赤い花火 1

「赤い花火2」 トップ 創作世界

 湖岸にひしめき合う人々の表情は今までになく明るかった。
 ずっと――ずっと締め付けられてきた生活を、習慣を、心を自分の手に取り戻せたという開放感。
 そして、その「自由」を祝福するべく、花火が上がる。
「おお……」
 感動の声を上げる者。
 声もなく感動のあまり口を開けている者。
 大はしゃぎする子供。
 涙を流す者すらいる。
 花火に照らし出される人々は、皆その光の元となる花火を見つめ、未だかつて見たことのない美しいショーに心奪われる。
「――一度、こんな花火、見たことあるよ……」
「え? テレビで?」
 子連れの中年夫婦。夫の言葉に妻がいぶかしげに問いかける。
「いや、ここで。豊国浩一代表の生誕記念祭で」
「まさか。だって、この国の花火は――」
「うん。だから、反逆罪でその花火師は殺された、って聞いたよ」
「……かわいそうにね……」
「これからは、そんなバカ気た事で人の命が殺められたりしないんだ」
 最後は呟きに似た夫の言葉に、妻は頷き、無邪気にはしゃぐ我が子を見、自分に迫ってきそうな程明るく輝く花火に目を戻した。

「うわっ、誰や、この花火作ったの。盆がいがみまくっとるやないか」
 発火スイッチに手をかけ、時計でタイムスケジュールを確認し、二方向からモニターした花火、客席を映すモニターを見る、という忙しさの中で煙草をふかし、悪態や賛辞を(殆ど悪態だが)容赦なくぶちまける初老の男がいた。
「え? あれは……」
「ああ、ええ、ええ。林田やろ。想像つくっ。お小言は後や後!」
 言いつつ、花火の発火スイッチを入れ、傍らの灰皿においていた煙草を銜える。
 十五分という、「花火大会」としては短いが式典のおまけとしては長い時間。
 全てを一任された日下部勇は、ありったけの予算をぶんだくり、自分の我が儘を知り尽くしているスタッフ、可能な限り便利な機器を取りそろえ、場所、演出までを手がけて今日を迎えた。
 このショーが成功かどうか――最後までやってみないと判らないが、少なくとも現段階では観客達の表情に確かな手応えを感じていた。
 仕掛けさえ作ってしまえば、本番はタイミングを見計らって発火スイッチを入れるだけで問題ない。
 四度目のスターマインを終え、滞りなく上がる花火の音を体で感じながら、日下部はこの花火大会の地形に幾度か過去に引き戻されそうになる。その度、モニターを見、横にいる今では右腕となった高村に適当な口を利いた。
 本番の時に怒っているとも聞こえるガラの悪さで日下部が話しかけてくるのはいつものことで、高村は親方のそんな様子に、楽しいことにはしゃぐ子供の姿を重ねて妙に幸せな気持ちになるのだった。
 芸のない単色の丸い花火しか知らないキタニンの人々に対するサービスか、日頃はそんなに使わない型物の花火も飛び出す。
 丸、二重丸、ハート、蝶々、鼓……。湖岸いっぱいに広がる観客それぞれに判りやすいように開発の方向を変えて複数放揚する。その度毎に歓声と拍手が上がる。
 一度消えた光の先できらきらと快い破裂音と共にきらめくさざなみ菊。
 同心円を三重に、華やかな色が広がってゆく八重芯。
 一つの玉にいくつもの小玉が咲く千輪物。
 散った花弁が柳のように地に届かんと光り続ける冠(かむろ)物。
 花弁が蜂のように音を立てて飛び回る半割物。
 チタン合金を使った葉のように花弁が広がる椰子。
 時には続けて、時には孤高の空に大きく、広い湖上を生かして交差して、華やかに空を染め上げていく。
「高村」
「あ、はい」
 モニターを真剣に見ていた高村は日下部の何度目かの呼びかけでようやく我に返った。
「生で見たいんやったら行ってもええで。その代わり、誰か代理の若い奴連れて来い」
「え――ええ!?」
 今まで聞いたこともない親方の言葉に、高村は我が耳を疑い――日下部の精神を疑った。
「あとはラストのスターマインとお見送りだけや。お前には長いこと世話になったし、ほんのお礼や」
「……んな事言うて、引退する気やないでしょうね、親方! そんなんやったら、俺は行きまへんで! 親方にはまだまだやってもらわなあかん事あるんですから!」
「ほお……例えば?」
「例えば――で、弟子の養成とか」
 高村が口元で言葉をすり替えたのを気づいてか気づかずか、日下部は一瞬口を歪ませた笑いをつくり――目を三角にした。
「だあほ! 弟子の養成なんかを何で俺様がせなあかんねんっ! 会社に勤めとったらもう退職して悠々自適な生活送っててもおかしない老人捕まえて、そんな面倒くさい事させんなっ!」
「は……はいっ」
「そんな暇あったら自分の好きな花火つくって、演出考えて打ち上げる」
「今までと一緒やん……」
「何か言うたかあ
「え、いえっ! ――じゃあ、お言葉に甘えて……何かあったらトランシーバーで呼んでください」
「おう。あと一分やぞ」
「はいっ!」

