青い夢で (7)

 その8 トップ 創作世界

「お前の夢を三つ叶えてやろう」
 年頃の女子高生の部屋に突然現れた不法侵入者。
 筋肉マッチョの半裸の男は青黒い肌をし、頭に宝石のついたターバンを巻いていた。
「――!? もしかして、魔人? え? でも私、魔法のランプなんて拾ってないしこすってないし、恩返しされるようないい事もしてないし、っていうか、私ばっかりいい事あって更に願い事叶えてもらえるなんて、これ以上ないラッキー、って――え、もしかして、私、明日死んじゃうの? いやだー、そんなのー!」
 一気に話して騒ぐアケミを、魔人は我慢強く待っていた。ベラベラとまくし立てるその言葉のどこかに叶えて欲しい願い事は含まれていないかとしっかりと聴いていた。なかった。
「そんな予定はない」
「え――じゃあ、何で私のとこに来たの? 私なんかいい事した?」
「偶然、無作為に選ばれただけだ。裏はない。あとで何かを請求することもない。安心して願いを言うがいい」
「え?ホントに? じゃあ聞いてくれる!?」
「何をだ。聞き届けるためにはその望みを口にしなければ――」
「今日ね、ハルキが、私がハルキのことを気にしていたみたいに、いや、私程じゃないけど、入学式のこと、ちゃんと覚えてくれたのよ!」
 ――「聞く」というのは。
「あ、ごめんまずはちゃんと説明しないとダメよね。ハルキにもよく言われるのよ『アケミは自分の頭の中のことを誰もがのぞいてられると思ってるのか? 話す、っていう伝達手段は明確に目的をもって順序立てて使わないと意図したものが伝わらないんだから、もっと整理した内容を伝えろ』って。もー、何よ、えらそうよね! ちょーっと賢いと思って! でも悔しいけどその通りよね!」
 ――「望みを言うから聞く」のではなく。
「つまり、ハルキ、っていうのは私の彼でね。――うふっ、彼♪ 正式に告白されて付き合ってから四か月と十一日なんだけど、入学式の時からちょっと気になってて――あ、でも別にかっこいい、っていう訳でもないんだけどね? 芸能人にしたいイケメンでもないし、芸人になれそうなヘン顔でもない、フツーの顔で。性格もどちらかというと地味だし、インドア派だし――」
 ――「今から言う私の言葉を聞きなさい」ということで。
 一つの願いにカウントされたのである。

 夕食後の電話で友人のサユリにさんざんのろけ話をきかせたというのに、同じ内容なのに、否、今この瞬間にも先ほどしゃべったことを繰り返す。
「聞け」と言っただけで、答えろともツッコミを入れろとも相槌を打てとも言わなかった。ベッドに横たわるクマのぬいぐるみのようにただいるだけでいいらしい。ならばクマのぬいぐるみに話しかければいいのではないか?
 難易度からすると人間にでもクマのぬいぐるみにでもできるたやすく叶うことのできる望みである。
 お風呂上がりの火照った顔が乙女の顔になり、それが延々一時間。
「――あ、明日の準備をしなくちゃ。あー、明日小テストか……電車で頑張るかー」
「お望みならテストでよい点を取るようにしてやるぞ」
「ううん、テストはいいの。それより、この私の幸せ、ずーっと続くようにして!」
「ずーっと……ずーっと、とは――」
「死ぬまで!」
 期限を切る前にアケミは満面の笑みで言い切った。
 そうして、二つ目の願いはカウントされたのである。

「お前にとっての幸せは何だ」
「あら、魔人さん、ったらえらく難しいこと言うのね。ハルキみたい。魔人さん、って理屈っぽいの?」
「そうではない。お前にとっての幸せが何なのかが判らなければ何をもって『望みがかなえられた』とするのか決められない。だから訊いているのだ」
「なるほど、そういうこと。……うーん……幸せ。幸せねえ……自分で言っといてなんだけど、難しいわね……」
「……」
「こう、なんていうか、ぽわ~ん、というかふぁ~、って言うか……」
「……」
 魔人は無表情に、見ようによっては我慢強く、アケミが具体的な答えを出すのを待っていた。
「うーん、少なくとも今の私は幸せ。それは間違いないんだけど……」
「時間を止めることはできない。お前の時間を止めることは可能だが、それではお前は自分を世界を認識できない状態になる。それは望む形ではないだろ」
「うーん、眠ってるみたいな感じ? それは確かに違うわね……。ごめん、具体的にどうするかは考えさせて!」

