襖バンザイ 2

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 ――コンコン
 ノックの音がした。
 沈黙に入りこんだ音に、二人は顔を見合わせた。
「はい、どうぞ」
 福島の声は裏返っていた。
 ノックの音のした扉がぞんざいに開いた。
「よー、福島ァ、抜けてた年の過去問入手できたでー」
 背が高い、というよりひょろ長い、という表現の似合う男がぬう、と顔を出した。
 その緊張感のない男の表情に、福島と小宮はほっとした。
「なんや小宮君も来てたんか」
 入ってきた男――二人のクラスメイトである村下明弘は意外そうに言って部屋に入った。「村下君もこの下宿だったのか、知らなかった。何か、もっといいマンションにでも入ってるかと思った」
 バイトずくしで殆ど講義に出ない村下は、同クラスの者との面識は余りない。
 バイト先の人脈で試験関連の資料はそこそこ所有しており、講義ノートとの交換のような形で同じ下宿のよしみで福島とはやりとりしていたが、小宮とは軽く挨拶を交わす程度の仲であった。
 
「あははは、どうせバイトで殆ど寝るしかない住処に金つぎ込めるほど余裕ないわ。そんな金あったらもっとええもん食う」
 陽気な村下の口調に二人は曖昧な笑顔を浮かべる。
 この、人見知りをしない陽気な関西人と、二人はどうも波長が合わないと思っていた。別に村下になんの問題もないのだが、その口調ややたらお大きな声に何となく気後れしてしまうのだろう。
「何や、二人とも暗い顔して。そないに心配することないで。一般教養の試験なんか、おそるるに足らへん、って。どーせ先生もやる気ないねんし。まあ、イザとなったらこの俺様のウットリ流し目でどんなジジィもイチコロ! ってな!」
ガラッ
「なんでやねん!」
ピシャッ
「――」
「――」
「――」
 部屋の中で座っていた二人と扉近くに突っ立っていた一人は固まった。
 突然起こった出来事の状況把握ができず、しようとしても常識を是とする頭脳は働くことを拒否した。
 何があったのか説明するのは簡単だった。

 福島の部屋の押し入れ左側の襖が開いた。
 「なんでやねんっ」という歯切れのいい関西弁のツッコミが聞こえた。
 襖が閉じた。

 ――しかし、その説明がなんになる。
 この場で必要なのはそんな結果事象ではなく原因理由である。
 福島と小宮には判ってしまっていた。
 このふざけた声の主が何者であるか。
 何となく想像ついてしまい、それが間違っていないだろう、との判断も下せた。本心としては間違っていて欲しかったのだが。とても。
 
