和倉先生の時間旅行

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 大学生は冬休みであった。宿題などない大学生は暇である。
 秀君も例にもれず暇であった。秀君はその暇な時間をお隣の和倉さんの助手として潰していた。
 しかし−−和倉さんはいなかった。
 くる日もくる日も和倉さんはいなかった。
 秀君は一体和倉さんはどうしたのであろうと心配し、ある日の晩、和倉さんのだんなさん、和倉講師を訪ねた。和倉講師はとある大学の講師をしている。
「和倉さん」
 和倉講師がドアを開けると秀君がいた。
「おや? 誰かと思えばお隣の秀君やないか。どないした?」
「和倉さん、どないかしはったんですか? ここんとこずっといてはれへんやないですか」
「うん……。ま、秀君、あがれへんか? 話せば長くなるんや」
「知ってはるんですか?」
「知ってるというか知らんというか……」
 和倉講師は口の中で何事かムニャムニャと呟いた。
「?」秀君は当然のことながら不思議そうな顔をした。
「ま、入り」
「はい」
 二人で暮らす、というのに適当な小さな家。秀君は居間に通された。一家の主婦である和倉さんはいないのだが、そう部屋は散らかっていない。小さなこたつ、石油ストーブ、テレビ、鏡台が置いてある六畳の部屋であった。こたつの上に、お酒とおつまみが置いてある。
「外におって寒かったやろ。ま、こたつに入り。−−酒飲むか?」
「あ、すみません。頂きます」
 二人は暫く、何の為に此処にいるのかも忘れて晩酌をかわした。
「いやー、このおつまみ、和倉さんがつくりはったんですか?」
「つまみぐらい自分でつくらな、奥さん、怒るからなあ」
「尻にひかれてますね」
「そうや! 扶養家族の分際で何をいばっとるんじゃ! −−秀君、君、酒強いねえ、いや、さすが大学生!」
「いやー、それ程でも、あっはっはっはっ」
 秀君と和倉講師とは殆ど面識はなかったのだが、酒は二人を近づけた。
「そう! そういえば、和倉さん!」
 顔を赤らめた秀君が思い出したように言った。
「何だ、秀君!」
 同様に顔を赤らめている和倉講師が言った。
「先生、何処に消えたんですか?」
 秀君がそう言うと、それまで陽気であった和倉講師の顔が暗くなった。
「−−過去か未来や」
 和倉講師はぶつっと呟いた。
「へ?」
 秀君は酔いをうち捨てて唐拍子もない声で言った。和倉講師の言った事を聞き違えたのだと思った。
「過去か未来」
 和倉講師は今度ははっきりと言った。秀君は不審そうな顔をした。
「タイムマシンを作って」
「−−誰が?」
「私と奥さんとで。秀君が大学に行ってる間に作ってたんや」
「……それで、できたんですか?」
 和倉講師はこっくりと肯き、ひじきの煮物を一口食べた。
「それで、先生は−−」
「私も行く、っていったんや。奥さんは無鉄砲やから何が起こるかわかったもんやないし」
 秀君はうんうんと深く肯いた。二人は和倉さんの無鉄砲さに対して同じような感情を抱いていたのである。
「−−でも、それじゃ、何故、今、此処に和倉さんがいるんですか?」
 秀君の言葉に対し、和倉講師は溜息をついた。
「私は奥さんの無鉄砲さを甘く見ていた」
「……じゃ、勝手に行きはったんですか?」
 和倉講師はしみじみと肯いた。熟年男の哀愁が漂っている。
「私が大学行ってる間に装丁を仕上げてしもたんやろうなあ……。−−いや、その前の日に、奥さん一人やったら何するかわからんから二人で行こう、言うたのが奥さんの神経を逆なでしたんかなあ……」
 秀君は和倉講師の言葉にうんうんと肯いていたが、はたと理論上の矛盾に気がついた。
「和倉さん」
 酒を飲み終わり、肴も食べ終わって、今度はみかんなど食べようと皮をむいていた和倉講師は顔をあげて秀君を見た。
「何?」
「お二人が作ったのは、ホンマにタイムマシンですか?」
「うん。−−試飛行してへんから実際的にはどうか知らんけど、理論的には間違いなくタイムマシンやったけど……それが何か?」
「タイムマシン、って、時間のわくの中を自由に行き来できるんでしょ? そしたら、『今』に帰ってけえへん、なんておかしいんと違います?」
 秀君が少しばかり嬉しそうに言うのをきいて、和倉講師は軽く溜息をついた。
「そう。実は、それが心配なんや」
 いくら未来に行こうと、いくら過去に行こうと、行った瞬間の時間に戻って来れる筈である。しかし、いつまでたっても和倉さんは帰って来ない。
「−−じゃ……下手したら、先生は……?」
「秀君。平行宇宙、って知ってるか?」
