青い夢で (4)

 その5 トップ 創作世界

 目覚まし時計が鳴る。
 止めて時刻を見ると七時だった。
 眠れる夜などないと覆っていたのに、連日の疲労に体は勝手に睡眠をむさぼっていたようだ。
 夢を見た。
 どんな夢だったのか思い出そうとしつつ、体を起こす。
 夢――夢、って……何だ……。
 この七日間こそが夢のようだった。しかも悪夢の方だ。いや、悪夢でもよい。夢にしてしまいたい。
 回想と今日の予定と今後のことを考えようとして頭が思考にブレーキをかけようとした。
 それでも動かなければならない。
 ベッドサイドの眼鏡をかけ、立ち上がろうとして視線を上げ――ハルキは何かが自分の向かおうとするドアの前に立ちはだかったいる事に気づいた。
 不審者。侵入者。何かを認識する前に、それは口を開いた。
「お前の夢を三つ叶えてやろう」
「――魔人かよ!!」
「その通り。大当たりだ。だからお前の夢を三つ叶えてやろう。大概のことはどんな夢でも叶えてやる」
 どんな夢でも。
 その言葉の重みに押しつぶされ、ハルキはこの肌が青くて大柄のマッチョマンの非常識な姿を「魔人なんだからこういうものだ」と納得の袋に片付けようとした。
「いや。それはいけない」
「願いの拒否権はない。しかし、『黙れ』『何もするな』『立ち去れ』と言えば見事三つの夢はかなえられ、両者両得で終了する。私に何もして欲しくないならそれをお勧めする」
 欲深なタチではないが、願いを持たないほど薄い人間でもない。
 ターバンを巻いた上半身裸の自称魔人(ハルキの言葉に肯定しただけで自ら魔人と名乗ったわけではないが)はハルキがその三つの願いを口にするのを望んでいるのか。
「何で俺の許に現れた。俺はランプを拾って綺麗に磨いた覚えはないぞ。そもそもどうやってここに来た」
「君の問いに答える義務はない」
「――」
 ハルキは「答えろ」と言いかけ、ぐっと言葉を呑み込んだ。
 命令は遂行を持って願いの成就とみなされるだろう。
「黙れ」「何もするな」「立ち去れ」がそれぞれ願いの成就というのなら間違いない。
「時間をくれ」と言えばそれも願いになるのか。そもそも自称万能の魔人というなら「時間をくれ」に対する望みのかなえ方がどのようになるのか想像もつかない。願いの叶え方に対する意見のすり合わせは依頼しなければできないのか。
 そもそも時間がないのに――と我に返り、ハルキは魔人を押しのけ、部屋を出た。朝の支度をしなければいけない。
 扉の前を通せんぼするように立っている魔人の処理に困ったが「どいてくれ」と願いを口にする訳にもいかず、ままよ、と手で横に押しのけてると拒むでもない軽さで横によけた。
 腕がすり抜けたりしなかった。温かかった。
 ――いったいどういう存在なんだ。
 混乱しつつも朝食を用意し、服を着替え、食事を済ませて歯を磨き、ひげをそり、顔を洗い、髪を整える。
 魔人はハルキと一緒に部屋を移動し、腕組をして扉の前に立っていた。戻る予定のない寝室へ続く扉ではない。
「――俺が願いを口にしなかったらどうするんだ」
 答える義務はないといわれるであろうことは予測できたが、言わずにはおれなかった。まだ一人で黙り続ける生活には慣れていない。
「言われるまで待機するだけだ」
「――何で質問に答えるんだよ。俺の問いに答える義務はないんじゃなかったのか」
「答えにくい質問に答える義務はないが願いを叶えるのに役立ちそうなことには答える」
「……面倒な奴だな……」
「お前の夢を三つ叶えてやろう。どんな夢でも叶えてやるぞ」
「――先刻は大概のこと、って言ってただろう。大きく出たな。今のところ、俺はかなえたい夢が浮かぶような状態じゃない。忙しいし、余裕がないんだ」
「その忙しい仕事を引き受けることも叶えられるぞ」
 魔人が両手を広げ、満面の笑みを浮かべる。
 その体の大きさと相まって、どことなく笑っているのに畏怖を呼ぶ。
 ハルキはしかし、その勢いに動じる様子も見せず、五秒ほど魔人を凝視していた。
 そして、慌てて首を横に振る。
「いや、ダメだ。魅惑的な申し出だが、それに従うと俺は自分の気持ちの持って行き場を――」
 魔人を見つめて止まってしまっていた時間を取り戻すように手際よく朝食の片づけを終え、出かけようと鞄に荷物を詰め込む手が止まる。
「――死んだ人間を生き返らせることは……できるのか……?」
「できる」
 魔人は言い切った。
 笑うでもなく、自慢げでもなく、無表情に。敢えて感情を隠したようにも見えない。
 そう見えたとしたら、それは自分が「そうあって欲しい」と思っているからだろう、とハルキは自分を納得させた。
 その願いを口にしたい自分がいる。
 その願いを口にしてしまってどうするんだ、と説得する自分がいる。
 魔人は肯定を口にしたものの、それ以上踏み込んだことは言わなかった。
「お前の夢を三つ叶えてやろう。さあ、言うがよい」
「時間を戻すことはできるのか」
「お前を若返らせることはできる。この世界の時間を戻すことはしない」
「……しない、とは言ったもんだな」
 『できない』わけではない。
「でも死んだ人間を生き返らせる事はできるのか。何か規律でもあるのか」
「答える義務はない」
「――そう言うと思ったよ」
 取り急ぎこの魔人のことは置いといて、ハルキは家を出ることにした。
 果たして魔人はついてくるのか。他人にも魔人は見えるのか。見えないなら魔人と会話する自分は変人にしか見えないだろうから言動には気を付けないと――などと思いつつ、魔人を押しよけ玄関を出た。
「――」
 魔人はついて来なかった。