「福島――」
 長い沈黙の後、村下が口を開いた。
 さっきの声の正体を判っている二人よりも落ちついた――というより、好奇心が隠せない不思議そうな顔で福島を見ていた。
「お前、変わったペット飼ってんねんなア」
 そう、ペット。福島が大家に内緒で大業まで躾た――って
ガラッ
「なんでやねんっ!」
ピシャッ
「ペットがそんな事するか!」
 福島が襖が閉まるのとほぼ同時にほえる。
「おおお! さすが飼い主! ペットのツッコミフォローもバッチリ!」
「落ちつけ、福島。村下も、わざとあおるような事言うんじゃない」
 役回り的に小宮は調整役に回らずを得なかった
 村下はバレてたか、と言いたげににやっと笑う。
「俺、福島のツッコミはじめて聞いたわ」
 ツッコミと見せかけて実はボケていたのだが、今はそこまで深く議論している暇はない。
「……いいから村下座れよ」
「おう。お邪魔しま」
 村下は小宮の向かい、福島の斜めにどっかりと座り、鞄の中をごそごそあさる。
「小宮君おる、ってしらんかったから一部しかコピーしてけえへんかったわ。まあ、一緒に勉強するんやったら一部でええか」
「ああ、サンキュ。いくらした?」
「この間のノートのコピーの手間賃でチャラ、って事で。どうせ三枚だけやし」
 その気になればこのまま翌日に向けての試験勉強に突入できそうな所を、その雰囲気を作り上げた村下自身がぶち壊した。
「――で、さっきのアレ、なんや?」
 押入れまで届かないように配慮したつもりの低い声で二人に訊く。
「――この部屋に霊がいるんだと」
 部屋の主の福島がまるで他人事のようにあっさりと答える。
「え?」
 元々大きな村下の目が当社比二割ほど大きくなる。
「俺も今の今まで見たことなかったし、感じたこともなかったんだけど、小宮がさっきいる、って言って――」
「おお、気づかれるまで息を潜めてた、って言うんか? シャイな幽霊やなー。そんな事では『ビックリ幽霊ナンバー1』に登場でけへんぞー」
「――何だ、そのビックリなんとか、って」
 思わず小宮は訊いてしまう。
「俺が今作った適当な番組」
「……」
「……」
 反応のしようもなく固まってしまった二人に、村下は「いやー、すまんすまん。話そらしてしもたなー」とあくまで明るい。
 幽霊のいることも、明日から試験が始まることも、この男にとっては深刻な問題ではないように見うけられる。
 その明るさに救われるような気持ちになる一方で、何も考えていないような軽さが二人の気に触る。
 そんな二人の気持ちを知ってか知らずか、村下は相変わらず楽しそうに押入れやこの部屋の主を見ていた。
「しかし、このオンボロアパートに幽霊がいるなんて噂、ついぞ聞いたことないけどなー。地縛霊なんか?」
「俺は連れてきてない」
 小宮はキッパリ答えた。
「そういやさっき、小宮君が『いる』って言ってる、って言ってたな。霊感あるんか?」
 村下の目は子供のようにキラキラ輝く。
「あるけど――」
「おおおおお、すごー! 何か見たことあるんか、今まで? あ、俺、何か憑いてる? ムッチャ美人の幽霊とか!」
ガラッ
「なんでやねん!」
ピシャッ
「――」
「――」
「――」
 盛り上がりかけた会話(といっても村下が一人で勝手に盛りあがっていただけだが)は霊のツッコミでいっきにクールダウンした。
「あのさ……もしよければ、村下の部屋に移動しないか?」
 福島が溜息一つついてそう言った。
 小宮は肯定の表情で福島を見、村下に視線を移す。
「人間三人入れる程俺の部屋広ないぞ」
「? ここより狭いのか?」
 小宮が言葉の意味をそのまま受け取り、聞き返す。
「そうそう、一畳しかないねん。狭いやろ〜」
ガラッ
「なんでやねん!」
ピシャッ
「ナイスツッコミ」
 村下は既に閉ざされた押入れの襖に向かって、ぴぴっと両手の人差し指を向ける。
「広さは一緒や。座る場所がないだけで」
「座る場所がない、って――お前、部屋でどうしてるんだ?」
「そらもう、空中に浮いてるしかないがな」
ガラッ
「なんでやねん!」
ピシャッ
「ええタイミングや。有難う」
 村下は今度は押入れに向かって礼をした。
「俺の居場所は万年床や。まあ、どうせ寝に帰るだけやしな」
「寝に帰るだけなのに、なんで散らかるんだよ」
「そこはそれ、俺の部屋に霊がおってな。ポルターガイストが――」
ガラッ
「なんでやねん!」
ピシャッ
「あはははは、霊にツッコまれてしもたわー!」
「村下! お前、わざとボケてるだろ!」
 ずっと何かに堪えるように黙ってうつむいていた福島が辛抱たまらずに怒鳴った。
 小宮は突然怒り出した福島にキョトンとしたが「そうなのか?」と確認を求める視線を村下に向けた。
 村下は福島の剣幕に一瞬茫然としていたが、苦笑いを浮かべてポリポリと頭を掻いた。
「いやー、わざと、っていうか、会話にボケとオチをつけてしまうんはもう反射やからわざとではないんやけど――ほら、タイミングようツッコミ入れてくれる人がおったらドンドン乗ってしまうんや。太古より引き継がれる関西お笑い遺伝子五千年の歴史がやなあ――」
ガラッ
「なんでやねん!」
ピシャッ
「――ってな?」
「もういい! お前は部屋から出ろ! それか黙ってろ! お前がいると話が進まん!」
 部屋の主はキレた。
 しかし、村下は平然とにやけた笑いすら浮かべる。
「えー、それはないやろ。せっかく同じ講義取ってるんやし、一緒に勉強したほうがはかどるし楽しいやないか。それに、それ以前に、俺に口きくな、ってそれは呼吸するな、って言うてるようなもんやで」
「――」
「――」
 反射的に、三人は押入れの方を見ていた。
 反応なし。
「な? ツッコミがなかった、って事は今のはボケでもなんでもない、ってこっちゃ。押入れ君も俺の言う事が正しい、って判ってるんや」
「人の部屋の霊に勝手に安直な名前をつけるな!」
「じゃあツッコミ君」
ガラッ
「なんでやねん!」
ピシャッ
「……それも安直だ、ってツッコまれてるぞ」
 小宮が役回り上仕方がない、とでも諦めたように力なく言った。
「……霊がいる、って言い出した俺が言うのもなんだけど、あいつの事は忘れないか? 四ヶ月福島が住んでて何もなかった、って事はツッコむ以外は何もしないって考えられるし――何と言っても明日から試験だ」
 しごく理に叶ったことを小宮は言い、福島は頷き、二人して村下を見た。
 その視線は冷ややかである。
「俺は出ていけ、って事か?」
「――お前は目の黒いうちはボケ続けそうだからな」
「ボケてくれたらツッコミもするで〜」
ガラッ
「なんでやねん!」
ピシャッ
「え、うそ、今のもツッコんでくれるんか!? すごいな! な!」
 村下は大ハシャギする。しかし、同意を求められた二人の反応は薄い。というかないに等しい。
「どうせ俺のボケもいつも流してるんやし、ゆうさんのツッコミも流して、気にせえへんかったらええやん」
「……誰がゆうさんだ」
 乗ってはいけない、乗れば相手の思う壺だ、と判っていながらも小宮は訊かざるを得なかった。
「幽霊のゆうさん」
ガラッ
「なんでやねん!」
ピシャッ
「何や、これも気にくわんのか。一聞すると普通の名前に聞こえなくもない自然な響きの名前やと思ったんやけど。じゃあれいさ――」
ガラッ
「なんでやねん!」
ピシャッ
「はやっ! 言いきる前にツッコまれてしもたわ! じゃあ、福島ダッシュはどうや?
「――」
「――」
「――」
 三人の視線を受けた襖は動かなかった。
「え、ええんか、福島ダッシュで!」
「――俺が断固反対する」
 福島は爆発しそうな感情を押さえつけた低い声で言った。
 その声の暗さに村下は我に帰った。
 幽霊に名前をつけて喜んでる場合ではない、と気づいたらしい。
「えーっと……で、俺は出て行った方がええんかな? 元々一緒に勉強する予定やなかったし……」
 一歩引いてそう言われると先ほどは「出ろ」と叫んだものの改めて「そうだ」と答えにくい雰囲気になった。
 しかし、幽霊発現の引金が村下にあるのは明らかで、引きとめる気にもなれず、福島は何も言えなかった。
「――まあ、楽しさより効率やしな。何ちゅうても明日からやし」
 明るく言い放って村下は立ち上がった。
「――すまん」
 福島は村下を見ずにつぶやくように言った。
「あー、何かよう判らんけど、気にすんなや。亦何か新しい情報あったら教えてくれや。俺も何か仕入れたら連絡するし」
「有難う」
 村下は気にするな、と言いたげに右手をひらひらさせる。
 扉を開き、閉め――かけて、頭を覗かせる。それはいつもの気に障るほどのニヤニヤ笑いだった。
「また福島ダッシュにツッコまれに来るわ」
「!」
バタン