「へ? 平行宇宙? 宇宙が平行にならんでるんですか?」
「−−パラレルワールド、多元宇宙とかも言うな。例えば、今、この瞬間にも、こうやって秀君と話してる私、奥さんと話してる私、もしくは私のいない次元−−そういうものが存在してる、っていう考え方やな」
「つまり、様々な仮定が実在してる、っていうんですか?」
「確かめようがないから、今のところはただの想像やけど」
「へええ。−で、その平行宇宙がどないしたんですか?」
「奥さんの性格からして、過去に行って、何やかんやちょっかいをかけへん筈がない、と思えへんか?」
「例えば、時間をずらして和倉さんを連れて来て和倉さんを大量生産するとか……」
「……。ま、そういう事もするかもしれへんな。それとか、歴史をかえようとするとか」
「ははー。しそうですねー」
 秀君は陽気に言って笑ったが和倉講師は暗い表情だった。 秀君は和倉講師のそんな表情に気づき、不思議そうな顔をした。
「−−どうしたんです?」
「いや−−世界や過去が確定したもんやったら問題はない。いくら手を出しても歴史が変われへんのやったら、無事−−ま、タイムマシンがちゃんと作動したら−−帰ってくるやろう」
「−−もし、タイムマシンが故障してしもたら……」
「そういう確率もある、な……」
「……そしたら、先生は永遠に……」
「−−同じ故障するにしても近接未来で故障するのを祈るのみや」
 二人は黙りこくった。
「……もし、世界はたった一つであり、ある程度流動性を持つとしたら、多分、奥さんは無茶するやろうから私等二人が無事である筈がないから、この案は無視してもええやろう」
「−−そしたら、やっぱり、タイムマシンの故障……?」
「いや。あと一つ」
 和倉講師はそう言ってみかんを一つ、口に放り込んだ。少し酸味の強い汁が口の中に広がる。
「−−?」
「つまり、もし、奥さんが自分の母親を、彼女が子供の頃に殺してしまうとするだろ? 流動性のある世界ならば、奥さんは消えてしまうだろう。すると、私は他の人と結婚しているかもしれないし、その他にもさまざまな違いが生ずるだろう。だが、今は今のままだ。だからそれはない。確定された過去が何らかの力を持っていたら手出しできないだろうから心配はないんやけど……。−−事実と歴史が共存した場合が問題なんや」
「共存……って……どういう意味です?」
「つまり、奥さんは存在しながら、奥さんのお母さんは奥さんを産まずに亡くなった」
「……それは、矛盾するでしょ?」
 和倉講師はうなずいた。
「そこで平行宇宙のおでましや」
 和倉講師が軽く言ってみかんの皮をゴミ箱にぽい、と入れた。秀君は暫らくわけがわからずきょとんとして和倉講師を見ていたが、はたと彼の言わんとしている事を理解し、驚いた。
「わ、和倉さん! そしたら先生は、他の次元の宇宙に行った、っていう事ですか!?」
「−−もし、平行宇宙があったら、な」
「−−……そしたら……」
「私は未亡人……」
「−−夫は妻が死んでも未亡人とは言いませんよ」
「そしたら何て言うんや?」
「……」
「答えは『やもめ』でした」
「……和倉さん。今、僕等がどういう立場にあるか知ってはりますか?」
「奥さんがおれへんかったら……」
「家事なんか困るでしょ?」
「奥さんは家の中を散らかすのが得意やった。私はそれを整頓するのが得意やった。奥さんがいなくなった今、私はどのように暇を潰したらええんやろう……?」
「−−……」
「こんなんやったら、トレーサーでもつけて、もう一台タイムマシンを作って追いかけられるようにしといたら良かった……」
「−−そしたら先生は……帰ってけえへんのですか……?」
「−−かもしれへん。……秀君。今日はもう遅いから帰りなさい。家の人も心配してるやろう」
「はい」
 秀君は立ち上がった。すると和倉講師も立ち上がる。
「−−そやけど、先生がホンマに帰ってけえへんかったらどないするつもりですか?」
「どないしよう……」
「先生がおらなんだら、僕はどないして冬休みの暇潰しをしたらええんですか?」
「秀君。大学生は勉強するのが本分なんや」
「えっ!? ホンマですか!?」
「大学の講師である私が言うんやから間違いはない」
「−−そうやったんですか……」
「それか、家の正月の手伝いでもするんやな」
 秀君は溜息をついた。大掃除の時、いつでも重たい荷物を嫌という程持たされ、正月は腰痛で迎える事を思い出したのだ。
「そしたら、かえりますわ」
「ん。−−奥さんが帰って来たら、すぐに連絡するわ」
「はい。どうも、ごちそうさまでした」
「またいつでもいらっしゃい」
 そうして二人は別れた。


