りにいかんのも楽しい。花火大会も好きやな。夜店の甘い匂い、ソースのにおい、見ず知らずの人間が肩ぶつかるほど近づいて一緒のモン見て喜んだり、楽しんだり――。……北ニンでも、花火見てるときはみんな楽しそうな顔してたで。赤一色の、何の芸もないプロパガンダの花火やったけどな」 既に記憶の湖の奥底に沈んでいたものが不意に浮かび上がる。 それはすでに原形はとどめておらず、断片的な風景と幸せながらも切ない気持ちを伴っていた。 「何を理由に亡命を決意されたんですか?」 「……何も政治的な理由はない。いろんな花火を作りたかった。赤い花火でいくら演出を頑張ってもしれてる。――他の国の花火写真を見てしもてな。……自分の作る花火に欲しいのは、国民の心を一つに、なんてご大層な名目やない。別に、政府のプロパガンダに使われることは苦にはなれへんかった。それは逆に金の心配せんでええねんから。ただ――自由に、花火を作りたかった」 「じゃあ、北ニンでの第五十五回建国記念日の花火は亡命を決めての仕掛けだったんですか?」 公子の言葉に、日下部は完全に言葉を失って、思いも寄らぬ言葉を告げた記者を凝視した。 公子はまっすぐな目で日下部を見ていた。 「なんでそんな事まで――」言いかけて、何か思い当たったのか、軽く笑って髪の毛の少ない頭をゴシゴシこする。 「――北ニンも、自由な国になったんだな……。――いや、北ニンなんて国、もうないんだな……」 公子は喉元まででかかった言葉をかろうじて呑み込む。 「――まあ、もう二十年以上も昔の話だ。国じゃあ、俺は不敬罪で処刑されたとかの噂が流れてた、って聞いたが、どっこい生きてて、統一式典で懲りずに二十一年ぶりにでかい花火をあげさせていただきました、って訳だ」 「運命の皮肉ですね」 「運命とか、そういう重い事までは考えてないけどな。長い事生きてみるもんだなー、と思ったぜ。一介の花火師でも色々とおもしろい目に遭える」 「南ニンにはお知り合いがおられたんですか?」 「いや。北ニンの花火師なんて、何の芸もない国色花火を数に任せて打ち上げるだけだーなんて考えてる南ニンの花火師のところ直接修行入り。まあ、基礎は出来てるし、変に単色系で見せ場作るシュミレーションしてるから、演出力がある。それになんといってもやる気満々だ。頭角は表すのはそう先の話やなかった」 「北ニンの亡命者であることで何か問題が起きたりはしませんでしたか?」 「まあ、伝統芸だからな、しがらみに縛られた奴は多い。でも、そんな奴等には俺様の花火を見せて納得させればいいだけの話だ」 「南ニンには北ニンからの亡命者が交流会を作っていたのですが、日下部さんは所属されていなかったのですか?」 答えが判っていながら公子は問う。 「ん? そういや何かそんなんあったな。確か、南ニン来てすぐの頃、何処に花火師がいるか訊きに行ったような気がするな……」 「どうして入会されなかったんですか?」 「必要を覚えなかったからなあ」 「北ニンを失ったことを分かち合う必要はなかったからですか?」 「――失ったとは思わなかったし、淋しいと思ってる暇もなかった。その辺が、政治に反発して目を付けられて亡命した人とは大きく違うんだろうな」 「ご家族の方は……?」 「――妻と子供を置いていった。この間、二十一年ぶりにあったよ。恨まれて当然だと思ってたんだが――時間が経ちすぎたのかな、そういうのはなくて……」 なんと言葉を継げばよいのか困った風に日下部は黙りこくってしまう。 「亡命者の家族に対して、北ニンからの処罰は何もなかったんですか?」 「法的にはそんなものはないし、俺も意外だったんだが、何の処罰もなかった。俺は建前的には処罰された事になってたしな。それよりも、不敬罪を働いた罪人の家族、って色々嫌がらせを受けてたみたいや。――まあそれでも、あの花火きれいやった、ってそっと言うてくれた人もおったらしくて――報われた様な気がする、って言うてくれて……何やろうな……。まあ、よかったな、花火師の冥利に尽きるな、って思ったんや」 「これからは、ご家族と一緒に北の方で……?」 「その辺はまだちゃんと考えてへん。まあ、嫁さんと両親とは一緒に暮らすやろうけど――それが北か、南かは判らへん」 「北と南の壁がなくなって、これからのニンはどうなるとお思いですか?」 