 役所やら銀行やらあまりなれない相談と書類仕事を済ませ、夕食の準備を買い物し、帰路につく。
「ただいま」
 誰もいないのにそのことを認めたくない自分が帰宅の言葉を告げる。
「願いを叶えてやろう。『ただいま』と言われたら『お帰り』というのはどうだ。『おかえりなさい』でもいいぞ。一生な願い下げだが数か月ならば対応する。
「――」
 日中のバタバタで今朝の出来事は自分の希望が見せた幻で――いやそれにしてもそんなステレオタイプの魔人の幻を見るだなんて我ながら恥ずかしい話だが――帰れば一人きりという淋しい現実が待っているだろうとタカをくくって帰ってきたのだが魔人はいた。
 暗くなっても電灯もつけず、家を出た時と同じ玄関先に立っていた。
 そして申し出る願いが具体的で、しかもセコい。
 誰がこんな青いマッチョな青年に「おかえり」と言ってもらうことを望むものか。いや世の中酔狂な人がいてそういう願いを「素敵!」と喜ぶ人もいるかもしれないが少なくともハルキはそうではない常識人である。
 何か口にして願いに認定されては困るとハルキは口をきかず、夕食の準備にとりかかる。
「家事代行でもよいぞ」
「死ぬまでお願いできるのか」
「私の長い命、ヒトの短い余命に付き合うことは苦痛でないが気分が乗らない。よって期間限定だ」
「なんて身勝手な……」
「そちらは身勝手な夢を口にするのだからそれぐらいはよいだろう」
「――開き直りやがったな……」
 言いながら夕食の支度が出来上がる。
「あんた――は食事したりしないのか」
「不要だ。しかし、望めば一緒に食事をすることも可能だ」
「……どうしても望みを言ってほしいようだな」
「そのために来たんだからな。元々、そんな夢がかなうはずもないところに現れたラッキーなことだ。余計な事を考えず、心の望む願いを口にすればいい」
「――そんな、思った事をほいほいと口にするタイプじゃないんだ」
「無口にではないようだがな」
 魔人に無表情に返されハルキは言葉に詰まる。
 そんなハルキを見る魔人の顔は青いままで何も変わっていないのだが、なんとなくドヤ顔のように見えて気に障った。
 就職してから結婚するまで一人暮らしだった。何年か単身赴任で過ごしてきたこともある。二人目、三人目の子供の出産のときは短い期間だったが一人で家のことを切り盛りしてきた。
 子供たちはそのうち一緒に暮らそうと言うかもしれないが、家のことは難なくこなせるのだ。一人でいい。
「お前のことは他人に言ってもいいのか」
「言うは自由だ。信用してもらえるかどうかは知らんぞ」
「今まで何人ぐらいの夢を叶えてきたんだ」
「答える義務はない」
「――これだ」
 今の、これからの自分の身の振り方も定まらないというのに突然こんな大きなプレゼントを渡されても困る。
 今日のところは混乱する事態は放置するとして――ハルキの最も気に喰わない選択肢ではあるのだが――やるべきことが決まっている事を進めよう、とハルキは夕食を片付け始めた。
 ――今日、魔人が俺のところに来てさ『お前の夢を三つ叶えてやろう』って言ってきたんだ
 そう切り出したら、あいつはなんて顔してなんて言うだろう。
 素直だから、信じる信じないは置いといてその話を興味深く聞くだろう。絵に描いたような、青いマッチョなターバン撒いた男の姿だというと笑いだすだろう。
 ――夢は何にするの? でもハルキだったら、望むことは自分でかなえようとするし、理にかなわないような超常的な夢は自制心が働いて口にできないんじゃない?
 そんな風に、いつものように見透かされてしまうのだ。
 ――じゃあ、お前の夢を叶えてもらえばいい。俺が『アケミの夢を叶えてくれ』って言えばいいんだから。
 ――えー、そんなのもったいないじゃない。でもまあ、一つだけ……私の夢は――
 もういない妻との会話がありありと想像され、しかし、それは現実ではありえないのだと思い知らされ――ハルキはアケミが亡くなって七日後の夜、初めて声を出して泣いた。

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