笑う地蔵
「なあけーこちゃん、この村の名所で『笑い地蔵』ってあるらしいねん」 高二の夏休み。「海のものがおいしい」の言葉につられて野際けい子は幼馴染、寝屋川竜也の田舎にやってきた。 まるで小学生のように海で泳ぎ、山で遊び、食べるだけ食べて言った言葉が「ここはなんの名所もないんかいな」。 別に悪気があって言ったわけではないが、そこはけい子の事を尊敬する事甚だしいたつや、知ってはいたが一笑にふされるかと思って敢えて言わなかった切り札を出した。 「笑い地蔵? 地蔵、って元々笑(わろ)てるもんやん。怒り地蔵、とかのほうがよっぽど名所になるやろうに。なんの役得があんねん」 予測はしていたのだが、切り札にしてはあっけなく一刀両断される。 「まあ、でも、何かそれにまつわる話があるんやろ?」 良くも悪くも常識人、そして何故かこの二人の近くにいて色々フォローしているがその苦労は見せない(と言うより多分に自分の位置を楽しんでる)雨田少年がけい子をなだめるように言った。 しょげかけていたたつや、雨田に感謝の目を向け、口を開く。 「昔々、身分違いの恋に心中を図ろうとした二人を、死ぬなんてつまらん事はやめなさい、それぐらいやったら駆け落ちした方がええ、って説得した坊さんがおったんやて」 「人二人死んだ方が商売繁盛笹持って来い! で嬉しいやろうに、なかなか人徳のある坊さんやなあ」 「……野際さん……」 「そんで駆け落ちの直前に、村の人にバレてしもたんやけど、二人と村人の間にその坊さんが入って――」 「大暴れ! 弁慶の立ち往生! はてさてはライガとフウガ!」 「――とはならんと、坊さんの説得に村人は納得、村を出ていく二人の姿を見送る坊さんの有難い姿を模して、笑い地蔵が作られた、って……」 昔、おばあちゃんに話を聞いた時はすごく感動するいい話だったのに、今、自分が説明して見るとあまりにもたわいのない話に、たつやは自分で首をかしげる。 そして、おのずとたつやと雨田の視線はうつむき、肩を振るわせるけい子に…… 「なんやそれは〜!」 予想通りの大爆発。 ここまできたけい子に何を言っても無駄なので、二人は大人しく管巻きを聞く事にする。 「そんな芸のない話があるか〜! 小学生の日記じゃあるまいし! もうちょっと、代々語り継がれるからには起承転結のある、価値のある話にせんか〜! しかも、行きついた先が笑い地蔵かい! 地味すぎるっ! んな中途半端な名所用意するぐらいやったら、何もないほうがましやがな!」 自分から何か名所がないか、って言うから言うたのに――とはこの剣幕のけい子に向かっては決して言えないたつやであった。 せわしなく鳴き続けるセミの声。 車の殆ど走らぬ舗装された山道をたわいもない話をし乍ら三人は練り歩く。 目印のない道はだらだら続く。方向オンチけい子と、一年に一回は訪れているくせに道の判っていないたつや。雨田だけが自分達が足を踏み入れた事のない領域に来ていると理解していた。 と。 けい子の動きが止まる。 たつやを見る。雨田を見る。不信感に満ちた目で周囲を見まわす。 「ど、ど、どーしたん、けーこちゃん」 「誰か、笑(わろ)てへんか!?」 「へ?」 「ワライカワセミとか……」 「そんな爽快な笑いと違う!!」 ワライカワセミの笑いは爽快かどうか――と反射的に雨田は思ったがツッコむ暇はなさそうだった。 「もっと陰湿な、『フッフッフッフ』って……」 せわしなく動いていたけい子の視線が止まった。 道端に苔むして立つ地蔵かな。 「お前かー!!」 止める暇があらばこそ、けい子はピューっと、その地蔵に向かって駆け出した。 「野際さんっ!!」 平凡な見た目とオーラから想像できない優れた運動能力を持つ雨田はけい子が地蔵にケリを入れる直前に間に合い、けい子の腕をつかんだ。 「公共の施設、いや、こういうのが施設、って言うんか知らんけど、お地蔵さんに蹴りなんか入れたらバチ当たる!」 「バチ当たりはどっちやっ! ストーカーみたいな根暗い笑いしよって! 気持ち悪いんじゃ! 笑うんやったら、もっと大口開けて『わーはっはっはっはっ』ってやらんかい!」 「じ、地蔵にそれは無理な話じゃ……」 そこへ、ようやく息を切らせたたつやがたどり着く。 「あ、これこれ。笑い地蔵」 二人のやり取りなど意に介していない様子で、たつやは汗をふきふき、嬉しそうに言った。 「――え?」 「これ、殆どすりきれて見えへんけど……ほら『笑地蔵』って書いてあるやろ?」 「……ホンマや」 ほんの五十センチほどの高さしかない、お供え物もない苔むした地蔵がこの村唯一の名所とは……。 