「そういう難しい話を俺に振られても困るねんけど――どうなるかは判れへんけど、花火、って言う、見る人がおれへんかったら何の役にも立たんようなもんが消える事のない国であって欲しいな」 「有難うございます。これからも素敵な花火を揚げつづけて下さい」 「言われいでも。それでこその俺様の人生やからな」 公子は笑って深く息をし、テープレコーダーのスイッチを止めた。 「有難うございました」 「いや。もっと手ごわい事訊かれるかと思ってビクビクしとったんやけど――まあ、政治的な話なんか花火師のじじいに訊いても仕方ないよな。『北ニンの百人』とか言うから何事やと思った」 「北ニンのプロパガンダに利用されていた花火師が反逆の花火を上げて亡命、というアオリ文句でいけば充分政治的にいけるんですが――」 「じゃあ拍子抜けしたろ? ただの花火バカで」 随分と打ち解けた様子の日下部の言葉に公子は曖昧な笑みを浮かべた。 お互いに次の言葉を待つような、発するのを戸惑うような空気が流れる。 公子の心の動きを知っている立川はレンズとフラッシュを片付けながら二人の様子をうかがっていた。 「島中さん、言うたかな。記者さん」 「はい」 「身近に北ニンの人がおるんか?」 「……え?」 思いもよらぬ日下部の言葉に、公子は老人の表情が読みにくい小さな目を凝視した。 日下部はその視線をつい、と反らした。 「話のアクセントがな。ホンマに、ちょっとだけやけど。電話の時から気になっとったんや」 「……」 「まあ、別にどうって事やない。懐かしいなあ、って思った程度の事や」 日下部はそう言って豪快に笑う。 照れ隠しにも似た笑いを聞きながら、公子は呼吸を整える。 ――取材はもう終わった。 「先ほど、日下部さんの亡命前の花火の話、しましたよね。国色花火以外の花火を打ち上げた、って」 「あ、ああ――よう調べたなあ……。っていうか、そういう事を自由に知る事のできる世の中になったんやなあ」 「実は――私、その花火見てたんです」 リラックスしていた日下部の表情が固まる。皺に囲まれた小さい目が公子を凝視する。 ――本当なら、これからの会話を記事にすべきなんだろうがねえ……島中の性格から、それは「プライベートだから」でけへんのやろうなあ……。 立川は小さく溜息をついた。 「――え? じゃあ、北ニンの記者なんか?」 「いえ。私も亡命したんです。二〇一〇年。だから、日下部さんの翌年ですね」 「二〇一〇年、って……まだ若かったやろ?」 「親につれられて――教師で、子供に本当のことを教えていたら反逆罪で捕まりそうになって――子供だった私を連れて、南ニンへ」 「――子供を連れて亡命か……。大変だったろうなア、親御さん。――ああ、あんたも大変だったろうけど」 「私を連れて行く、行かないでもめたみたいですけどね」 そして、意を決して家族一家での亡命。 堀を超えるときに逃がし屋の一人が裏切っていることが発覚し、トラックに乗っていた亡命希望の人々は北ニンの警察の手に落ちそうになった。 そんな中、父親は身を挺してみんなを守り、せっかく南ニンについたのに、その怪我が元で亡くなった。 大変だったのは自分一人ではなかった。みんな、そうだった。 何とか通じるものの訛りの強い言葉の壁に苦しみながらも同じように亡命してきた仲間と出会い、自由経済の華やかさに酔い、南ニンの人と恋に落ち、家庭を築いた。 それでも、すでに「祖国」と呼べない、呼んではいけない北の地のことは小さな棘となって痛みを作っていた。 「亡命者の交流会のお話ししましたよね」 「ん? あ、ああ」 「交流会で有名だったんですよ、日下部さん」 「? 何かしたか? 俺」 「した、っていうか――北ニンの亡命者、って政治的に北ニンから逃れたくて出てきた人が多くて――でも、北ニンの事を忘れられなくて……まあ、交流会に来てること自体、そういう弱いところをなんとかしようと思ってたと思うんですけど……日下部さんの強さが羨ましい、って」 公子の言葉に、日下部は困ったように唇をなめた。 「羨ましい、って言われても――そうすばらしい人生とは思わんけどなあ。俺自身はやりたいようにやって、後悔ないけど、周りは大変やで〜。迷惑掛けてる本人が言うのもなんやけど」 さばさばと言う日下部に、公子は言葉を発しかけ――やめた。 