笑った!
「……亦、振られた」
お茶を置くうーさんに、仏頂面のまま私は言った。泣きそうな目でいつもみたいに飛び込んできたんだからそんな事は先刻御承知だろうけど、言わずにはおれなかった。
「えらく早かったんですね。今回は」
−−ぐさ。
うーさんは無表情に心の一番痛いところを突くのが得意だ。(自慢にも何にもならんけど)この人畜無害そうなすっとぼけた顔に幾度私はだまされた事か!
「そうよ。今回は事を急いだ分、うまくいかなかったのよ」
「慌てる乞食はもらいが少ない−−今までで充分判っているでしょうに。何で、事をいそいだりしたんですか?」
この男……鋭いのかおまぬけなのか……長いつきあいになろうというのに、未だ判らない。
「あのね、この四月で私も二十六よ。もうそろそろ長期型恋愛より、永久就職の実を結ぶお付き合いをしなくちゃいけないのよ」
「永久就職? お墓の永久管理の親戚か何かですか?」
「うーさん!」
「何を怒ってるんですか? 麻衣さんは怒ると色が赤くなるのがすぐ判るから−−やはり、色白なんでしょうね」
「−−」
絶句してしまった。
そう。うーさんと話をしていると、いつでも話の論点がずれていってしまうのだ。
「今回はどういう方だったんですか?」
−−そして、話をずらしていった頂本人が話を元に戻す。
「……。一方的に片思いして−−押しが強かった。それは認める。認めるけど……『二度と顔も見たくない』だの、『近づくな』だの……ひどいじゃない? そんな、そんな、私が生きていることすら否定するだなんて……。どーせ私がわるいのよ。私がせめてもうちょっとましな男見つけてれば、こんなひどい目にあわずにすむ、って……判ってるわよ。私に言い寄ってくるバカもごくたまにいるんだから、それに応えちゃえばこんなに苦しむ事もない、って……」
あ−−駄目だ。涙こぼれちゃった。ハンカチ、ハンカチ……あ、やばい。鼻水も出そう−−備えつけのティッシュに手を伸ばす。
「友達だって−−てんちゃんも、かっちゃんも『あんたの理想が高い』だの『気が多いからだ』とか言ってたけど……私は、ただ、本当に、私が好きな人に、私のことを肯定して欲しいだけで−−本当に、それだけで……」
うーさんは頷いているみたいだった。(泣いているからよく見てられない)
「……ごめんね……」
「いいんですよ。麻衣さんのご家族は近くにはおられませんし、お友達もみなさんお忙しいんですから。私はいつでも暇ですし」
穏やかにうーさんは言う。そして、おいしそうにお茶を飲む。つられて思わず私もお茶を飲む。
「−−落ち着きましたか?」
「……少し」
「少し、ですか?」
これぐらいの愚痴で私の気が晴れる訳ない、って事は充分御承知だろうに−−それで慰めてるつもりなのかしら……? かもね。でも、私はそういう自然的な慰めよりは本当の慰めの言葉が欲しい。−−まあ、うーさんには無理だろうけど。
「うーさんには判らないのよ」
「判って欲しくないんですか?」
「−−そりゃ、誰かに判って欲しいわよ! でも、誰が私を判ってくれる、っていうの? みんな、人の話を聞くだけきいて、好き勝手な事言ってどっかに行っちゃうじゃないの!」
「麻衣さんは、人が、判ってる、判ってないの区別を一体何処に置いてるんですか? それがはっきりしない事には−−」
「感情的になってる人間に理屈をこねないでよ!」
「−−」
あ……。やっちゃった。また。
うーさん、呆れてる。きっと、心の中で、私のこと、嫌な奴、って思ってるだろうな。−−否定できない。
「−−すみません。私はあまり感情的になった事がないもので……」
……。何で……何でよ。
「何でうーさんが謝るのよ」
「え? 何で、とは?」
「今のは、悪いのは、私じゃないの。私がただ癇癪起こしただけで−−うーさんは悪いことなんて、何もしてないじゃない」
「しかし、私があれこれ言わなければ麻衣さんが癇癪を起こすこともなく−−」
「あー、判った、判った。これ以上話しても平行線だわ。この話はこれで打ち切り!」
全く……ご丁寧もここまで行けば嫌味だわ。
「お見合いの話とかはないんですか?」
暫くの沈黙の後、いつもの淡々とした語り口でうーさんは言う。
「取りあえずないことはないけど−−田舎に帰らなくちゃいけないし……。私は此処を離れたくないの。仕事もやめたくないし」
「そうですか」
「−−でも、好きな人と結婚したい。結婚して、家庭を作りたい。子供を産んで、ささやかでも、幸せな家庭を作りたい……」
−−ばかげた、小市民的な願いだとは思う。でも、普通の願いだと思う。
なのに、現実はいつも私を裏切る。本当に−−私の何処がいけない、っていうの?