 将軍を頭とした国・ニンは四方を海で囲まれている、という地形を生かして海外諸国との交流を最小限にとどめることでその政権を安定させてきた。
 しかし、安定した政治は停滞と淀みを生じ、気が付くと四方から敵と化した外国がニンを狙っている小康状態を作り出していた。
 特に、面積広大で国力強力な軍事権力の強い北の国アーシは諸島を経ることでニンとの接触が比較的たやすい事から、ニン国内が開国か戦いかで内部分裂している隙を見計らって侵攻を行った。
 ニンは政治権力を持つ将軍の他に人事政権を持つ天皇という存在を持つ奇妙な政権の分離があった。
 将軍政府はその実務地を天皇の住む「都」トヨキと異なる東北の地に持ち――結果、アーシからの侵攻から「ニン」を救うべく、国は二つに分断された。
 明確な区分けのない分断だったが、一九一四年、アーシの侵略の影響が少ない南地方がニンのほぼ中央にあるヒヅ山脈に沿った形で国境を設け「南ニン」として独立国の名乗りを上げた。
 結果、取り残された北部は自ずと「北ニン」と呼ばれたが、独立国としての体裁を形成することが出来ず、アーシの属領として憂き目に遭うこととなった。
 望まぬ侵略。ままならぬ権力。搾取されるだけの目標のない生活。
 アーシに北地方を与えることでさっさと自分達だけ独立国として名乗りを上げた南ニンに対する恨み。羨望。
 そして、そのうちそんな気力さえ失って、まるでずっとアーシの属領だったかのような無気力な形だけの政治が成立していた。
 国民総貧民。
 そんな泥濘にもにた北ニンに、ある日一人の男が立った。
 豊国大介。
 北ニン国民とは思えない尊大な態度、人を引きつける話術。明るさに満ちた制約とそれを施行する実行力。
 北ニンの人々の心が一つになった。
 北ニン、独立。
 アーシ侵略から四十年後のことだった。

 「本気か?」
「本気じゃなくてこんなところまでわざわざ足を運ぶかよ」
「あんたぐらいのご身分だったら、このまま北ニンにいた方が幸せじゃないのか? 南に行ったってなんのコネもないんだろ? なかなか裸一貫の身にはつらいぜ、資本主義、ってやつは」
「裸一貫じゃねえぜ」
「知り合いでもいるのか? なら、まずはそいつに連絡した方がいい。南の方からも出迎えがあれば成功率は格段に上がる」
「知り合いなんかいるわけねえだろ」
「……でも、いま裸一貫じゃない、って……」
「俺には、何処に行っても通用するだけの腕がある」
「……」

 北ニンがかろうじて独立を勝ち取ったとき、南ニンは自由経済と風通しの良い政権から国力を備え、世界的に認めてもらえるようになり、先進国の一つとして名乗りを上げるほどになっていた。
 それでも、と人々の夢を乗せた豊国代表が形成する北ニンは、しかし、アーシを後ろ盾とした、独立政権であった。
 属領としての虐げられた日々に比べればそれでも改良された、と言えなくもなかったが、鎖国時代の封建制、共産制を建前としたきびしい年貢制度、経済的・政治的な見通しの悪さ、世襲制による就職の不自由、平民が最下級の身分制度など、分国前のニンよりも一般国民にはつらい日々が待っていた。
 当然、そんなひずんだ政治には反対勢力が生まれる。
 だが、アーシの充分な後ろ盾を得ている軍隊と警察はその勢力の拡張を許さず、次々と政治犯を強制労働員として捕獲していった。
 集会一つ開くにも誰にもわからぬ暗号をひそかに回していく人々。
 そんな人々の存在を知りながら加わる事もできず辛い日々を耐え忍ぶ人々。
 そんな人を密告する事で自分の生活を少しでも楽にしようとする人々。
 あらぬ疑いで罪を受けるもの。
 そして、命をかけて亡命するもの――

 「あんたみたいに政治犯じゃない人間は逆に逃がしにくいんだ。いつ裏切られるともしれない」
「安心しろ、って。日が決まればそれに合わせてとんでもない不敬罪しでかしてやるから」
「……演説でもぶつのか?」
「そんなのは政治家思考のおえらいさんにまかせりゃいい」
「……じゃあ、どうするんだ?」
「俺が何者か、判って訊いてんのか?」
「何者、って……」