「ハルキ、幸せ、ってなんだと思う?」
「補習受けずに済む程度に勉強ができる事じゃないか? 手が止まってるぞ。アケミに足りないのは勉強量と集中力だ、って言ってるだろ? 俺だって別に特別頭がいい訳じゃないけど努力して点数出してるんだ。アケミもやってできる子になれよ」
「……」
 高校の自習室。カップルで勉強とは羨望の的であるが、ハルキはそれを喜ぶ余裕も、周囲の視線を気にする余裕もない。
 まだ高一とは言えテストで赤点出して補習を受けるレベルの学生なら成績を伸ばすため努力するしかない。
 アケミの家族は勉学に関しては放任主義を決め込んでいるのか、塾や家庭教師を進める気はないらしい。
 勉強嫌いのアケミが自分からすすんでそんなところへ飛び込むわけもなく、業を煮やして平均よりちょっと成績のいい、世話好き(本人は認めていないが)のハルキがアケミの勉強を見ることになっていた。
 自習室が閉まればご褒美にスイーツやおごらされる、というハルキにとっては踏んだり蹴ったりのコースである。しかもアケミにはやる気がない。
「勉強した成果がテストの点数となってきたら幸せだぞ。ほら、手が止まってるぞ。その単語、さっきやっただろ」
「本当に私バカなんだなあ、って思う。何で覚えられないんだろ」
「バカというか、自分に甘すぎて勉強しなくてもいいと思ってるんだろ? 興味があることは覚えられるんだから、思考の向きを変えてやればちゃんと覚えられるんだから、努力しろ。そうすりゃちゃんと自分に返ってくる」
「――私が勉強出来たら、ハルキはうれしい?」
「……」
 甘さなど全くない、容赦なしの言葉を浴びせたつもりなのに、アケミの嬉しそうな視線を受けて、ハルキは面食らい、思わず視線をそらした。
「うれしい?」
 アケミは更に距離を詰めてくる。
「……まあな。俺の努力も無駄じゃない、ってことになるし……」
「『し』?」
「――先の話だけど、同じ大学とか行けるかもしれないし……」
 語尾は殆ど聞き取れないほどの小さな声。
「――ん。判った。もうちょっと頑張る。で、この問題?」
「お、おう。判ればいいんだ」

「私、ハルキと一緒にいるのが幸せ。で、その事を忘れたくない」
 部屋に入るなりアケミは魔人に言った。
 まだ「話を聞く」の願いは続いているのかは不明だが、アケミは言った。
 願いの内容として「相槌を打つ」「感想を言う」などの反応は含まれていないので、果たして積極的に願いとして叶えているのかどうか怪しいところではあるのだが、アケミはお構いなしに話しかけてくるので、遮りさえしなければ「聞いている」ことになるのだろう。
「忘れてしまうのか?」
「――人間の脳の容量は限られているのよ? 不要と思った記憶は殆ど淘汰されてしまう。ハルキとの思い出が不要な訳じゃないけど、どんどん思い出が増えていけばどんどん忘れていく。仕方ないけど、それが嫌なの」
「ならばどうする。脳の容量を増やすのか。思い出を抽出してビデオでも作るのか」
「あら、そんなことできるの? 私の思い出をビデオに?」
「やったことはないができるだろう」
「それはそれで欲しいけど、見てる時間がないわ。クラブもあるし、一応勉強もしないといけないし……」
 アケミは考え込む。
 魔人はまだ対案はいくつか持っているのだが、アケミからの要請があるまでは口を出す気はなかった。
「そうよ、睡眠学習よ!」
 ポン、と手のひらをグーでたたいてアケミは言った。絵に描いたような「アイデアが浮かんだ姿」である。
「寝てる間に過去の夢を見ればいいのよ。夢だと忘れちゃうかもしれないけど、幸せは絶対残るわ。そして迎える最高の気分の目覚め。やだ、私、ってば天才じゃない!?」
 キラキラした目で見つめられても魔人は応えようがない。
 ハルキがアケミのこの科白を聞いていたらツッコミ放題である。
 まずは「睡眠学習、ってのは勉強する事だろうが! いったい何の勉強になる、っていうんだ!」というあたりから始まるだろう。
 しかし魔人は望みを叶えるのが仕事。ツッコミを入れる事は望みに含まれていない。
「では一日のダイジェストをその日の夢にしよう」
「うーん、それも悪くないんだけど、私の中のプレミアムな思い出をリピートしたいのよね……」
 注文の多いマスターである。
「しかもその素晴らしさはとびっきりじゃない? 可能ならほかの人にも共有させてあげたい! 特にハルキ!」
 注文が定まらないので魔人は待つ。魔人には「限られた時間」は存在しないので慌てる必要はない。
「あ~、でもハルキには魔人さんの存在は知られたくないなあ。何か私の望みに口出しされそうだし――」
 魔人は待つ。
 魔人がいようが、いようまいが、アケミは一人で思った事を口に出すタイプなのではないか。
「いやな訳じゃないのよ? 言う事がいちいちまっとうで気に障るのよね。それがまた私のこと気遣ってるのが判るから、こちらとしても反論しづらくて……。お母さんよりお母さんっぽいっていうのかな」
 その証拠にアケミがこれだけベラベラ喋る続けているのに家人は全く不審がる様子がない。
「魔人さんがいて、何か私がお願いしてこうなった、って叶った夢に対していい顔しないような気がするのよね……」
 そしてその話はほとんどがハルキへののろけめいた話で終わる。いや終わらない。
「自分の力で今の自分はあるんだー、みたいなプライド持ってない? 男子、って。そういうの嫌いじゃないけど、それは違うでしょ、って指摘したらそのあとが面倒臭いのよねー」
 そう言ってアケミは黙り込んだ。
 魔人は続きの言葉を催促することもなく黙って待つ。どのみち二つ目の願いの力でこのマスターには死ぬまで付き合わなければならないのだ。
「――よし、決めた! じゃあこうしよう! 私の二つ目の願いは――」


