青い夢で (6)
夕食はヤヨイと共に外食で済ませ、、電気のついていない部屋へ帰ってきた。 「ただいま」 「おかえりと言って欲しければその願い口にすれば良い、そうすれば願いは聞き届けられるぞ」 「――別にお帰りと返して欲しくて言ってる訳じゃない。単なる習慣だ。――というか、それより、人の会話きいてゲラゲラ笑ってどういう了見だ! 会話に集中できんだろうが!」 「ならば、人の会話をきくな、もしくは笑うなと望みを口にすればよい。そうすれば願いは聞き届けられるぞ」 「……本当にセコいな……」 「一日経って何の願いも口にできないお前の方が器量の狭い男だと思うがな。望みがないわけではないだろう。願いは口にしないとどんどん腐っていくぞ」 「そんな話は聞いたことないぞ」 「善は急げというではないか」 「善なのか? 善悪関係なしに夢を叶えるんじゃないのか?」 「夢を口にする者にとっては善だろ? 夢を叶えるのに第三者の善悪の判断などいちいち気にしていては叶う夢も叶わんぞ」 「叶わないのか?」 「いや、叶えるけどな」 「――叶えるんじゃないか」 「さあ、そんなことはどうでもいいから、さっさと願いを口にするがいい。この優柔不断マンめ」 「誰が優柔不断マンだ。単に慎重派なだけだ」 「いうつもりがないなら『黙れ』『何もするな』――」 「それは聞いた。もういい。明日考える」 「善処しなさい」 「――お前の方が俺にいろいろ言ってくるよな」 「うむ。そうかもな。しかし、お前は全く俺の望みをかなえてくれないがな」 「……それもそうか」 三つの願いを叶えれば、この魔人は姿を消し、再び一人の日が始まる。 妻を失い、凹んだ心が、この気に障る魔人との会話で少し戻ってきている事を、ハルキは自分で認めざるを得なかった。 たった二日だが、魔人の存在は思った以上に大きくなっていたようだ。 夢を見た。 話を聞いただけのヤヨイの彼に逢う夢だった。何故かもう亡くなった筈のアケミも同席していた。 未来の婿の顔をかなりまじまじと見つめ脳内に焼き付けた筈なのに思い出そうとしても思い出せない。 ――夢、ってそんなものだよな。 部屋の隅で、というより扉の前に腕組して待ち構えて待っている魔人が視界に入るも無視をする。 願いの件は一旦保留と決めている。自分自身、何を望んでいるかよく判らない。 何でこんなタイミングで来たんだ。 これが十日前なら、第一の願いは決まっていた。 アケミの病気を治して欲しい。一緒に生きたい。 死んだ人間を生き返らせることは「できる」と言った。一緒に生きたいというなら、その願いを口にするのはどうなのか。 駄目だ。明確にその理由を説明できないが、してはならないことだと思う。 生き返らせたアケミもそれをよしとしないだろう。 ……いや、単純に喜ぶかもしれない。どんな事も丸吞みして笑顔に変えてしまう。それがアケミだ。そこが気に障るところでもあり、好きな所でもあった。 病気だって、辛くない訳がないだろうに「これは修行だと思えば頑張れる」とこちらが反応しようもない事を言って、泣き言を言わなかった。 ――全く言わなかった訳ではない。 「みんなと別れるのが」「この幸せを感じることができなくなる」のが辛い、と泣いた。「でも――本当に、幸せだった。ハルキと会ってからは、本当に幸せだった」 桜の木の下、花びらを追いかけていたかつての女子高生はそう言った。 そうして、最後はか細い呼吸のまま、眠るように亡くなった。 悔いのない人生を送った妻を果たして蘇らせてよいのか? そしてその後始末をどうつけるつもりなのか。 そんな事なら、毎日夢でアケミに逢えばいい。過去でも、今でも、都合のいい未来の姿としてでも。 期間限定でもいい。心の半分ぐらいをごっそりと取られたような喪失感に気づいてしまった今、ちょうどそれを埋めてもらえる道具があれば、使う事に罪悪感を覚える必要はない。 かつて、アケミとの高校生活を何度も見たように、夢で逢えればいい。夢で。……。 ハルキは顔を上げた。 魔人と目があった。 「――さあ、望みを言え。どんな夢でも叶えてやる」 「――俺の質問に答え続けろ。一週間でいい。期間限定ならいいんだろ?」 「回数限定の方がありがたいがな」 「可能なんだろ。受諾しろ」 魔人の表情が少し曇ったように見えた。 あんなに待ち焦がれていた「願い」を口にしたのだから、もう少し喜べばいいものを――そう思ったが、魔人にも叶えやすい願い、叶えにくい願いがあるのかもしれない、とハルキは考え直した。 もしくは――叶えたくない都合の悪い願い。 「うむ。可能だ。その望み叶えてよい。これからかっきり七日間、何でも私に訊くがよい。お前の体を健康に保つ毎食のレシピまで教えてやるぞ」 「本当かよ。どれだけ万能なんだよ」 どうやら腹を決めたらしい魔人は先ほどまでの不遜なえらそうな表情に戻っていた。 