 しかし、豊国代表の飴と鞭の政治に、多数の国民は自分の置かれている立場に気づかず、代表に心酔していた。
 共産主義と銘打ちながら、政権と資本を独立しているであろう豊国代表の矛盾を大声で指摘するものはいなかった。
 二〇〇〇年、豊国大介死去。すでに政鞭を振るっていた豊国浩一代表が立つ。
 国を上げての葬列、そして権継式。
 豊国代表の生誕記念、北ニン独立記念日、月一回の国民総裁――その度に首都キエト、カナエ湖岸の記念塔(パゴダ)に、息苦しくなるほどの人が集まった。
 皆、豊国代表の名前を呼ぶ。
 国旗を、国民手帳を、大きく引き伸ばした写真を、看板を、振る。振る。振る。
 豊国浩一代表の既に胴にいった弁舌は更なる興奮を呼ぶ。
 暗くなっても去らない人々をたたえるように、湖面に花火が咲く。
 ニンでは鎖国時代に他国とは異なる緻密な作りの花火技術が発達した。
 特に北部に職人が多かったためだろうか。北ニンでは事あるごとに花火を上げた。
 赤い――深い赤色の花火。
 北ニンの、明らかにアーシの影響を影響を受けた国旗の、国民手帳の、象徴の色。

 「お前か。北から来た、って奴は」
「今の、しゃれかよ」
「何抜かしとんねん。なんか、修行しに来たらしいけどな、あんな芸のない花火、数に任せて上げるような花火師はいらんのじゃ」
「なんだよ。実際の腕の試しもなしに、適当な噂だけで人を判断しよう、ってのか? おえらいもんだな、南の方は。芸がないからこそ、一寸の狂いも許されねえ。そんな細かいところには目を向けておられないのかな」
「お、お前……!」

 代表が変わる事で少しは楽になるかと期待された平民の生活はいっかな向上の兆しも見せなかった。
 人々はそんな状況が異常であることにようやく気づき始めた。
 二〇二八年、豊国浩一死去。
 次代表として豊国勇次が立つも、クーデターが起き、代表制はなし崩しとなる。
 二〇二九年、ニンの堀埋め立て。
 新聞のトップに、テレビのニュースに、山を越え、堀を超えた南北の人々が抱き合う様子が映し出された。
 二〇三〇年、ニン統一。
 南ニンの首都、メヒオを首都として百十六年を経てニンは再び一つの国となった。
 資本主義国としての再出発にあたっては南北の貧困の差、アーシとの微妙な関係、北ニン国民の適応等不安要素は数多くあったが、これらを乗り越えてやってくるであろう明るい未来に人々はわきかえっていた。
 統一の祭典があちこちで行われる。
 メヒオは当然ながら、キエト付近でも人々が集い、様々なイベントが行われた。
 今までとは違う明るい笑顔がパゴダの前に広がる。

 「取材?」
 統一イベントに向けて最後の追い込みで気が立っている日下部の元に、宅経新聞から電話があった。
 若い、しかし芯のある女性の声が自分の身分を語った後、日下部に取材の依頼を申し出た。
 ――はい。今度、ニンの統一を記念して、弊社で「北ニンの百人」という特集雑誌を発刊することに決まりました。そのお一人として日下部さんに取材をさせていただきたいのです。
「北ニン……って……」
 ――日下部さんが二十一年前に北ニンから南ニンに亡命されたことは存じ上げております。
「――そんな、亡命なんてやっとった奴なんか、ゆうに一万はくだらんやろ。こんな一介の花火師に何を取材するんや」
 ――今度、統一イベントの花火、キエトのカナエ湖岸十五万発放揚されるそうですね。それと、以前は南ニンの大きなイベントの花火を主に仕切っておられたと聞き及んでおります。
「……」
 全く、新聞屋、って奴は……。
「親方ー! 来てくださいー」
 作業場からせっぱつまった声が聞こえる。
「そんなん、他のやつにしたらええやろ! このクソ忙しい時に、こんな電話かけてくんな!」
 ――ま、待って下さい! そ、その、花火の話でいいんです! 北ニン、南ニン、そんな事とは関係なしに、ただ、花火を上げ続ける日下部さんのお話を伺いたいんです!
 慌てた貴社の口調に、日下部は遠い記憶の一部が引きずり出されるような気がした。
「親方ー!」
「……」
 ――取材の方は当然イベントが終わってからにさせていただきます。詳細な日程についてもイベントが終わってから、こちらからお電話させていただいて、日下部さんの希望に添わせていただきます。
「……」
 ――日下部さん?
「……判った」
 ――承諾していただけるんですね!
「判った判った。そやけど、今はそれどころやないからな。イベントが終わってからや。ええな」
 ――は、はい。
「ほな、それからや」
 まだ何か言いたげな記者の口調に気づきつつも日下部は電話を切った。

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