「どうしてうまくいかないんでしょうね」
友人に言えば一笑にふされるような私の話に、うーさんは軽く息を吐き出してそういった。(溜息、という程の深刻さが何故かうーさんの場合、感じられない)
薄暗い店の中、古い柱時計が一つ、時間を打った。
「麻衣さん、どういう人が好きなんですか?」
「ど、どういう、って……特にタイプ、って言うのはなくて……そりゃ、見かけはいい方がいいわよ。−−でも、フィーリング、っていうか−−ぴん、とくるものがあるのよ」
突然振られた話題に私は少し驚いて応えた。うーさんの方からこの手の話で新たに話を持ち出すなんて、今までなかったような気がする。
「そういうものなんですか?」
「……。うーさんは?」
−−うーさん、って恋愛したことあるんだろうか?
いや、それより−−うーさん、って何者だろうか?
この、全く流行らない骨董品屋で、それでも生活していて……。もう、三〜四年のつきあいではあるけれど、私はうーさんの本名も、年齢も、今までの生き様も知らないんだ。
「私は−−さあ? よく判りません」
「判らない、って……」
「それより、この間、きれいな櫛が手に入りましてね−−」
「うーさん」
−−そう。今までだって、この手ではぐらかされて来たんだから。
「見ます?」
見たい。見たい−−けど、それは後。
「うーさん。話を逸らさないで。−−うーさん、人好きになったこと、ないの?」
「−−人は好きです」
……何かが違う。
「そういうんじゃなくて−−人に恋心を持った事はないの?」
「恋心、ってどういうものですか? 麻衣さんに関しては長年見てきた訳ですから、漠然としたもの乍らも判るような気がするんですが、私自身についてはどうも……」
「−−私について判ってるんなら話は早いじゃない。つまり、私がその人達に抱いたような感情をうーさんも抱いたことがあるか、っていう……」
うーさんは視線をおろした。悩んでいるんだろうが、端から見ていると「悩んでいるものの深刻さ」なるものが感じられない。
うーさんは答えない。その沈黙に何とはなし私は気まずさを感じて気分転換代わりにお茶を飲んだ。うーさんの視線は微妙だにしない。まるで目を開けたまま寝てしまったかのよう
「−−で、でも、私の場合と、うーさんの場合とじゃ、違うかもしれないし」
ついに根負けして私は口を開いた。うーさんが視線を上げて私を見る。
「どちらか、っ ていうと、私だったら一人でどんどん先行っちゃって−−でも、振り向いたときにいつでもそこに好きな人がいて欲しい、って思うけど、うーさんは、何となく、好きな人の横か後ろを歩いて、ずっとその人を見守ってる、っていう感じがするし……」
「−−そういうのを恋愛と呼ぶのですか?」
「判らないけど……。恋愛の定義なんて、言葉でできるものじゃないし、恋愛であるか否かの判断なんて、それぞれの個人がくだすものよ」
「そうなんですか。−−麻衣さん、って物知りですね」
「うーさんがそういうことに疎いだけよ。みんなそれくらい知ってるわよ」
「はあ……。どうも私は時節の波というものに乗り切れなくて」
「それくらい判ってるわよ」
−−あ。ちょっとこれはきつかった……かな?
慌ててうーさんを見ると、相変わらず感情のつかめない表情で私を見ている。
「麻衣さんは、私という人間を判ってらっしゃるようですね」
……そういうことを真顔(というより無表情)で言われても−−一体私にどう反応しろというのよ。
「さっき言ってた櫛、ちょっと取ってきますね」
どうしようと思う間もなくうーさんはそう言って立ち上がり、奥の方へ行った
−−判ってる、って……冗談じゃないわよ。私、うーさんのことなんて、全然判んないわよ。うーさんの方こそ、私のことよく知ってるじゃないの。今まで何人の男ひっかけて、どういう人で、どういう風に振られたか……友達のことだって−−
「ほら、綺麗でしょ?」
見事な彫刻を施した上に黒光りのする艶のある漆が塗ってある。
「今は短いですけど、長い髪になったらきっと綺麗に映えるでしょうね」
「−−まだ買うとは言ってないわよ。それに、私は髪なんて伸ばさないわ」
「−−まだ宮川さんに言われた事を気にしておられるんですか?」
「……! ……覚えてたの?」
今からさかのぼって三人前、二年前に私を振った人。「髪の長い女が好き」というのでセミロングをロングまで頑張って伸ばして「やった!」と思ったとき、振られた。
「それは、まあ……。私にいろいろ話してくれる人もそういませんし、私自身、覚える必要性のあることが殆どありませんから、必然的に麻衣さんのおっしゃった言葉が頭に残っているんです」
「……」
「それが、何か? −−もしかして、忘れて欲しかったんですか?」
「そういう訳じゃない……けど……」
なんだかよく判らない−−のに、訳も判らず、涙が出てきた。
「思い出されたんですか? すみません」
