青い夢で (5)

 その6 トップ 創作世界

 夢を見た。
 このところ、毎日夢を見る。そして、その内容が思い出せる。
 たわいのない、TVの内容のような自分とは無関係な夢だった。
 子供のころはこんな風に夢を見て、その内容を口にして「夢オチはつまらない」などと言われたものだが、いつからか見なくなった。いや、見た内容を思い出さないようになっていた。
「お前の夢を三つ叶えてやろう」
 いた。
 こちらは夢ではなかった。こちらの方がよほど非現実的だというのに。
 そんなシュールで単純な夢を見るような人間ではありたくないのでそれはよかったのだが、この現実はどうしようもない。
 なんだってこんな立て込んでる時に現れたのか。
「――おはよう」
 一応、存在を認めた証拠としてあいさつをする。
「『おはよう』といった時『おはよう』と返事する望みはどうだ。なんなら『おはようございます』と丁寧に言ってもよいぞ」
 「よいぞ」と上から目線で言う魔人に丁寧に言われたところで有難みも何もない。
「かわいらしいメイドに変化して『おはようございます、ご主人様』と言ってもよいぞ」
「――かわいらしいメイドだとしても中身はアンタだろ。何のメリットも感じないぞ」
「ずっと見ていたらそんな事も忘れるぐらいかわいらしいメイドだぞ。見てみたくないか」
「興味ないね」
 実はちょっと見てみたい気はしたのだが「じゃあちょっとなってみろよ」と言ってしまえば最後、それが願いごとにカウントされることは間違いない。
 魔人の「何気ない会話から願い事を引き出す能力」はちょっとしたものだな、とハルキは感心した。しかし、それを口にするとこの無表情な魔人の顔が一ミリも動かないのにドヤ顔に見えてしまいそうな気がしたので口にしなかった。そして、これからも魔人をほめるようなことは口にしないと心に決めた。
 朝食などの支度をしながら今日の予定を考える。
「――あ」
 そうか、という言葉は口の中での呟きにとどまった。
 退職してから、そしてアケミが亡くなってからは特に曜日の感覚がなくなっていたのだが、今日は日曜日。
 車で三十分ほどの距離に住んでいる末っ子の娘が家に来ると言っていた。
 長男は所帯持ちで遠距離に、長女は三人の子育て真っ最中で忙しくしている。末っ子の次女はまだ独り身で比較的父の近くに住んでいるから様子を見よう、と兄弟で相談して決めたのだろうか。
 娘が来てくれるのは単純にうれしい。
 しかし、この魔人をどうする。
「あんたは俺以外の人間に見えるのか」
「どちらでも自由自在だ。どうしてほしい」
「――いえばそれが願いになるんだろ? 本当にささいなことに頭が回るな」
「そう邪推するお前も頭が回るな。とんちごっこだ。楽しいだろう」
「楽しくねーよ!」
 とは言いつつ、死んでいた心が少しずつ動き出したような気はしている。口にしてはいないが「俺を元気づけろ」という願いを叶え――いや、偶然。単なる偶然。もしくは気のせい――ハルキは首をぶんぶんと横に振った。
 娘のヤヨイが来るまで掃除をしたほかは体を動かす気にもなれず、テレビをみて時間が流れるままにしていた。
「お邪魔〜」
 葬儀の時は泣きじゃくっていたことなどみじんも感じさせない明るさでヤヨイが入ってきた。
 父親にあうだけ、という気安さで化粧気のないすっぴんの上、髪の一部が寝ぐせではねている。
「いい子なんだけど、一緒にいる時間が長くないとその良さが判らないいぶし銀だから、結婚までいけるか心配」というのが母アケミの意見であった。
 ハルキは結婚はできなければできないで仕方ないと思っていたが、寝癖ぐらいはきちんとしてほしかった。
「ケーキ買ってきたよ、ケーキ。あとで食べる? おなか一杯じゃなかったら今食べる?」
「お昼は食べてきたのか?」
「もう二時じゃない。家でとっくに食べてきたわよ。……お父さんもしかして、お昼食べてないの?」
「いや、うどん食べた」
 ヤヨイは勝手知った様子で台所へ行き、冷蔵庫にケーキを片付ける。
 冷蔵庫の中は整頓されていたがガラガラではなかった。
「コーヒー淹れるよ」
「ああ、有難う」
 手慣れた様子でコーヒーメーカーに豆を入れる。
 移動する中で魔人が視界に入っているのに、そのことに対して何の反応もない。
 ――他人には見えない、が正解か。確かに、こんなステレオタイプの魔人がいたら目撃情報が巷に流れるだろうからな。当事者以外はその存在に気づかないということか。……当事者は言わないのか? 中には浮かれて浮かれて魔人のことを吹聴する奴もいるだろう。突然金持ちになったりしたら皆理由を知りたがるだろう。その時に正直に言うバカはいないのか? いやまさか口止めされているのか? いや「言いたければ言えばいい」と魔人は言っていた。