「――で、アケミの夢に関係者が繰り出され、毎晩夢を作ってはアケミ以外はご丁寧にそれを忘れるという手間なことをしてた、ってことか」
「ああ」
 一人でコーヒーを飲むのも気まずいような気がして、ハルキは魔人にもコーヒーを入れた。
「コーヒーでも飲め」とうっかり言ってしまえば二枚目のカードを切ってしまうので、「コーヒー飲めるのか?」とだけ聞いた。
「飲食は必要ないが、摂取は可能だ」ということで世にも珍しい「コーヒーを飲む魔人」を目の当たりにすることになる。
「本当に万能なんだな、アンタは。――自分で、その力をどうにか自分のために使いたいと思った事はないのか?」
「願いが、ない者に力を使う必要はない」
「――今まで逢った人間の中で、願いを言わなかったものはいなかったのか?」
「いない」
「……叶えて欲しい願いがなければ立ち去ることを願いにすればいいだけか」
 なかなか願いを口にしない自分に、あの手この手で願いを言わせようとしていた手管を想い出す。
「あんたの能力を使って有名人や金持ちになるなんて、た易いことなんだろうな。そういう事を望む人もいたのか?」
「覚えておく必要はないから、覚えていない」
「――覚えていないのか? 願いを言わなかった者がいないことは覚えているんだろ?」
「覚えてはいない。望みがかなえられないならば次のものへは行かない。私が今ここにいるということは、叶えられなかった望みはなかった、ということだ」
「――なるほど……。忘れるのか? 覚えてないのか?」
「覚えない。覚える必要がない」
「――でも、アケミのことは覚えているんだろ?」
「ああ」
 沈黙。
 そして、魔人はコーヒーを口にする。
 ――いったい、どういう生き物なんだ。
 退職し、妻を失い、娘はもうすぐ結婚。孫も生まれる事だろう。
 こんな普通の覇気のない老人ではければ「魔人」の存在に好奇心を刺激され、魔人と活用することも含めて無限の可能性に心ざわつかない訳がない。
「どうして、自分がヒトの願いを、しかも三つ叶えなければならないのか、なぜそれだけの能力を持っているのかも――知らないのか」
「ああ」
「知りたくないのか?」
「知る必要はない」
「――なんでそんな姿なんだ? 普通の人間を姿を取ることはないのか」
「姿を変える事は可能だ。お前が望めばどんな姿にでもなれる」
「どんな姿になってもらっても――……。ああ、必要ない」
 また言質を取られそうになった。本当に油断も隙も無い。
「人が望みを叶えてもらうにふさわしい姿で出没するのではないか。説明する手間が省ける」
 ハルキがうっかり願いを口にするのを待ったが、「必要ない」と言われ、ひと呼吸ついて魔人が考察を述べた。
「――まあな。この国じゃあ、いや、他の国もか、その姿で出てくる魔人のやることはヒトの願いを叶える事と知られている」
 カップを持ち上げて、その中が空なのに気づく。「コーヒー飲みすぎよ」と注意する妻はいないが、何となくおかわりはやめることにする。
「――で、俺の次は誰の望みを叶えに行くんだ?」
「決まっていない」
「ランダムなのか。それにしちゃあ、今回はえらく近場で活動したものだな。死別の場合はすぐ近くに出没するルールがあるのか?」
「そんな決まりはない」
「なら、何故――」
 何故。
 ハルキは自分の次の問いの答えを想像し、その答えが自分の考えと合致することに軽く怯え、口にすることに一片の勇気を振り絞る必要があった。

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