何となく声を出したくなかったので、首を横に振ってそれを否定した。
宮川さんのことはもう忘れていた。彼のことを思いだしても、別に胸は痛まない。−−けれど、私が髪をショートにし続けたのは、確かに彼のせいかもしれない。
「うーさんだって、私のこと判ってるじゃない」
「え? 何をですか?」
「うーさん、私がうーさんの事判ってる、っていったけど、うーさんの方こそ私の事判ってるじゃない」
「−−確かに、麻衣さんの一面は知っているとは思いますが、私の知っている一面だけで麻衣さんという人間を表現できるとは到底思いません」
「−−私よ。うーさんが知ってるのは、私自身よ。日頃はうーさんの事、これっぽっちも思い出さないくせに、男に振られて、苦しくなった時だけ、愚痴言いに来て……」
「麻衣さんはこのお店の数少ないお得意さんです。それに、私は、別にそれでも構いませんよ」
「身勝手と思わないの? 都合のいいときだけ頼ってくる我儘な女だ、って腹が立たないの?」
−−ああ。これは八つ当たりだ。今の私、制御効かなくなってる。自分の痛い所、他人に突かれるの嫌で、ものすごく攻撃的になってる。
いつもこうだから、友達も遠ざかって行くんだ。男の人にも振られるんだ。
馬鹿なガキみたい。「保護者」はもういないのに、一人空回りしている馬鹿なガキみたい。ただのやけ起こした子供みたい。
「まさかの友は真の友、って言うでしょう? こんな私でも、信頼してくれる人がいてくれる、って嬉しかったんです。時が時だけに、そういう事言えませんけど。不謹慎ですから」
「−−」
……気が……抜けた。
うーさん……この人、って一体……どういう人なの、。どういう生き方したら、こういう人になる、っていうの。
「私は、生来、こういう性質(たち)で−−いつも本心を隠して生きてる、とよく言われるんですが−−あまり、私の所に人はやって来ないんです。だから、麻衣さんのように、特に苦しいときに来てくれるのは、とても嬉しいです」
「……く……」
「−−はい?」
「まったく……何処まで優しいのよ……」
「私みたいなのは優しいと呼びません。本当に優しいのなら、適切な慰めの言葉が本心から、意識せずに出たはずです。どうも、その辺はうまく行かないようで……。時折、『この人はこう言って欲しいのだ』というのが判った時にそれを口にするだけで−−でも、それは『優しい』とは言わないでしょう」
私なんかと比べたら充分すぎる程優しいわよ。
「自分に固執していない分、他人に回しているだけで……」
何とはなし、視線が合ってしまった。
「とにかく、迷惑なんかではないです」
「……!」
−−笑った。うーさんが……笑った。
「……どうされました? 何か変なものでも見たんですか?」
「変じゃない、けど……見た」
「? 何を?」
「うーさんの、笑顔」
「−−今、私、笑いましたか?」
「笑った。確かに、見た。−−あーびっくりした。まだ心臓がドキドキしてる」
「……そんなに驚かれましたか」
「だって……うーさんの笑顔なんて見たの、初めてだったもの」
自然な、笑みだった。
「−−別に笑ったつもりはなかったんですが……」
うーさんは無表情のまま首をひねる。
町を歩いてて突然空から大量の熊のぬいぐるみが落ちてきた−−それくらいの不意打ちで……驚いた。本当に、心臓がドキドキしてる。……。
「お茶、おかわりいかがですか?」
いつものようにうーさんは淡々とした口振りで言いながら急須を持った。
「え? あ、私、今日の所は帰るから。亦、明日にでも櫛買いにくるし」
「そうですか? それじゃあお気をつけて。振られたばかりだから、って亦酔っぱらいに喧嘩売ったりしないで下さいよ」
「よけいなお世話」
相変わらず心配しているのかいないのか判らない口調の言葉に適当に返事し、そそくさと店を出る。
振られたばかり−−そう、私は振られたばかりなんだから。
いつものように、大通りに出るところで振り返る。うーさんが軽くお辞儀をする私は手を振る。
忘れようとしても、忘れられない。
どんなに私が慰めを必要としても、うーさんは決して笑いはしなかった。ちょっと微笑んでくれたら私も気が楽なのに、と思うようなときでもうーさんは笑ってはくれなかった。(逆に、どんなときでも怒ったりしなかったんだけど)
本心を隠して生きてる−−そう思ってた。精神のボルテージが低いんだ、とも思ってた。
でも、あの穏やかさが欲しくて、話を聞いて欲しくて、胸を貸して欲しくて−−
今更じゃないの。
今頃になって、あんな笑顔見せるだなんて、フェイントじゃないの。
照れて、うーさんの顔が見れなかった。
明日亦行くだなんて−−なんてバカな約束したんだろう、全く−−
明日もうーさんの顔直視できなかったらどうしよう。……四年目にして初めて笑うだなんて、ずるいじゃないの。あんな見慣れない、見慣れない……
−−素敵、な笑顔だったな……。
(おしまい)
初書
1990.7.13-7.15