 その言葉自体が罠なのか……?
「お父さん、怖い顔してる」
 コーヒーが入るまでの間、のんびりと父と話をしようとハルキの横に腰かけたヤヨイはハルキの眉間にしわが寄っているのを見て取った。
 見ているテレビのせいかと思ったが、化粧品のコマーシャルできれいな女優さんが気取った笑顔を画面いっぱいに映し出しているだけである。
言われて我に返ったハルキの眉間のしわが消えた。
「ヤヨイ、お母さんにあいさつはしたか?」
「え? お父さん、お母さんはもう……」
「――仏壇だよ! 仏壇」
「あ……ああ! ま、まだ! うん、まだ!」
 ヤヨイのうろたえまくって仏間に向かう背中をハルキは座った眼でにらむ。
 この娘、父が惚けてなくなった妻がまだ生きていると勘違いしてると早合点して、憐れむような眼で父を見ていた。
 仏壇に手を合わせたヤヨイが再びハルキの横に腰かける。
「ケーキは何を買ってきたんだ?」
 ハルキが切り出し、たわいのない会話が始まる。
 二年前にヤヨイが一人暮らしを始めるまでの数年は三人で、思い出そうとしても思い出せないほど内容の薄いつまらない、でも幸せなだんらんがあった。
 TVを見て感想を口にする。仕事であった面白い話をする。町内会のいざこざをちょっと大げさに言ってみる。
 コーヒーの香りが部屋中にただよい、三つのケーキを父と娘、仏壇の母で分け合ってからも話は続いた。
 ヤヨイに魔人が見えていないのは間違いない。
 ヤヨイの性格からして、そんなものを見かけて黙っていられるわけがない(そういう所は母親によく似ている)
「お父さん、あのね、わたし……」
 少しの沈黙ののち、ヤヨイがいつになく真面目に話しにくそうに話を切り出す。
「なんだあらたまって。結婚でもするのか?」
「――!? 知ってたの!?」
「――!? なんで俺はそんな事を当てたんだ!?」
「――あてずっぽうで言ったの!? お母さんにきいてたんじゃなくて!?」
「――お母さんには言ってたのか!?」
 いや、母娘ならば恋愛に関しては黙ることはないかもしれない、とハルキは内心納得した。
 しかしこのタイミングでの急な申し出に頭はパニック、整頓して色々と訊かなければ、と考える脳の一部が――
 部屋の片隅でこの会話を聞いて絵に描いたように「ゲラゲラゲラゲラ」と笑う魔人の存在の大いに怒りを感じていた。
 ――願い待機中だというならおとなしく部屋のインテリアみたいに無表情に突っ立っとけよ! 会話聞いて笑ってんじゃねえよ!
 しかしそのツッコミを今口にする訳にもいかず(そもそも口に出したら願いになってしまう)、立ち上がって怒鳴りたい自分を娘の告白でパニックになってる自分が推しとどめるというどっちが理性的なのかわからないせめぎあいが脳内で繰り広げられていた。
「――えっと……うん、まあ、おめでとう」
「……反対、しないの……?」
「タイミング的に大喜び、ってわけにはいかないが、反対する理由もないからな。いや、まあ彼に会った時に反射的に反対するかもしれんが――しかし、その……アケミの一周忌が済んでから式を挙げるとかは無理か?」
「――実は子供ができてて……」
「……え……」
「今、五か月で……一年待ってられない、というか……」
「――その、子供のことは、お母さんには言ってたのか?」
「伝えたよ。お見舞いに行ったときに。喜んでくれてた。私は会えないかもしれないけど、って……」
 その時のことを思い出してしまったのか、ヤヨイが淋しそうに笑った。
「そうか……祝福してくれてたのか……。そうだな、人の幸せが自分の幸せみたいな人だったからな……」
「――ってか、お母さんは、ずっと自分は幸せの加護がかかってるから、大丈夫だ、って……」
「――」
『私、すっごく幸せだから、この幸せがずーっと続くように頑張る!』
 一体何をどういう風に頑張るのか判らなかったが、アケミの得体のしれないパワーに任せればいいか、とその時ハルキは口をはさまなかった。
 その時。
 ……どの時?
「じゃあ、式を挙げる気はあるのか? 一か月は待ってほしいが……」
「大丈夫、それぐらいなら、おなかが大きくなっても今はマタニティ用のドレスもあるし」
 だいたいの予定は立っているのか、ヤヨイはよどみなく説明をする。
「それで……来週彼にあって欲しいんだけど……」
「――わかった」
「有難う!」
 一人暮らしになった父を気遣って、とか母の遺品整理を手伝うために、などという理由ではなく、彼と会う約束を取り付けるために今日やってきたのではないか――ハルキはそう感じたが、訊いて肯定される(しかも口は否定してるが態度は肯定するパターン)のはつらすぎるので敢えて訊かなかった。

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