 一週間に及ぶ試験の後、大学は一ヶ月半の長い夏休みに入った。
 楽しい時間は瞬く間に過ぎ、新学期が始まった。
 休みボケの黒く焼けた顔が講義に現れる。
 休み中は家にも帰らず、バイト三昧だった村下の顔もそこにあった。さすがに最初の講義ぐらいは出ないとまずいと思ったのだろう。
「おーい、小宮君」
 その日最後の講義が終わり、三々五々と帰途につこうとする中、村下は小宮に声をかけた。
「お、福島もおるな。ちょうどよかった。時間あるか?」
 小宮と福島の二人に声をかける、と言う事はおのずと話題は限定される。
「――あ、ああ、別にいいよ」
「小宮君は?」
「……いいけど……。アレの事か?」
「ああ」
 からかうでもなく、暗くなるでもなく、世間話の一環のように村下は普通に答えた。
 誰も何処へ行こうとも切り出さなかったため、三人はそのまま講義室の机についた。
「福島は夏休みは帰郷しとったんやな」
「ああ」
「あれから出たか? ダッシュ」
「――だから、ダッシュ、って名前はやめろ、って」
「だったら何かいい名前考えたれや。生前の名前判ったらええんやろうけど、そこまで調べる気はないしな。――で、出たか?」
「いや、いるかいないかは知らないけど、あんなふざけた事は起きてない」
 福島の答えに村下はふんふんと頷く。
「それがどうした?」
 福島は何故村下がそんな話を蒸し返したのか想像つかない様子で訊き返した。
「俺、結局バイトやってたから、殆ど実家帰らんかったんや」
 要点をズバリ突くのではなく、わざわざ迂回路を行く村下の話の切り出し方はいつも通りである。
 そして、真剣そうな顔をしているが、キラキラ輝く目の表情がそれが演技である事をさらしているのもいつも通り。
「言うたかて殆ど下宿に戻らんのは休みでも一緒やけどな」
「――それで?」
 福島が話の先を促す。
 村下はそな福島の反応を楽しむように、まあせかすなや、と言いたげな笑いを浮かべた。
「そんな夏の暑い日、俺は便所に入ってたんや。大の個室な」
 夏の暑い日でなくても便所には入るだろう、などと福島と小宮はツッコまない。
 そんな律儀な返しはさほど期待してなかったので村下はさらりと次の言葉を継いだ。
「そしたら扉をノックする奴がおってな、『どうぞ』って答えたんや」
「!?」
「――」
 今度は少しは期待していたツッコミだったが、やはりなかった。
 しかし二人の驚きぶりは充分に村下を満足させた。
「そしたら、なんと、鍵が内側から勝手に外されてな」
「――」
「――」
「扉が、こう、バタンッ、って開いて『なんでやねん!』」
「――」
「――」
「んで、バタン! って閉まって、ガチャガチャ、っとやなあ、丁寧に鍵がかけられたんや」
「――」
「――」
「ちゃんと鍵を閉めとくとは、なかなか律儀な奴やなあ」
 そんなところに感心している場合ではない。着目点が細かすぎる。
 しかし、三人はそんな村下の細かいボケに反応できないほど、驚いていた。
 何故トイレでノックを受けて「どうぞ」なのか。
 ――いや、それもあるが、問題はそれではない。
「で、小宮君に聞きたいねんけど、あれ、って地縛霊とちゃうかったんか? 地縛霊、って同じアパート内やったらうろうろできるもんなんか?」
「――俺もそんなに詳しい訳じゃないんだが……まあ、それぐらいならありうるかな……」
「で、うろうろうするだけやのうて、とり憑く部屋が変わってなうとかは?」
「――え?」
 期せずして福島と小宮の声が重なる。
 村下は思わずニヤリと笑ってしまった。
「楽しいぞー。テレビ番組のボケにボケ返したらちゃんと押入れの襖空けてツッコミ入るねん!」
 福島は絶句している。
 小宮は絶句している。
「元々一人暮し、って独り言増えるもんやろ? それが更に口数が増えてしもてなー」
 福島は二の句を告げない。
 小宮は呆れている。――何に?
 ツッコんでくれるのならば例えそれが幽霊であろうと頓着せずに喜ぶ村下にか。
 自分のツッコミの勝ちを認めてくれた相方を見つけ、わざわざ河岸変えした幽霊にか。
 恐らく――否、間違いなくともに非常識な二人に。
 その非常識さを乗り越えてどうやら満足してるところに落着いたらしい二人に。
「――でな、小宮君」
「……ん?」
「俺が卒業してから、福島ダッシュは俺についてきてくれると思うか?」
「……知るか……」
「村下。幽霊はお前の部屋行ったんだから、福島ダッシュはやめて、せめて村下ダッシュにしてくれ」
 福島の力ない声に村下は大げさに両手を上げてびっくりしてみせた。
「うわ、福島、ナイスツッコミ! ってか、ナイスアイデア! これでコンビ名は村下ズ!」
ガラッ
 講義室の扉が開いた。
「なんでやねん!」
ピシャッ
「――!」
 村下は慌てて閉ざされた扉にかけより、開いた。
 そこには全く人影は見当たらなかった。