「一つ目の願いの期限は七日間だが、その間も二つ目、三つ目の願いは絶賛受付中だ。一つ目の願いの却下も二つ目の願いとして快く承るぞ」 「――調子出てきたな」 言いつつ、ハルキも軽い足取りで寝室を出る。 朝食をとり、洗濯機を回し、掃除機をかける。 うろうろするハルキに、魔人はつかずはなれずついてくる。 「お前のことは何と呼べばいいんだ?」 「名前はないので好きに呼べばいい」 「ジョンとかトラボルタとかでもいいのか」 「その名前を私につけたものだと私が認めれば、私は返事する」 「……」 ――こいつ、気に喰わない名前だったら返事しないつもりだな。 「ちなみに、前はなんて呼ばれてたんだ?」 「……『魔人さん』だ」 「……気のいいマスターだったんだな」 「ああ」 少し。ほんの少し、前のマスターと魔人は良好な人間(?)関係を築いていたのではないか、とハルキは感じた。 ――まあ、まだ会って二日目だが……悪い奴ではないのは判る。 ひとしきり家事を終わらせ、コーヒーを淹れソファに腰かける。 「さて。まあ、いろいろ訊きたい事があるんだが――お前、の事でなくてもいいよな」 「答えない義務はない」 「――なんか変な日本語だな。まあ、言いたい事は判るが……。まあいい。質問は、俺自身の事なんだが――」 「健康でいるための料理のレシピか? 望みを口にすれば料理自体を提供することもできるぞ」 「どうしてもそっちのほうへ話を持っていきたいようだな。そうじゃない。――夢というものは、同じものを何回も見るものなのか?」 「お前が何の夢を見るかは、お前の脳の問題だ」 「――うむ。うむ、まあ、それもそうだろうが……その、俺はこの数日、いわゆる普通の夢を見ていた。それ以前は――同じ夢を見ていた。そしてそれを全く覚えていなかった。夢を覚えてないのはまあよくある話だから気にしていなかった。だが、今になって、普通に夢を見るようになってから、その夢のことを思い出したんだ。夢を見ていたことを、夢の内容を思い出せる」 ハルキはコーヒーを口にした。魔人が「どんな夢だ」と訊いてくる時間をとったのだ。 魔人は何も言わなかった。 「――高校の時の夢だ。しかも、高校一年生限定。ほとんど高校での夢だが、まあ、休みの日の時もあったな。それを毎日繰り返す。春には春の、夏には夏の現実の日に合わせた日の夢を見ていた」 仕方がないので自分で話を続ける。 魔人は何も言わなかった。 渋い顔も、陽気な相槌もしなかった。先を促すそぶりも見せず、ただ無表情にハルキを見ていた。 「普通には考えられない事だ。その時は夢を忘れているだけだと思って気にも留めてなかった。――超自然的な、外的な作用があったと考えられる。俺の考えは間違ってるか?」 「合っている」 「……え?」 よもやの即答にハルキは思わず声を漏らした。 肯定の形をとって返事が来るとは思っていなかった。 自分の考えてあっさり肯定されるとは思いもしなかった。 自分でも突拍子のない考えで、魔人はそんなことは知らないと言い切ると想像していた。 だが、あっさりと肯定された。 「……まさか。まさか、まさか。……お前はその件に関与していたのか?」 そうでなければ肯定できるわけがない。 いや、千里眼を持ち、世の中の不思議をすべて解明できる力を持っており、ハルキの質問に答えるためにその能力を発揮したというのならそれでいい。そうすればこの質問に否定するだけだ。 「ああ」 また、肯定だ。 悪びれる訳でもなく、申し訳なさそうでもなく、自慢そうでもない。ただ、淡々と事実を答えるために返事した。 「――」 つい、「ちょっと待ってくれ」と言いそうになり、慌てて言葉を呑み込む。こんなところでうっかり二枚目のカードを切るわけにはいかない。 「何故だ」 「答え方の難しい質問だ。もう少し、具体的な質問にしてくれないか」 「お前が気まぐれで俺の夢を操作する訳もないよな。誰かの夢を叶えるためにしたことなのか?」 「そうだ」 「――誰の望みだ?」 「アケミだ」 「……」 答えを聞く前に、もう答えは判っていた。 高校一年間。見ていた夢は必ずアケミが出る。 出会いの時から。次の年まで。 年によって微妙に内容は違っていたような気がするが、アケミと一緒にいたことは変わらなかった。 「お前の前のマスターはアケミだったのか……?」 「そうだ」 お前は――アケミも、俺も知っていたのか。 「なんで、俺の夢を――いや、というより、アケミはいったい何を望んだんだ?」 「お前の夢に関与した望みは、『ずっと幸せでいたい』だ」 「え? いや、え? ……それ? それが、なんでそうなる?」 