青い夢で (8)

 その9 トップ 創作世界

「――あれ? あれあれ? 私、死んだんじゃなかったっけ?」
 滅法明るく、アケミはった。
 その姿は死の直前のやつれた姿だったが、顔色は悪くない。食欲があればあと10年ぐらいは生きていけそうである。
「ああ、死んだ。――けど、どうしても話をしたくて、魔人に合わせてもらった」
「……あー。そっかー。そういう事かー。っていうか、そういう願い事しちゃったかー……」
「生き返らせる気はなかった。ただ、話をしたかった。君が亡くなって――亡くなったからこそ判ったことがあって……それを共有したかった」
「――。……いやもうやめてよ、そういうの。もう一回生き返りたい、って本気で思っちゃうじゃない」
「俺だって、こういうのは本意じゃない。現実に目を向けて足を踏み出さなきゃいけないと思ってた」
「――」
 夢。
 夢でいいからアケミに逢いたいと望みを口にした。二つ目の、望み。
 夢だから、自分の脳内の都合のいい姿のアケミかもしれない。自分が見たい風景しか見られないかもしれない。
 夢だから、一晩だけで消えてしまう。割り切ってしまえる。
「――で、ここはどこなんだ。というか、何でここなんだ」
 なつかしの高校の門。現在は改装されてこの門は存在していないはずである。
 毎日夢に見ていたころ(その頃は夢を見ていたことすら覚えてないのだが)は気にも留めてなかった。ただ、あの桜はまだ今も残っている。
「いいじゃない。素敵じゃない! 私たちが出会った、何十年と見続けた風景よ。――ってもしかして……夢を見続けてた、って……」
「――ああ、種明かししてもらった」
「そっかー。口止めするお願いはしなかったからなー。――で、ハルキは魔人さんに何をお願いしたの? ハルキだったら何をお願いするかなー、って色々考えるのが楽しかったのよ! でも、私がそれを知ることはできないし、そういう意味ではこんな風に再会できてよかった!」
 わかってはいたが、アケミのこの明るさは何だろう。
 アケミと再会できて嬉しくない訳じゃないのに、アケミのテンションの高さに自分の気持ちが追い付いていかない。
「でもハルキ、って慎重派だからなかなかお願い言ってないんじゃない? 今って魔人さんに逢って何日目? もしかして何か月とか経ってるの?」
「いや――まだ3,4日かな。魔人にあの手この手でせかされてな。なかなかのやり手だな、あいつは。俺に何か野望があればうまく使って叶えてもらったかもしれない」
「あら、野望なんて――今から作ればいいじゃない。それとも、もう三つの願い言っちゃったの?」
「いや――アケミに逢って話したい、っていう願いは二つ目だ」
「一つ目はなんだったの?」
「質問に答えろ」
 ハルキの返事にアケミはプッと噴き出す。
「何それ!? ハルキらしい!」
「――お前の『一生私の話を聞いて』よりましだと思うぞ」
「……あー、私の願い、聞いたの?」
「ああ」
 そっかー、とアケミは花壇に腰かける。次の言葉を探して、花壇の隅の小さな雑草を抜く。
「残念ながら魔人の方から期間を区切られてな。多分誰かさんで懲りたんだろう。たったの一週間だ。まあ、世の叡智すべてを身に着けるつもりはないから、さしあたってはそれだけあれば知りたいことは足りるだろう」
「世の中の謎をすべて解き明かすような質問してみれば? それでノーベル賞もらって一攫千金よ?」
「それなら最初から宝くじでもあたるようにしてもらったほうがいいだろ。基礎知識もないのにノーベル賞取っても後で取り繕うのが大変だぞ」
「そこはそれ、じゃあ頭を良くしてもらう、ってことで!」
「――なら、アケミがそうすればよかったんだ」
「えー、そんなのつまんなーい」
「……」
 相変わらず、死んでも相変わらずハルキをおもちゃにするアケミの態度にハルキは絶句する。
 その一方で、心のごく一部が安堵する。
「三つ目のお願いは? 決まったの?」
「いや――」
 言いつつ、アケミの横に腰かける。
 誰もいない風景に目を向ける。
「何で――」
 何で。
 一番言いたい問は明確な言葉として喉元まで出ているのに、ひっかかって出てこない。
 何で。
 言ってしまえば、そこで終わってしまう気がするから。
 終わってしまう。
 何が。
「――『何で?』」
 せかすほどのない間をおいて、アケミが訊き返す。
 そのまま言ってしまうことも、そっぽ向いて返事せずにいられることもできる、ハルキの行動を読み切った間で。
「何で自分の病気を治そうとしなかったんだ?」
 言っても仕方ないのは判っていた。でも、言いたかった。そんなカードを持っていると知っていればそうしろと言っていただろう。
「自分のために使いたかったの」
「いやだから、自分のために、病気を治して、もっと一緒に――」
 それ以上言えば、言葉と一緒に涙まででそうになったので、く、っと喉で言葉を止める。
 一つの目のお願い。私の話を聞いて。
 二つ目のお願い。死ぬまでこの幸せを続けて。
 そして……三つ目のお願い。
「何で、魔人の存在を俺に言わなかったんだ?」
「うーん、なんでだろ?」
「……」
「何となく?」
「……」
「私のお願いを横取りされたくなかった――訳でもないし……他の男(?)の存在を知ってハルキがやきもちを焼くと思った――のもちょっと違うし……」
 ちょっと違わない。実は。でもそれは認めるのが悔しいのでツッこまない。