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後半長くてすみません。どう考えても切れなかったもので。
笑説サイト同盟の笑説小賞に出して落選したものです。
が、個人的に好きなのでアップしました。
オチがいまいち弱いのが自分でも納得できないんですが・・・・・はてさて、どうしたらもっと面白くなったのか
今でもわかりません。

おっくんと共に漫才してビデオに撮ってCDでも焼こうか、なんてな事を企画していたのですが(他の企画の
ご多分にもれずこれも放置・おしゃかになったのですが)そのネタの内の一つがこの「襖漫才」でして。
漫才、というよりはコントですけどね。
そのコントでは幽霊である必要はなかったのですが、お話化するに際してはもうちょい理に叶った設定に
・・・・・って、どこが理に叶ってるねんーーーーー!

一人暮しというのはテレビに一人でツッコミやボケを入れてしまう淋しいものですが、それを解消してくれるの
がこのダッシュ君!
お部屋に一人、いかがですか! 食事もお金も要らないすばらしい同居人です! お笑い要素のないあなたに
は何も言わず、存在感すら消してくれるすぐれもの!
・・・・・いらんわな・・・・・・・・

村上君、お話を書く際には非常に楽しいキャラだったのですが、実際に身近にいたら、ちと痛い人なんだろうなー、
と思ったり。
いや、多分、似たような人は探せばゴロゴロいると思う・・・・

まあ、また気が向いたら感想でも指摘でもよろしくおねがいします♪