「自分が北ニンの人間か、南ニンの人間かはあんまり関係ない――一介の花火師でおられたら、それでええ」 「――でも、北ニンに対する……国色花火に対するこだわりがない訳じゃないでしょ?」 引っ込めた言葉が、日下部の言葉に後押しされたように飛び出す。 立川の予想に反して、日下部は言葉に詰まった。 「交流会の人が教えてくれて――見に行きました。日下部さんの花火」 公子は日下部の言葉を待つ。 日下部は何も言わない。 立川は口を挟む立場にない。 ――気まずい十秒が流れた。 「私は――ほっとしました、日下部さんの花火。十五までしかいなくて、そんなに見た覚えもないけど、なんだか、あの血みたいな深い赤の花火を見ると、亡命した時の銃声や、その後の疎外感や、もう会えない友達のこととかが思い出されて――きゅっ、と胸が締め付けられるような気持ちになりましたから」 「赤い花火に罪はない」 日下部は右横の日頃作業に使っている大きなテーブルを見たままぽつりと言った。 「それは判ってます。大きな派手な花火を打ち上げる前の、深い空に地味に咲く赤い花火は主役を貼ることはないけれど、とても大きな役割を演じていると思います。そんな風に単一の花火に思い入れをする方が――そんな人を作り出してしまった政治がおかしいのだと」 「――」 「――でも、そういう理性的なものじゃなくて……だからこそ日下部さんの花火は安心して見てられたんです。赤い花火が全然なかったから」 「……全然なかった訳じゃない」 「――じゃ、訂正します。国色花火が全然なかったから」 「……」 日下部は深くため息をつく。 「茶でも入れよか」 「ああ――私が入れます」 老人よりも早く公子はすくっと立ち上がり、部屋の隅の給水場でお茶を三つ用意する。整頓された水場はよそ者がお茶を入れるのに何の抵抗もしなかった。 「――赤い花火は北ニンで上げ飽きた」 日下部は椅子にもたれかかるように伸びをした。 「それでも、演出上、あった方がしまる時もあったでしょう? 他の花火師の方に言われたりしませんでした?」 公子は湯飲みを三つ、テーブルに於く。 日下部は唇の端を薄く上げ、お茶をすすり、軽いため息をついた。 「人が言う程、赤い花火に対するこだわりがあった訳やない――と思う」 「……この間のカナエ湖岸の花火、北ニンの人達喜んでましたよ。泣いてる人もいました。――自由を象徴する花火だ、って」 日下部は答えず、音を立ててお茶を飲む。 「――これからは、もう、解禁ですか?」 「さあ……もう、赤い花火を使わん演出にも飽きたかなあ」 とぼけて言う日下部に、公子は軽く笑ってみせる。 「見せていただきました。最後の見送り花火」 にっこり笑う公子と日下部の視線が会う。 「……だから、なんで……」 「――何だかね、あれ見て……心の中でひっかかってたものが、すうっ、って解けていった気がしました。解放された、っていうのかな……。日下部さんがどういう心づもりであの花火を上げられたのかは判りませんけど――……少なくとも、ここに一人、あの赤い花火で救われたような人間がいる、ってね……」 笑い顔のまま、公子の目が潤む。 「あーわー、えーい、くそっ! むー、泣くんじゃねえ! だいたいあんた、取材しに来たんだろ? 何で、それで――……」 「取材も彼女にとっちゃ口実ですよ。こんな口実でもなきゃ、頑固者の花火師が娘っ子の話、聞こうなんて――」 「いい! 判ってるから、黙れ!」 立川の言葉を、日下部は老人とは思えぬ大声で遮る。 「そんな事、わざわざ口にしなくてもいいんだよ! 判ってんだから! 判んねえ事は花火で判らす! それでいいんだよ! わざわざ言葉にする必要はねえんだ!」 「――でも、私は、記者だから、言葉にする以外ないんです」 公子に言われ、日下部は口をあんぐり開けたまま固まり――ガックリと肩を落とした。 「そして、そんな風に言葉を扱う職業を選んだのは私自身です。北ニンに対して批判めいた気持ちを持っていたわけでもないのに国を離れて――恋う気持ちと遠ざけたい気持ちをなんとか整頓したくて記者の世界に入って……でも、自分の気持ちを言葉に出来ないまま、北ニンはなくなってしまいました」 「――同時に南ニンもなくなったけどな」 言って、日下部は湯のみを持ち――お茶が入っていないのに気づいてそのまま置いた。 