「『ずっと幸せでいる』という望みは主観的過ぎて、第三者の力で叶える事は難しい」 「なるほど」 「しかし、私は万能の力を持ってその望みをかなえることが可能だ」 「――どこまでも自分を持ち上げるな」 「要は『幸せでいる』というのは自分が『幸せ』と認識する脳内物質を分泌し続ければよい」 「……理論は間違ってないと思うが飛躍しすぎてないか?」 「そうすることで望みを叶える事が可能だとマスターに伝えたところ、却下された」 「そりゃそうだろ。そんな即物的な幸せをアケミがいいという訳がない」 ――ハルキ、幸せ、ってなんだと思う? いつだったか、そんな事を訊かれたような気がする。 勉強中に言い出したので、勉強に飽きてそんなことを言ったと思い、まじめには答えなかった。ちゃんと勉強して補習を受けずに済むことじゃないか、なんてなそれこそ即物的な答えをしたような気がする。 「――で? 何でそれが夢を見続けることになったんだ?」 「色々と相談、打ち合わせを経た結果『この幸せな一年をオールスターでリピートする夢を見続けていたい』という望みに落ち着いた」 「……」 問うた事をすべて答えてもらって、スッキリする筈なのに、ハルキは少しもスッキリしなかった。 着地地点が想像を絶する場所にあったようだ。 さすがはアケミ、というべきか。 しかし。 「アケミは、俺に、お前のことは何も言わなかった」 何故だ、という言葉こそ口にしなかったがハルキは魔人の答えを待った。 魔人は答えなかった。 「……何故だ」 根負けしたような気持になって問いかける。 「私はアケミではないのでその問いに答えることはできない」 「――まあな。……でも、その答えに相当するような事をアケミから聞いたことはないのか? アケミは理由もなく隠し立てをするような性格じゃない。楽しい事も悲しい事も積極的に口に出して共有する、そういう人だ。何故内緒にしてた?」 「言わない方がより幸せだと判断したからだ」 「――」 「おそらく、その答えをお前は知っている。私に問いかけた時点で判ってる」 ついつい、前のめりになっていた自分の姿勢に気づき、軽く息を吐き、ソファーに深く腰をかけなおす。 「こんな調子で一週間も質問攻めではお前も疲れるだろう。どうだ、今日一日で終わっては」 「――修正なんかできるのか?」 「延長は別の願いにカウントされるが短縮ならノーカンで聞き届けてやるぞ」 「見せかけだけの自己中心的な優しさだな。断る」 「そうか」 ――相変わらず引き際がいいな。 ぼんやりとソファーにもたれかかり、天井を見上げる。 手に入れた情報が多すぎて、脳が、思考が追い付かない。 自分で認めたくない気持ちも湧き出て来て気持ちが悪い。しかし、この感情は自分の行動が引き金となったのだから誰も責めることができない。 「俺がこうなるのを判っていた。しかし、俺はそれを暴いてしまった……と、そういう事か」 自分自身の確認のために口にしたことが判っていたのか、魔人は何も言わなかった。 「――そんな、同じ一年の夢を何年も何年も見て、アケミは本当に幸せだったのか?」 「幸せじゃなかったのか」 「……幸せそうだったさ、俺から見てだけど。どんな辛い事があってもアケミは昇華して、幸せな方向へ持っていってた。自分でもよく『私は幸せって』って口にしてた。……それは、その夢を見ていたからか? 口にも出さずに、自分以外は現実へその記憶を持ち越さない夢を見続けていたからか? 現実の俺たちの力ではなく? 夢がなければ、アケミは幸せじゃなかったのか?」 「『幸せな気持ちを持ち続けることは難しいけど、ちょっとしたきっかけで幸せだった自分の気持ちを思い出す事はできる。人がハッピーな物語や映画を求めるのは、そのラストの幸せな気持ちに共感して、自分の幸せな気持ちを想い出すことができるからよ』」 「――それは……アケミが言ったのか?」 「私の科白だと思うのか?」 「いやそれはビックリだ。お前が幸せを感じるようには見えない。……いや、実は感情があるのか?」 「人の形をとり、人の望みを聞き届けるには人の気持ちに沿う必要もあるだろう。しかし、それが感情と呼ばれる心の動きであるかどうかは判断できない。客観的であるべき私は感情を持つべきではないが、人の心に沿うには共感をすべきだ。そう生き続けてきた私の、感情というものが存在するかは、わからない。だからその質問には答えられない。答えを出せない」 「――うん、なんだその、うん……頑張って答えてくれて、有難う」 「答えていない。答えられないと言ってるのだ」 「――判った。判ってるさ」 ハルキは息を吐き、瞳を閉じ、ソファーの背にもたれる。 「コーヒーのおかわりでもいれてやろうか」 魔人が少し柔らかい口調で言った。 「いや、それにはあたらない。いらない」 その手には乗らない。 「本当にお前は、油断も隙もかわいげもないな」 「そりゃどーも。ほめ言葉としてもらっとくよ」 そう言ってハルキは思考に沈み込もうとして――眠ってしまった。 |