「うわー、笑うんやなー、ホンマに。あのな――」 「あんなもん、笑いのうちに入らへんわい! 気色悪い! 大団円の話のしめくくりは大笑い、って相場が決まってるやろうが!」 たつやが嬉しそうに話し始めたのをぶっちぎり、けい子は大声で喚きたて、大股で歩き去る。 「――で、寝屋川君、何を言いかけてたんや?」 しょげるたつやに雨田が話しかける。と、取り残された言葉を拾って、たつやは雨田に笑いかけた。 「あのな、笑い地蔵が笑うの、ってな――これから結ばれるカップルが近くにおる時らしいねんて」 「……へえ」 それ以上の反応ができず、雨田は気の抜けた声を返す。 この三人のうち、かろうじて恋愛感情があるとすればたつや→けい子ぐらいだろうが、それだって摺り込みに似た親愛感情でこの二人が到底「カップル」になれるとは思わない。 けい子の地獄耳がネタを聞き逃さなかった、と解釈したほうがよほど理解しやすい。 しかし、上機嫌なたつやにそんな冷静な判断を伝えたところで意味のないことだ、と雨田はなにも言わなかった。 「すんませーん、ノミとトンカチ貸してもらえますー? タガネとトンカチでもええですけど」 翌朝、いつになく早起きのけい子がたつやの家族にそんな申し出をするのを、雨田は寝ぼけ頭に聞いた。 ノミとトンカチ……何や野際さん、彫刻かなんかするんやろうか……。ああ、夏休みの自由課題かなあ……彫刻する姿、って野際さんやったらサマになるやろうなア……。何作るんやろ……洋風の彫刻はあんまり似合わんなあ……例えば、仏像とか……地蔵とか。 地蔵。 ひとつのキーワードが雨田の頭を明瞭にした。いわゆる悪い予感が頭をかすめる。 「寝屋川君! 寝屋川君!」 「ん……うふふ、そんなに笑わとんて下さい。心配せんでも僕ら幸せになります」 昨日の今日、と言うことでどんな幸せな夢を見ているか、何となく想像はついたが、雨田は容赦なくたつやのタオルケットをひっぺがしてたつやをゴロゴロ転がし起こした。 「寝屋川君! 悠長に寝てる場合とちゃう! 村の重要文化財の危機や!」 単なるさびれた名所が、勢いとは言え重要文化財扱いになるのはビックリだが、さすがに今度はたつやも眼を醒ました。 ついでに、たつやの家族の注目も集めてしまう。 「何? 村から重要文化財が発掘!?」 「テレビが来るんか!?」 「そら、お隣さんにも言ったげんと……」 「いや、朝の有線放送にのせてもらった方が……」 できる事なら今すぐにでもけい子を制止しに駆け出したいところだが、ここで村民の暴走を止めないとえらいことになる。 雨田は珍しく強気に出てしまったことで、焦る気持ちを抱えながらもその後始末にてんてこまいになった。 結局、雨田とたつやが笑い地蔵にたどり着いたのは小一時間もしてからだった。 そして、二人が来るのを待ちうけていたように―― 「わーはっはっはっはっは」 『わーはっはっはっはっは』 笑っていた。 けい子は、笑い地蔵の隣でノミとトンカチを持ち、腰を手に当て、仁王立ちして笑っていた。その、自慢げな顔。 そして、人ならぬ声も、幸せそうに笑っていた。旅立つ二人を見送る笑いはこうでなくては。 目を細め、大口開けて……。 「の、の、野際さん……!?」 「け、けーこちゃん……その、地蔵さんの口……」 地蔵は、無残にもそのおちょぼ口を削られ、大口を開けていた。 「ほーら、聞こえるやろ? これこれ、この笑いや! ドラマのラストはこうでないと! これでこの名所、重要文化財に格上げなる事間違いなしやで!!」 「ああ……」 茫然とするたつや、膝をガックリとついた雨田の様子など気にせずに、けい子は地蔵と共に笑いのハーモニーを楽しんだ。 夏山の蝉時雨のなか、女子高生と人ならぬものの笑い声がいつまでも響いた…… (おしまい) 初書き 01.11.17 |
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おまけ 「なあなあけーこちゃん、あの笑い地蔵、ってな、これから結ばれるカップルに向かって笑いかけるらしいで」 「カップルう? 何言うてんねん、あんな地味な笑い、ラブラブカップルなんかに届くかいっ! しじゅう笑ってるに決まってるやろ! まあ、これからはもうちょっとパワーのある笑いになるから、インターバル笑いになるやろうけどな」 「……」 雨田、黙ってたつやの肩を叩く。 「ところで野際さん」 「ん?」 「何で、っていうか、どんなからくりであのお地蔵さん、笑ってたんやろ?」 「そら、プラズマの力に決まってるやん」 「……」 雨田、たつやと顔を見合わせ、溜息をつく。 おそまつでしたー。 |