 和倉さんは正月になっても帰って来なかった。
 和倉さんは春になっても帰って来なかった。


 和倉講師は、ついに和倉さんの地下実験室を片付ける事を決意した。そして、地下室に行くべく、庭に出た。
 すると、何と、庭にタイムマシンがあった。
「! 奥さん!」
 和倉さんがタイムマシンからのそっと出てくる。
「……だ、だんな……ここは……」
 −−和倉さんはそのまま力尽き、倒れてしまった。
「奥さん! 奥さん!?」
 和倉さんは起きなかった。−−既に、ぐっすりと熟睡していたのである。


 幸いにして、次の日は祝日であった。
 秀君は和倉講師に話をきいて和倉家にやって来た。
 和倉さんは二十時間程眠り続けただけあってかなり疲労を回復したようであった。
 三人して台を囲んで座っていた。
「−−何で、行った時間に帰ってけえへんかったんや? 他の次元にでも行ったんちがうか、タイムマシンが故障したんとちがうか、ってえらい心配したんやで?」
 和倉講師が少々不満げに言った。秀君もうんうんと肯く。 和倉さんは少しむくれた顔をした。
「そない言うたかて……私の生理的経過にあわせたから……そうでなきゃ、私一人だけ、老けてしまうやろ?」
 和倉さんがあっさりと言い切るのをきいて、二人は絶句した。
「……奥さん。そういう時は、一旦出かけた時間に戻って伝言して……。−−本気で奥さん帰ってけえへんって思ってたんやから」
「先生。そないに長い間時間旅行してたんですか?」
 同時に二人に言われて、和倉さんは少し戸惑った。
「−あ、うん……。私かて、いろいろ大変やったんや。−−平行宇宙、ってあるやろ?」
 二人はどきっとして和倉さんを見た。そして肯く。
「最初に未来に行ってちょっと遊んで、それから過去に行ったんや。それで、ちょっとばかり……遊んで……で、この時間帯に戻って来たら……家があるどころか、地形が変わってて、ここは海やった」
「−−……」
「それで戻って直していったんやけど……この時間帯に戻って来たら、家があってんけど、私がおって……つまり、亦、他の次元に入ってしもた、ってわけやな」
「次元、ってのは無限にあるからなあ……」
 和倉講師は感心して言った。
 和倉さんは肯いた。
「ホンマ、一時期は戻られへんと思って、泣きそうになったわ」
「−そしたら、どないして戻ってきたんですか?」
 秀君が不思議そうに言うのをきいて、和倉さんはにやっと笑った。
「仕方ないから思いっきり過去に行って、その世界の歴史をこの世界の歴史に変化させていったんや。それで、とうとうたどり着いた」
 和倉さんのにやにや笑いと科白に対し、二人は何も言わずにいたが、突然、和倉講師が事の重大さに気づいた。
「奥さん! そしたら……この世界の歴史は……」
 和倉さんはこっくりと肯いた。
「なかなかきつかってんで? ちょっとでも違ったら全く違う次元に行ってしまうんやから」
「……」
「もう、二度と過去には行けへんわ」
 そう言った時−−庭にタイムマシンが出てきた。
「−−え!?」
 和倉講師と秀君は驚いて新たなタイムマシンを見た。
 和倉さんは平然としてそのタイムマシンに近づく。タイムマシンの中から和倉さんが顔を出した。和倉講師と秀君は蒼ざめる。
「他の次元の先生が来てしもたんでしょうか……?」
「いや、それやったら奥さんも驚く筈や」
  二人がボソボソ言うのを聞いて二人の和倉さんはにやっと笑った。
「三日後楽しみにしときや」
 片方の和倉さんが言った。
「−−三日後?」
 そう言った和倉講師の脳裏を様々な感情が駆け抜けた。秀君もそうだった。その雑多な思考の中で最も大きな割合を占めていたのは『悪い予感』であった。
 止める間もなく、二人の和倉さんは去って行き−−
 すぐ帰って来た。
「じゃーねー」
 同一人物達は明るい挨拶をかわし、一人はタイムマシンで過去へ去って行った。
「−−先生。一体、何をやって来たんですか?」
 秀君は陰険な目つきで言った。
「一回やってみたかってん。大量生産。過去は平行宇宙があるけど、未来は確定してるからね。ま、これからもちょくちょくお迎えが来ると思うわ。−−楽しみやな」
 和倉さんは楽しそうに笑っていた。
「亦、二時間ぐらいしたら来るやろ」
 笑って和倉さんは楽しそうに台所の方へ消えていった。
「……和倉さん……」秀君が独り言のように呟いた。「二人してタイムマシンに乗って暫く平行宇宙に逃げませんか?」
「−−そやな」
 台所からは陽気な歌声が聞こえた。             

(おしまい)
初書 1987.11.28-12.3


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