「――女はミステリアスな部分があったほうが魅力的なものよ」
 どうせ自分でもよくわからなくなってそんな適当な言葉でまるめこもうとしたのだろう。しかし出した結論が的外れすぎる。
「うわー、うわー、似合わねー」
 生涯最大級(と言ってももう死んでるが)のドヤ顔を即座に否定され、アケミはむくれて怒る。
「もー、何よー! 一回ぐらい言ってみたかったのよ、そんな科白!」
「はいはいはい、死んで願いが叶ってよかったね~」
「あ、ホントだ。死んでまで自分の望みを叶えるなんて、私って、すごくない?」「うむ。まあな。ミステリアスな女よりよっぽど珍しい」
「――」
 さすがにハルキがほめてないことに気づき、アケミは黙る。
「――俺、本当に、アケミに逢えて、つき合って、夫婦になって、よかったと思う」
 なんとなく漂う沈黙の中、ハルキはポツリとつぶやいた。
 感動してもおかしくない言葉に、アケミは胡散臭げな視線を投げる。
 視線を感じて右を見て、その視線の冷たさにハルキは絶句する。
「――何でそういう表情になるんだよ。何も裏はないぞ」
「いやその……ガラじゃないから……」
「……まあ、な……。……でも、今言っとかないともう言う機会もないから……」
 本当はまっすぐにアケミを見て続きを言いたかったが、それはできなかった。
「失うことが判って、その大切さに気付いた。つもりだったけど、失って、更に思っていた以上に大切だった、ってことにきづいただけだ」
「――」
「それを伝える機会を作ってくれたアケミに感謝してる」
「……もしかしたら、もしかしたらハルキは私を生き返らせるかもしれない、って思ってた。それはそれで嬉しいんだけど、それは違うな、と思ってて――もしそうなったら、私は以前のようにハルキに接することができるか心配だった」
「――」
「でもそこまで心が折れてしまっているのなら……その願いを叶える事は無駄じゃない、と思った」
 アケミはそこでひと呼吸おく。
 ハルキは何も言わなかった。
「――でも、ハルキはハルキで――私の思っていたような、私の希望まで叶えてくれるようなお願いをしてくれた」
「私の希望?」
「あら、言ったじゃない。ハルキが魔人さんにどんなお願いするのか気になってた、って」
「――まだ三つ目の願いは言ってないぞ。無茶苦茶せかされてるがな」
「え? そうなの?」
「あれは多分、お前が魔人に期限を切り出す前に『一生のお願い』をしたからだな。それであせったんだ」
「あら、まあ……ごめん……なの、かな?」
「いやまあいいさ。元々、そんな三つの願いを叶えてもらえる大特典なんて存在しなかったんだから。それこそ宝くじに当たるよりすごい事だ」
 すっきりした表情のハルキの横顔を、アケミは懐かしいものを見るように嬉しそうに見つめる。
 その視線に気づき、ハルキはアケミを見る。
「どうした?」
「え、いや、その……ヤヨイの結婚の話、聞いた?」
 唐突な話題の振り方ではあったが、これも気になっていた案件だったと口にしてアケミは自分で気づいた。
「ああ。……赤ちゃんができたことも……アケミにはぜ~んぶ話してたことも聞いたぞー!」
 最後はガオー、っと襲う風に言う。
 アケミはキャー、と大げさに怖がるふりをする。
「何で俺には黙ってたんだー!」
「だって、だって、ハルキ、きっと怒るでしょ? 私が病気なのに~、とか」
「……それは否定できないが……。仲間外れの方が辛いじゃないか。アケミが生きてる時に言ってくれれば……まあちょっと不謹慎だ、とか怒ったかもしれないけど……一緒におめでとう、って言えたじゃないか……」
「……。ごめん。ハルキの事、甘くみてた」
「――……そこはそういう表現なのか?」
「え? ん? 過少評価してた? かな? ……ん、まあ、そうだね……。生きてる間だったら、フォローできたもんね。ヤヨイには怒ったの?」
「いや。怒る元気もなかった」
「……良かった」
 その時は、怒る元気もなかったけど、今はそれなりに元気になったんだ。よかった。
 そうして、話題は周囲の人々の話になる。通夜に、告別式に来た人。電話で連絡した人。
 そういえば、あのサッカーチーム、今期は優勝したの? まだシーズン終わってないよ。なんで判ってから会うようにしてくれなかったのよ。なんだよそれ。
 ヤヨイにお母さんなんてつとまるのかねえ。あら私でもいけたんだから大丈夫じゃない? アケミの料理のまずさを引き継いでないか心配だな。え、何それ。いつもおいしいおいしい言ってたじゃない。愛情ふりかけがあったからな。……。
 話は尽きない。
 しかし終わりは来る。
「――三つ目のお願い、決まった?」
「いや。まだ考え中。……これぐらいは秘密残しておかないとな」
「ちぇ~」
「……アケミの三つ目のお願い……」
「――ん?」
「あれ、一つじゃなくて、二つだろ?」
「……ん~、そう? 一つでしょ?」
「……お前、本当、そういう所は頭いいよな。あれ、多分、魔人も気づいてる。二つだ、って」
 そんなところまで気づいてしまうハルキが愛しい。そんな風に、のろけるみたいに自分のことを褒める時はあの頃の、毎日夢で見ていた出会ったころのような口調に戻ってしまう事も愛しい。
「どっちでもいいのよ。叶えてもらったんだから」
 アケミはにっこり笑う。その姿が薄れていく。

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