「――入れましょうか?」 公子がそう言って腰をあげかける。 「いや――手持ちぶさたなだけだ。いい」 日下部が困った風に辞退するのを見て、思わず立川は吹き出してしまった。 そんな立川を日下部が睨みつけ、緩みかけた空気がしまる。 「――あ〜、つまりだー……。……で、記者やっててよかったのか?」 「え?」 「後悔してんのか? してねえよな。さっきの取材っぷりじゃあ。――まあ、本気のプロなら、俺の赤い花火の話をもっと前面に押し出してくるだろうがな――その方が政治的に面白い記事が書ける」 「……個人的感情が入ってしまいそうで……」 「――そんなもん入ってようが何だろうが、書いたもん勝ちだろうが。気づかないやつは気づかないし、気がついてとやかく言う奴には言わせておきゃあいい。人に読んでもらうのが、人に伝えるのが商売だろ? そんなことにいちいちびくついてちゃあ大きくなれねんだよ。記者になったこと、後悔してないんだろ? なら、胸張って仕事こなしていきゃあいんだよ。自分の意思じゃねえ亡命も、それからも、全部ひっくるめての自分で……」 公子のすがるような目つきに、日下部はガラにもなく自分が熱くなっているのに気づいた。 「ああ、えーい、何で俺が娘っ子の人生相談室やってんだよ! ガラじゃねえ!」 困り果てて叫ぶ日下部の姿に、公子は一瞬呆気に取られ――笑った。 「――有難うございます。っていうか、すみません。何しにきたのか判らなくなっちゃいました」 「ああ。満足したならけーれけーれ。また縁がありゃ会えるさ」 「……日下部さん、いつの間にそんな北ニンなまりになりました?」 「ん……ん? ……感化されてしもたな。バイリンガルや、バイリンガル」 言いつつ、よいしょ、と日下部は立ち上がる。 仕方なしに立川と公子も立ち上がる。 「申し訳ございませんでした。取材にかこつけて――日下部さんにお礼が言いたくて――」 「あー、もういいから! 自分の花火見て感動してくれた人がいた。それを言ってもらった。それで俺は充分やから」 「――これからの日下部さんの花火は……」 「さあ? もう、意地張って一生国色花火を使わへんか、演出の一環として使いこなすか――次のお楽しみや」 まだまだ名残惜しそうな公子達に、日下部は半ば押し返すように別れを告げた。 けぶる雨の中に二つの傘が遠ざかる。 今朝から場を占めていた沈黙を味わいながら、日下部は仕事場に戻った。 かき乱されたペースを一息で整え、テーブルに残された湯のみを見る。 「――でもな……」 ――今となっては、プロパガンダとは関係なしに、あれだけ芸のない花火をあれだけの数ぶっ放せる花火大会も、ええ思いでなんやで。 最後のスターマイン。 これでもか、これでもかと打ち上げられる出血大サービスの花火のオンパレードに、人々はただただ口を開けて空を見上げる。 「よ、林田」 「高村さん!? 抜けて大丈夫なんですか!?」 「何の気まぐれか親方が見てきてええ、言うてくれてな。その代わり、真田が生贄や」 「ひゃー、かわいそうに」 言い乍ら、二人とも目は花火に向いている。 「――やっぱり、使わはれへんのですねえ」 「ああ……堀もなくなったし、北ニンでの花火やし――使わはると思ってたんやけどなあ」 「それでもウッカリ見てたら全然気いつきませんね」 「……お前、まがりなりにもプロやろが……」 ぽつりぽつりと交わす会話の中、クライマックスを迎えた花火は煙を残して消えた。 感動で胸を温めた人達がそのぬくもりを持って帰るべく、広めるべく立ち去って行く。 多すぎる客はなかなか動かない。その客を、ひとつ、ひとつ、花火が見送る。 「思ったより人が多かったですね」 「まあな」 なんとか人ごみを掻き分け終わり、慌てて二人は親方の元へ戻ろうとする。 「ぼちぼち終わりかな」 言った高村の言葉に応えるように花火が上がった。 「あ……」 「あかい……」 赤い花火。 「――高村さん」 「ん?」 「北ニンの人には悪いけど……。赤い花火、綺麗ですね」 「……そらそうやろ。あの人が、一体、何発赤い花火上げてきたと思うねん。俺は――親方の、この花火が、見たかったんや……」 そして―― 慌てて戻る弟子達を迎える親方の、今までに類を見ないほど、満足げで、自慢げな笑顔。 (おしまい) 初書 2000.9.21.-10.3. |